メディアグランプリ

ビジネスマン三十六歳が小説を書き始めた理由


記事:ダモイ コジロー(ライティング・ゼミ)

「小説、書いたことある?」

そう友人に聞くと

「中学生の時に一行だけ書いた」

という返事。

僕も小説を書いたことなんてなかった。

でも、小説やマンガの物語が好きで、いつかは小説書けたらおもしろそうだなぁと
頭の片隅で思っていた。
とはいえ、それは熱意というより妄想に近いもので、花火大会に行って
「花火打ち上げるのおもしろそうだなぁ」と思うようなものだった。

だって、小説なんて、まずどうやって書いたらいいのか分からない。
それに、書くにはすごく時間がかかりそうだ。
大学生の時のように自由な時間が山ほどあるならいいけれど、
それはもう十年以上前のことで、ほとんど麻雀に費やしてしまった。
仕事をしている今の生活では小説執筆なんて現実的じゃない。

そんな僕が、二〇一五年の十二月十三日、半年間の「小説家養成ゼミ」に入門した。

会場は生徒で満員。講師である元編集長の男性が前に座っている。
僕は最前列の真ん中に座っていた。開講三十分前に会場入りし、その席を選んだ。
この講座で小説を書いてやろうと熱い決意を持っていた。

とはいえ、熱意はあるものの、知識が全く持っておらず、「いろは」からのスタートである。

それこそ、「・・・」(三点リーダーというらしい)は、二個続けて書かないといけない
というような文章の初歩的なことから始まり、原稿を書く前にプロットというあらすじのようなものを
書くという小説執筆のお作法を学んだ。

プロの作家から生の声を聞く機会もあり、キャラクターをつくるために
細かい履歴書や年表をつくったりするという話を聞いて、そこまでやるのかと驚いた。

なんでも役に立つものは使ってやろうと、僕は毎回の講義で学んだことを
そのまま活かして自分の小説を書き進めた。

週末のほとんどが執筆に消えていった。平日も夜書くためにアルコールを我慢した。
正直な話、もうしんどいから書くのをやめようかなと思ったこともあった。
仕事でもないし、やめても誰も困らない。
それでも、やはり書き続けようと思えた。

その原動力が何なのかを説明するには、僕が小説を書こうと決意した
二〇一五年の十二月にさかのぼらないといけない。
小説講座に入門する二週間前の週末、僕は急きょ実家にある岐阜に帰っていた。
それは、じいちゃんのお通夜に参加するためだった。

お昼頃に到着したので、お通夜までは時間がある。
参列者も親戚もまだ集まっておらず、家の中は静かだった。東京と違って
車も全然通らないのでいつも静かなのだけど、その日の静かさはいつもと違った。
この家だけが洗われた清潔な空気で包まれているような気がした。

一階のお座敷には、じいちゃんの遺品が並べられていた。
このお座敷は元々八百屋だった。二十年前までじいちゃんが商いをしていた場所だ。
遺品には学校の成績表があり、手にとった。
「それおじいちゃんの小学校の成績よ」
母さんが近づいてきて、目を緩めて成績表を見る。
じいちゃんは成績が抜群に良かったようで、六年間全教科「甲」となっていた。
「これ、今でいうオール五ってやつでしょ。じいちゃん、すごかったんだね」
僕にとってのじいちゃんのイメージは、八百屋と熱狂的なドラゴンズファンというくらいで、
秀才のイメージはあまりなかった。
「よく見てみて。ひとつだけ三年生の国語に『乙』があるでしょ。
なんでも、おじいちゃんのお母さんは、この時に学校まで文句言いに行ったらしいわよ」
母は笑いながら遺影の方に目をやった。
「おじいちゃん、特に国語は得意だったんだって。出兵前には作文で新聞社の賞も
獲ったみたいだし、戦争がなかったら八百屋じゃなかったかもね」

そういえば、じいちゃんは八百屋を引退した後に自費出版で本を出していて、
僕もそれを読んだことがあった。その本には戦争の体験談についても書かれている部分があり、
個人が国同士の激流に呑み込まれ、それでも懸命に生き抜いた記録となっていた。

僕は高校生の頃のじいちゃんとの会話を思い出した。
それは、じいちゃんが八百屋をやめる頃だった。
「こじろうは、将来何をやりたいんや?」
じいちゃんは、いつもの大きな声で聞いてきた。
僕は思春期のバランスがとれていない時期だったのだと思う。
「別に……」
と言って、じいちゃんに背を向けてテレビの方を向いた。
「『別に』ってのはないやろう。なんかやりたいこと、ないんか?」
僕は、うるさいなぁと心の中でだけ返事をしてそのままテレビを見続けた。
「そんなんじゃ、だめやぞ」
じいちゃんはそういうと、僕の背中をバチーンと平手で叩いて去っていった。
当時の僕は不快感以外なにも感じていなかった。でも、去り際のじいちゃんの顔は、
なんとなく寂しそうに見えた。背中には痛みの余韻がジンジンと残っていて、
「やりたいことはないんか?」と繰り返し僕に問いかけていた。

お葬式が終わり、帰りの新幹線で僕はじいちゃんの書いた本をあらためて読んだ。
読み終わった車内で、僕は「小説を書こう」と決心したのだ。
じいちゃんの体験した戦争のことをもっと世の中の人に知ってもらいたいという思いがあった。
そして何より、やりたいことができるなら、やった方がいい。シンプルにそう思えた。

そうして、書き始めた小説だった。
調子のいい時は、一日に原稿用紙十枚くらい書き進めた。
十本の指が素早くキーボードをたたき、それは花火大会のラッシュみたいに次々と音を立てた。

そして、小説を書きはじめて一六六日目。

ついに、最後の一行に<了>という文字を入力した。一拍間をおいてかあらエンターキーを押す。
キーをたたく手に力が入っていたんだろう。キーはいつもより大きな音をたてた。

その瞬間、岐阜の長良川花火大会を思い出した。
長良川花火大会では、必ず最後に「おわり」の文字が浮かび上がる地上の仕掛け花火がある。
僕は長良川の河川敷で仕掛け花火を見ている自分を思い浮かべた。
横にはじいちゃんが立っていた。

暗闇を浮かび上がる「おわり」の文字は、炎がだんだん弱くなって、文字が少しずつはげ落ちておく。
あぁ、終わったんだなぁ。
ふたりでそれを眺めていた。

僕はじいちゃんの顔を見あげた。
じいちゃんもこちらを向いた。
そして、「よくやった」と言ってバチーンと僕の背中を叩いた。

 

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2016-06-07 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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