「でも、本当のことは知らないのよ」と妖艶な人妻は言った
記事:西部直樹さま(ライティング・ゼミ)
「それは、可笑しいわよ」と、妖艶な人妻はハイボールの炭酸薄めを一気呷った。
「それで我慢できるの?」空のグラスをテーブルに置き、おさらに、彼女は言いつのる。
「週一は、少なすぎる!」と息巻く妖艶な人妻。
「まあ、週六くらいが普通でしょ」と、わたしは冷静に述べた。
「そうそう、週四でも、足らなくて、週五とかに……」と妖艶な人妻は少し遠くを見るような面持ちである。
「おれも、週七じゃ我慢できなくて、つい窓の下で……」と、友人が遠くを見る目で語りはじめたところを、妖艶な人妻に遮られる。
「そうよ、我慢なんか、我慢なんてできない、そんなものじゃない」いつになく熱く語る人妻である。
「確かに! 週七の後というか、前というか、間に僕は駅でな……」と、若々しい人称を使っていってしまった。
「駅! 根性ないわね、わたしは週八にさらに廊下でよ」と、胸を反らして人妻はいうのだった。
「え~と、窓の下や駅や廊下でなにをするのですか?」
興奮した三人、特に声高に話す人妻に恐れをなしたのか、小さな声でおずおずと舞が訊ねてくる。
「なにって、アレよ、したこと、経験ないの?」
信じられない、と人妻が問えば
「ないです」と、きっぱりと舞は応えるのだった。
「そう、それはあなたがまだだからね」
「なにが、まだなんですか? もう二十五ですよ。ひと通りのことは……」
「でも、本当のことは知らないのよ」
妖艶な人妻は楽しそうに微笑む。
話のはじまりは、下北沢の外れの居酒屋からだった。
友人の発案ではじまった飲み会だった。発案と言っても、LINEに「下北で飲もう!」と書き込まれただけだったけれど。
旦那が海外に単身赴任中の妖艶な人妻とわたし、そして言い出しっぺの友人、それから、友人の後輩が集った。
友人の後輩、舞という名の女性の第一印象は、猫だった。
否、子リスか。
愛らしい女性である。
華奢で、あどけない表情が可憐だ。
近くにいる男性は、放ってはおかないだろう。
あるいは、遠巻きに見ているだけになるような女性だ。
なぜ友人がこのように素敵な女性をおじさんやおばさん(失礼)の集まりに連れ出せたのかは謎ではある。
とはいえ、和やかに飲み会ははじまり、ほどよく酔いも回り始めてところで、恋バナがはじまった。
おじさん、おばさんの大好物である。
特に、妖艶な人妻は文字通り舌なめずりをしながら(ソルティドッグを飲んでいたので、口のまわりについた塩を舐めていたのだけれど)聞いていたのである。
友人の後輩舞は、可愛い顔に似合わず恬淡な口調で語るのだった。
「結婚したいなあ、と思うのですよ。でも、なんかね、いいのがいないのですよ」
20代半ばの女性が口にする、よくある話である。
20代の女性のおよそ半分は恋人がいない、という統計もある。珍しくないことだ。
これだけでは、おじさん・おばさんは満足しない。当たり前だけど。
「これまで、いいのはいなかったの?」と、さり気なくわたしが繋げる。
「つきあった人は、何人かいるんですが、なんとなく終わってしまって……」彼女は淡々と語るのだった。
「つきあった人の中で結婚したいな、と思う人はいなかったんだな」先輩風に断定する友人である。なぜか、口もとが緩んでいる。
「ええ、まあ、つきあった人たちとは、週に一回くらい会うくらいだったので、なかなかそこまでいかなかった、って感じですかね」と、静かにワイルドターキーのロックを飲む彼女である。
彼女の言葉におじさん・おばさん連合は即座に反応した。
「週1って、週に一回しか会わなかったのか?」怪訝そうに友人は問う。
「そうです、つきあっても週1くらいがちょうどいいじゃないですか」と、舞はワイルドターキーのロックダブルをオーダーする。
「いやあ、それは……。好きでつきあいはじめたんでしょ。なのに、なぜ、週1……」わたしは彼女が別種の生き物に思えた。
「だって、自分の時間が欲しいし、それ以上は面倒くさいし、でも、そういうものじゃないですか」と、小首を傾げる彼女。
彼女の話にいきり立ったのは妖艶な人妻だった。
というところで、冒頭に戻るのである。
「それは、可笑しいわよ」と、妖艶な人妻はハイボールの炭酸薄めを一気呷った。
「それで我慢できるの?」空のグラスをテーブルに置き、おさらに、彼女は言いつのる。
何が我慢できないのかって、それは、「会うことだ」
つきあう、好きでつきあったのなら、それはもう、会いたくて堪らないだろう。
私たちが若い頃の恋愛ソングの一節に、腕が痺れてしまうほど、受話器を握りしめていた、というのがあるように、会えなければ電話で数時間は話し、会えるときはできるかぎり会う。
会いたくて堪らず、夜中に彼女の住む家まで行き、彼女の部屋の窓の下から声をかけたものだと、と友人は語った。
わたしは、会う時間がなかなか取れないときは、彼女が使う駅の改札で待っていたりしたものだ、とわたしは言ったのだ。
そして、妖艶な人妻は、会いたくて彼の住むアパートの廊下で帰りを待っていた、というのだ。
舞は、
「そんなに……、そんなにはならないですよ」と、変わらず恬淡な彼女、ワイルドターキーのトリプルをクイと飲み干した。
友人もわたしも、何か違うと思っていた。
それは、違うのだ。
なんかとか、彼女にわからせようと言葉を尽くしたけれど、彼女は
「いえ、そんなことないですって、ちゃんとつきあっていましたし」と言いつづけた。
妖艶な人妻は、おじさんたちの話を取り合わない彼女に向かって静かに言うのだった。
「本当のことは知らないのよ」と。
「本当のこと、ってなんですか」さすが酔いが回ってきたのか、少し据わりはじめた目を向ける舞。
「それは、人を好きになる、どうしようもなく好きになる、ということ」と、妖艶な人妻は、舞の額を人差し指で軽くはじいた。
「そうやって、大人は若者をバカにするのだわ」と、舞は言ってワイルドターキーのお代わりを頼むだった。
舞は少しして帰っていった。
残ったおじさん・おばさんたちは、彼女の後ろ姿を見ながら、深く溜息をついた。
「まったく、最近の若いのは……」
「若いのは、燃えないね、愛に」
「愛こそ、全てだったのに」
その後、三人はそれぞれのグラスを見つめ、それぞれの思いにしばし浸っていた。
それから、幾許かの日が過ぎて、再び4人で集まることになったときのことだ。
舞は、乾杯のあと、報告とお詫びがあると、切り出した。
「この度、わたし結婚することになりました」頬が紅潮している。
おめでとうと三人。
「それで、皆さんにお詫びをしなくては、というか、わたしが間違っていたことをお伝えしなくては、と思ったのです。
前にお会いしたとき、つきあっても週1でいい、とかいっていました。
皆さんに、それは違うといわれて、何を言っているのだろう、このおじさんたちは、と正直なこと思っていたのです。あ、ごめんなさい。
でも、彼に会って、週1なんて、うそだった、というのがわかりました。
毎日でも、いや、会って別れた直後にすぐ会いたくなったのです。もう、ダメダメでした。
その時、皆さんの話が、こういうことだったんだ、ってわかったんです。
本当のことを知らなかったんですね。
皆さんの話を思い出して、実感できたんです。
これが本当のことだって」
舞は、深く頭を下げた。
友人はこそばゆそうな、哀しそうな顔して彼女を見ていた。
妖艶な人妻とわたしは目を交わし、小さくガッツポーズをした。
そして、小さく呟いた。
頑張れ、若者、本物を見つけて、毎日会いに行けよ、と。
***
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