女生徒専属体育教師、伊集院の優越
記事:小堺 ラムさま (ライティング・ゼミ)
「ハイッ、注目ッ!」
この掛け声が、私が通う高校の体育教師、伊集院の口癖だった。
伊集院っていう苗字、何とも知的なかほりがするじゃない?
そんなインテリジェンスな教師が高校にいたら、女子高生の憧れの存在になるのがありふれた学園物語の王道ってところでしょう?
ところがどっこい、我が校の伊集院ときたら!!
これは、多感な思春期真っ只中な女子高生600人が、とある体育教師に人権を賭けて全力で挑んだ社会派の物語である。
伊集院は女子学生担当の体育教師であった。
伊集院の前任である「井上マーちゃん」と呼ばれていた還暦間近のおじいちゃん先生が早期退職でフィリピンに隠遁してしまった後に、わが校に赴任してきたのであった。
長い間女生徒3学年600人の授業を一手に引き受けていた井上マーちゃんは、屋外授業であろうと体育館での授業であろうと、そんなに眩しくなさそうなのに、うっすらと茶色がかったサングラスをいつもかけていた。
井上マーちゃんは、不必要なサングラスの着用について職員会議で校長先生に咎められたというもっぱらの噂だったが、「歳だし白内障だから、このサングラスが必要だ」という本当なのか嘘なのかよくわからない理由で、その場を切り抜けたらしい。
それで、退職前の年休消化に入る直前の授業まで、しっかりとサングラスをかけていた。
井上マーちゃんは、なんせ年だし、退職後にフィリピンに飛んでしまうほどのフリーダムな感じだったから、授業は完全に生徒の自主性に任せていた。
要するに、甘かったのである。
週に2回の体育の授業のうち一回は、体育館のステージ上でダンス部がヒップホップを踊りまくる裏授業名が名付けて「ダンスマニア」を開催したり、夏場の水泳の授業は完全に水遊びと化した懐かしの「ポロリ!」もありそうなほどやりたい放題の「女だらけの水泳大会」になった。
やりたい放題でめちゃくちゃしてたけど、井上マーちゃんの言うことは、女生徒はちゃんと聞き入れて、反抗なんてしなかった。
女生徒はみんな井上マーちゃんのことが大好きで信頼を寄せていたのである。
井上マーちゃんが早期退職する時、女子生徒全員でお金を集めて、新しいサングラスをプレゼントして退職祝いにしたほどの人気ぶりだった。
そんな大人気の井上マーちゃんの後に赴任して、女生徒を担当することになった伊集院は、前任の高校で野球部の顧問として活躍していたようで、わが校でも野球部の顧問となった。
細面でスレンダーだった井上マーちゃんとは正反対で、むっちりした、若干緊張感の無い中途半端な筋肉質タイプの伊集院。
私は物理とか化学じゃなくって、生物専攻だったから、「哺乳類の筋肉の造り」の項目で、筋繊維についても骨格を含めた図解で学んでいたから、筋肉の造りについて容易にイメージがわいた。
伊集院の体格は、刺激を与えたことで筋繊維が分断されて更に肥大する、つまり鍛えたから筋肉が肥大してマッチョになったというものではなく、明らかに筋繊維の中に余計な脂肪が織り交ざっている感じの、怠慢かつマッタリとした体つきだった。
あれで、どうして野球部の顧問が務まっているのかが不思議だったけど、コーチ方法は巧みだったらしく、男子は伊集院になついているようだった。
私達女生徒は、当然ながら野球部になんて誰一人として所属してないし、野球の指導がいくらうまいったって、そんなことは一切関係なかった。
ピリッとしてない伊集院にだまされて毎日バント練習なんて励んじゃってさッ、男子ってやっぱり子供じゃん!って感じで、私達は小馬鹿にしていた。
そんな伊集院は国語の授業で学んだ名作『蒲団』の作者である田山花袋にソックリだったことが、教科書に載っていた田山花袋のモノクロ顔写真から判明したのである。
先に国語の授業を受けた1組の生徒から、休み時間中に一瞬でその噂が回ってきた。
私も国語の教科書に載っていた名作『蒲団』の作者紹介欄に載っていた写真を確認した。
「こ、これ、伊集院じゃん!!」
確かに伊集院は、弟子の女性に秘かに想いを寄せる中年の恋と性の悶えを見事に書ききった名作『蒲団』の作者田山花袋にあきれるほどに酷似していた。
だけど、どんなに崇高な作家と顔が似ていたからといって、伊集院の存在価値が上がるわけではなかった。
せいぜい国語の教科書の田山先生のモノクロ写真が、こともあろうに、より一層伊集院に似せるために、鉛筆でちょっとした落書きを施す生徒が続出するという、暇な高校生が授業中によくやりそうな低次元な話で終わってしまうだけのことであった。
このように、女子ウケがイマイチだった伊集院が赴任してきて1か月たたない4月末に、女生徒と伊集院の間で一波乱勃発したのである。
当時、我が校の指定された体操服は、男子が白色短パンと学校指定の白色半袖Tシャツ、女子は紺色ブルマと学校指定の白色半袖Tシャツであった。
それと、冬の防寒用に男女共通で、紺色の長袖長ズボンジャージも着ることができた。
この話を読んでくださっている、35歳以下の方は、「ブルマ」と聞いても、よくイメージできないか、若しくは、私と同じ形状の「ブルマ」をイメージ共有できないのではないのかと思う。
それと、ひょっとしたらひょっとするけれど、「ブルマ」ではなく「ブルーマー」とか言っていたらしい世代の大先輩が私のクダラナイ物語にうっかり目を通してくださっていたら、それはそれでまた、「ブルマ」のイメージに錯誤が生まれ、これから先の話がうまく運ばない事態が懸念されるのである。
そこで、全ての世代の読者の皆様に共通した認識を持ってもらうべく、ここで、「ブルマ」について解説を加えたい。
『ブルマ……東京オリンピック女子バレーボールチームが着用していたような体操着で、臀部にぴったりフィットしたいわゆるショーツ型であるが、ショーツの上に着用するものであり、化学繊維で伸縮し、色は紺色が主流である。』
どうだろうか?
皆さん、しっかりと「ブルマ」に関してイメージできたであろうか?
昨今の体操着は、ハーフパンツ型が主流であろうかと思う。
ところが私が高校生だったころ、体操着はブルマであった。
ブルマとは、いわゆるショーツと全く変わらない形状をしていた。
下着のパンツと同じ形フィット感と形だったのであります。
再度想像してみて欲しい。
パンツの上にパンツと変わらない形をしているものを履き、それで運動をして御覧なさい。
パンツがはみ出るに決まってるでしょ!
私達は、着用しているブルマからパンツが秘かにはみ出ている状況について『ハミパン』と言い、そのような状況になることを酷く恐れていた。
だからブルマを履いて体育の授業を受けるとなると、四六時中お尻の付近や太腿付近を気にしないといけなくなって、授業どころではなくなった。
ハミパンだけでなくて、太腿とお尻のきわどい境目まで露わになってしまうし、お尻の形だってばっちりわかってしまうブルマは、思春期の女生徒にとって、その存在自体が悩みの種だった。
だから、私達は井上マーちゃんが体育を担当していた時は、暗黙の了解で、女生徒は一年中、体操着に紺色の長いジャージズボンを履いていたのである。
現に、伊集院が赴任してくるまで、私は高校生活でただの一度もブルマを履いたことがなかった。
伊集院が赴任してきて一発目の体育の授業を受けた、3学年の先輩方が、「マーちゃんのあとに来たイジュウインは、ジャージ禁止にしやがったんだけど」って言ってたから、自分たちの体育の授業を戦々恐々としていた。
タンスの中に長い間閉まっていたブルマを出してきて、体育の授業の日に持って行き、屈辱ながらそれを履いて授業に臨んだ時の哀しさたるや……
人としての尊厳を無視されているのではないか!と思わずにはいられなかった。
何故、教師というだけで、こんな破廉恥な体操着の着用を多感な年ごろの娘に強要できるのだろうか?
私達は意味がわからなかった。
このまま、ずっと黙っていたら、正式にジャージの着用が校則で認められている冬のシーズンまで、ずっとブルマで授業に望まなければならなくなる。
そんなの、絶対嫌だった。
ハッキリ言って、死んだ方がマシかもって思った。
いや、それはちょっと言い過ぎカモ。
ブルマ履かないんで済むんだったら、一生、チーズケーキとシュークリーム食べられなくてもいいよ!って本気で思っていた。
すぐに生徒会の女子メンバーが動き出した。
校内の女子生徒に対して、「女子の体操着は原則としてブルマとする 但し冬季はこれを除く」という項目に対する校則改正要望アンケートをとったのである。
当時、一学年200人ずつ、校内に全部で600人の女子生徒がいた。
校則で、全体の三分の二の生徒が可決すれば、校則を変更できるという規定があった。
この校則改正の条文に目を付けた生徒会が、一年中体操服としてのジャージ着用を認めるという、「ブルマ廃止運動」を起こしたのである。
投票日を設け、改正条項の内容が内容だけに、投票権を女生徒限定にして、投票することとなった。
だから、女生徒600人の三分の二である400人が「ブルマ廃止」に賛同すれば、これまでどおりジャージで体育の授業を受けることが可能になるのである。
待ちに待った投票日、昼休みの終わり15分を使って体育館で投票が行われた。
私達は、まるで日本史上、初めて女性に選挙権が与えられた日の投票日、女性はこんな気持ちだったんだろうなあという、いてもたってもいられないような、誇らしい気持ちで、クラスメイトと連れ立って体育館に投票に行った。
もちろん、ブルマ廃止賛成派である。
野次馬男子が勝手に行った、体育館出口調査の結果、ほぼ600人全員がブルマ廃止を支持したという噂が流れた。
私達は、やっと自由を得た、ヒトとして最低限の尊厳を確保できたのだ、という気持ちでいっぱいになった。
昼休み後の5時間目の授業が頭に入らなかった。
放課後の、開票。
結果は、投票者597名のうち、ブルマ廃止賛成が595名だった。
やった!!!
私達女子は、抱き合って喜んだ。
もう、あの屈辱をあじわうことはないのだ。
ハミパンにおびえながら、リレートラックを走る恐怖。
誰かにお尻を見られているんじゃないかという、哀しみ。
そんな陰鬱とした気分とはオサラバだった。
一年中ジャージで体育が受けられる、そんなウハウハなハイスクールライフの再来だった。
ところが、こんな喜びもつかの間だったのである。
生徒会が出したブルマ廃止の校則改正案を職員会議にかけたところ、伊集院が猛反対したのである。
職員会議を盗み聞きしていた3年生の話によると伊集院は、こう言い放ったそうだ。
「生徒会や投票結果が何と言おうが、ブルマは廃止しない!教師は生徒に優越してるんだ!」
私はそれを聞いて、ひざを地面に落とし、愕然とした。
伊集院のあまりのレベルの低さに悲しくなったのである。
さもしささえ感じた。
教師は生徒に優越って…
生徒会が、正式に校則にのっとって選挙をした結果、校則改正の運びとなったのに…
決まりに従って、正々堂々と、自分たちの思いを反映させようとしただけなのに…
一体育教師である伊集院の一言で、それがうやむやにされそうになるなんて…
この結果は、教頭先生預かりの案件になったらしく、職員会議はこれで終わったらしかった。
その日のうちに、新聞部がこの日の一幕を闇新聞として秘かに号外で発行した。
見出しは「伊集院の優越!!衆議院も真っ青」とあった。
私達女生徒は、闇号外を読み、今後どうなるんだろうか…とあとは、教頭先生方の行く末を見守るしかなかった。
この時ほど、はやく大人になりたい!と思ったことはなかったかもしれない。
大人になれば、全て平等に渡り合えるし、だいたいブルマなんてはかなくてもよくなる。
だけど、現実はまだ高校生。
いくら校則を改正させようと高校生が頑張っても、先生たちには負けてしまうのかなあ…
仕方ないのかも…
そう思いながら、数日間を過ごした。
しばらくして、再びブルマ問題に関する職員会議が開かれたらしい。
闇号外を目にとめた女性教師や女子の心身発育に関心の高い保健の先生が頑張ってくれた結果や、私達生徒の話を自宅で聞いた両親たちPTAが学校に働きかけてくれたそうだ。結局私達の意見が反映された「ブルマ廃止案」が職員会議で認められた。
伊集院の優越が崩れ去った瞬間だった。
まさしく民意が世論を動かしたと言っても過言ではないだろう。
結局、高校でブルマを履くことはその後一度もなかった。
だけど、伊集院の優越を生徒自分たちの力だけで崩すことができなかったそんなやりきれない思いと無力感が卒業するまで続いた。
今、色々な社会問題もあり、日本社会ではあのような形のブルマを学校で履いているところは皆無かと思う。
そんな状況に私はほっと胸をなでおろしている。
伊集院は、女子生徒には人気がなかったけど、彼の存在は、確実に当時在校していた女子生徒に、自分の思いを正々堂々とした形でムーブメントにすることを学ばせてくれた。
伊集院、今、どこでどうしているだろうか…
たまに同窓会に行くと、在籍当時確実に人気があった井上マーちゃんよりも伊集院のことを覚えている生徒の方が圧倒的に多いことに度肝を抜かれる。
全く、伊集院はどこまで優越してるんだ!!ってその度にみんなで苦笑しながら、当時のブルマ談義に花を咲かせるのであった。
『終わり』
***
この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。
「ライティング・ゼミ」のメンバーになり直近のイベントに参加していただけると、記事を寄稿していただき、店主三浦のOKが出ればWEB天狼院の記事として掲載することができます。
【天狼院書店へのお問い合わせ】
TEL:03-6914-3618
【天狼院公式Facebookページ】 天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。
【天狼院のメルマガのご登録はこちらから】
【有料メルマガのご登録はこちらから】