おじいちゃんの最後のお年玉
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記事:平田台(ライティング・ゼミ福岡会場)
春が近づくと、近所の小学校の桜が楽しみになる。そして、少し淋しくなる。
4月8日は祖父の命日なのだ。10年以上経ち、私も四十路を過ぎたというのに、おじいちゃんの笑顔にまた逢いたいと、想ってしまうのだ。
見送る日は正に桜吹雪の中だった。88歳で旅立つ最期まで一所懸命に、丁寧に生きたおじいちゃんを、空から誉めていただいているようだった。
地元埼玉を出て羽田空港から住まいのある福岡空港まで戻る飛行機の中、オーディオから流れる「涙そうそう」を聴きながら、流れる涙を忘れるほど泣き続けてしまった。福岡に近づき、着陸体制に入った頃、進行方向を背にして座られたCAさんが、私のひどい泣き顔を見て、とても心配そうな顔でいることに気づいたが、その優しい眼差しに流れる涙と鼻水は勢いを増してしまうのだった。
おじいちゃんは、海兵だったそうである。そうであるというのは、私がまだ小学校低学年の頃「平和教育」を学んだ年のお盆に「おじいちゃんは、戦争に行ったことがあるの?」と悪びれもせず訊いてしまったのだが「うん、あるよ」と目を合わせずに、低い声での返事を受けてから、話題とすることはなかったからだ。母から聞かせてもらえたことといえば、戦時中にビルマ軍の捕虜となり、多くの仲間を失ったこと、終戦後に肺結核を患い肺がひとつしかないのだということ、娘である母にも戦争のことは殆ど語らないということだった。終戦後体調が戻ってからのことは、商工会議所で真面目に働き続け、家では祖母を手伝い、煮干しご飯を炊くときには煮干しの頭を丁寧に取ってくれていたこと、古新聞をまとめるのがとても上手で、角はぴっちりと揃い、新聞を纏める紐は固く結ばれてその束は微動だにしなかったこと、口癖は「ご飯粒を残したら、目がつぶれる!お百姓さんに申し訳が立たない」だったと話してくれた。母にとっては真面目で几帳面なお父さんだったのだ。
大好きだったおばあちゃんが68歳の時に他界してからは、口数が少なくなったようだったが、私の中でのおじいちゃんは、戦争の話をした時を除けば、会う度に「台、大きくなったねえ」と微笑んでくれる、優しくてあったかいおじいちゃんで、お盆とお正月に会えることが、とても楽しみだった。おじいちゃんの家に着いて呼び鈴を押してから、おじいちゃんが玄関に出てきてくれるまでの時間は早く逢いたいような、恥ずかしいような、何とも言えない幸せな時間だった。
あるお正月、おじいちゃんの家での夕食後片付けをしていた時のことである、常滑焼の急須を拭き上げようと上下を返すと、底面に黒色のマジックで「一九〇〇年〇月〇日 深草」と美しく力強い文字で書かれていた。食器にマジックで文字を書くなどという荒業に初めて出くわした私は「お母さん、急須の底にこんなことが書いてある、誰が書いたのかなぁ」と思わず口にした。母は、「あぁ。それは、おじいちゃんよ」と当たり前の事のように答えたのだ。食器に文字を書くということ自体最初は腑に落ちなかったのだが、その文字は素敵で、モノに寄り添い大切にする心が感じられるようだった。
その翌日だったと思う。和室の部屋の襖を開けると、炬燵に座るおじいちゃんがいた。ちゃんちゃんこを着たおじいちゃんの背中がピンと伸び、いつもと違う何かを感じた。和室は私の好きな墨のかほりが漂っていて、手元にはすった墨が入った古い硯と、筆、墨で書かれた文字でいっぱいの新聞紙があった。いつもの優しいおじいちゃんとは違う、きりりとした姿は書と向きあう姿だったのだ。
おじいちゃんのお年玉袋は、表に宛名「台へ」裏に「〇〇円」が必ず添えられていた。文字の「とめ」「はね」がしっかりと書かれ、数字もひとつひとつがはっきりしていて、おじいちゃんらしい文字だった。
80歳を過ぎた頃だろうか、大学生だった私は久しぶりにお年玉をもらい、少し申し訳ない気持ちでいた。家に帰り、見ると、文字の線が震え、その「台へ」が少し揺れていた。
そして、10,000円と書かれたお年玉袋に入っていたのは1000円だった。揺れる文字は、私の涙で更に歪んで見えたのだが、揺れながらもその1文字1文字はぶつかり合うことなく、丁寧に添えられていて、おじいちゃんの優しさ、丁寧さが文字を通して伝わってくるようだった。それが最後のお年玉だった。
縁あって、昨年の夏から月に一度書道を学んでいる。20年以上経っての書道教室は、「墨をする」、「姿勢を正す」、「ゆっくりと筆を運ぶ」という今の日常生活では縁遠いことの連続で、かけがえのない時間である。
そして、書く度におじいちゃんのように、丁寧で、あたたかな書を書けるような生き方をと思うのである。まだまだ落ち着きがなく、頼りない書を重ねているが、そんな私の姿にもきっと微笑んでくれていると想う。
***
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