舌先三寸、野望の騎乗
記事:白井コダルマ(ライティング・ゼミ)
「ものは相談なんだけどね?」
私の年子の妹は、部屋に入ってくるなり切り出した。
「この話、わるい話じゃないと思うんだよねぇ」
仮にそれが本当にいい話なら、こんなもってまわった言い方はしない。
読みかけの漫画を膝に置いて、ドアのほうへ向きなおった私は、警戒しながら妹の次の言葉を待った。
「ジョーバを、買うといいと思うのです」
今から10年前の2006年夏のこと。
かつて肥満児だった年子の妹は、中学の頃の厳しいダイエットの末にギリシャ彫刻のような体を手に入れ、今は維持とケアに余念のない日々を送っていた。
24歳おんな盛り。
もっともっと美しくなりたいという欲求は限りを知らず、部屋にはプレイメイト(米雑誌『PLAY BOY』に登場する美しいモデルたち)のピンナップが貼られ、趣味の模型作りの時にもビキニを着用して、ボディラインのチェックを欠かさない。
私が部屋を訪ねた時には、全裸の状態で全身鏡に後姿を映した妹が背中からヒップへのラインを一心不乱にデッサンしていたということも、一度や二度ではなかった。
「確かに努力はすごいけどさ、あなたは一体なにを目指しているのかね」
圧倒されつつ、さすがに呆れて聞いてみたことがある。
壁から主張しているプレイメイトたちの体はどれもぱーんと肉厚で、エロスというより不健全なまでに健全なセクシーに満ちていて、なんというか、Aカップの日本人小娘に目指せるシロモノには見えなかったからだ。
「わかってないなあ」
グリーンのビキニであぐらをかいたまま、恐竜の模型を作っていた妹はこちらへ向きなおって首を振った。
「目指すことに意味がある。月並みだけど、そういうことよ」
彼女の体型維持法は、主に地道なものだった。
怪しげな宣伝文句には惑わされない。
お腹に巻くだけで電流が流れて脂肪分解するベルト! とか、
洗うだけでみるみるやせていく不思議な石鹸! とかには目もくれない。
あくまで地道。
しかし、ちゃっかり者でもある妹は「一石二鳥」というフレーズは無視できなかった。
歯磨きしながら片足スクワット。雑談中はその場でスキップ。
その妹にとって「ながら運動のできる地道なダイエット器具」は、定期的に欲しくてたまらなくなる魔法の存在だった。
たとえば大学時代に通販で購入した一人用のトランポリン。
直径1メートル足らずでありながら、存在感は抜群だった。
「英文を覚えながらリズムよくインナーマッスルを鍛えられるんだ!」
――大学では寮生活だった妹は、その時4人部屋だったのに。
「え、同室の人? 気にしてないと思うよ。何も言ってこないし」
――言ってなければ思っていない、わけではないのだよ。
姉の思惑をよそに、妹はにこにこと英単語片手に飛び跳ねていた。
使いもしない器具を買いあさることはしなかったが、吟味された一石二鳥の器具たちは少しずつ、着実に増えていった。
そして卒業した妹が実家へ戻ってきた2006年。
家庭用乗馬マシン「ジョーバ」は4代目となっており、価格も登場時より随分手ごろになっていた。
「そこで、だよ。ついに買う時がきたんだと思うわけ」
自信に満ちたおももちで、じわりじわりと近づいてくる。
「家にいながらにして、乗馬運動ができるんだよ! インナーマッスルだよ!」
「いやいや。いらないよ。だいたい安くなったといっても高いんでしょ?」
私の言葉に、にやりと笑う妹。
「それがね、今ならアマゾンで10万円以下なの」
あれ? 意外と安い? という驚きが顔に出てしまったのか、さらに笑いを深くする妹。
――しまった。
「だからさ、3万でいいよ。母にも聞いてみるからさ、1人3万出してもらえばいいわけ。置くのは我が家のリビング。みんなで使おうよ」
「で、でも、3万だって私にとっては高いよ。やっぱりムリ」
「大丈夫!!」
さらにずずいと距離をつめられる。近い。
膝に置いた漫画が床に落ちる。
「とりあえず貸してあげるから!ゆっくり後から返してくれたらいいから。早くしないと売り切れちゃうよ」
結局、私は頷いた。
なんだかんだで気になってもいたのだ。
ジョーバにのんびり揺られながらテレビでも見て、お腹ヤセできたらいいじゃない?
私の返事に満足した妹は、さっと身を翻して部屋を出ていきかけ、ドアのところで立ち止まって振り向いた。
「じゃ、早ければ今週中には届きますんで」
なんと、ジョーバはとっくに購入されていたのだ。
個人的に決断して買ったくせに、後から人を巻き込もうとしたのだ。
信じられないちゃっかり者。
階段を降りると、母がリビングでお茶を飲んでいた。
「ねえ、聞いた? ジョーバの話」
「聞いたよー。みんなで出すってやつでしょ? 4万でいいっていうから出すことにしたよ」
――1万増えてる!!!
ちゃっかり者で地道で、いつでも一石二鳥を狙う妹は、届いたジョーバを活用しまくり、まっ平らなお腹を手に入れていた。
私は、なんだか面倒になって続かなかった。
今も実家にでんと鎮座するジョーバは、今は3歳の息子の格好のアトラクションになってる。
「おう、そうだそうだ、どんどん乗りなさい」
息子の嬉しそうな顔を見ながら私はつぶやく。
あの3万、今こそ消費しつくすのだ。
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