メディアグランプリ

ナイルの庭の眠り姫


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記事:弥恵(ライティング・ゼミ)

10月だというのに、暑い。未だにセミが鳴いている。本当にお前ら、なんで8月に羽化しようと思わなかったのか。なんだって、あの暑い8月を土の中で乗り切って、今になって羽化するんだよ……。そして、1週間で木の下に転がっていくんだろ? そんなに力を振り絞って鳴かなくてもいいんだよ今頃。

俺はその日、車で女の家まで向かっていた。ただ女を拾いに行っただけだ。飯を食わせろだの、サンローランのワンピースが欲しいだの、よく喋る女だ。まったく、セミ以上に煩わしい。ぱっと見中々の美人だが、その実、化粧を落とすと目のサイズがだいぶ違う。いや、怖いよ最近のメイク術は。化粧が濃いことは見て分かるのだが、それにしてもその原型が想像できないほどに加工する術は、もはや整形レベルだろ。

まぁ、でも良い。外資系一流企業に入社したが幸い、大した成績も残せていないが、それでも中小企業に入社した同級生よりもだいぶ稼げている。特に趣味もない俺は、休みの日の過ごし方が分からない。もちろん、友人たちと飲みにも出かけるし、一人でふらりとドライブしたりもする。だが、それで充実しているのかと聞かれれば、答えられない。結果どうでもいい女と、ストレスを発散するように付き合ってみたりするのだが、つまらないことも分かっている。それなのに、こうしてこの女に呼び出されれば、おいそれと車を出す。まったく何をやっているんだ俺は……。

*

頭が痛い。寝不足。大体私は、そもそも8時間寝たい女なのだ。夜の10時には寝て、朝の6時に起きる。これなら、お肌のゴールデンタイムってヤツもしっかりカバーできる。だから8時間は寝たいのだ。それなのに、就職してこのかた、まともにこの時間に寝れたことはない。終電を逃して、毎日タクシーで帰る、体がすっきりしないもんだからほぼ毎週末マッサージに通う。故に貯金はない。もう、何の為に働いているのかなんて分かったもんじゃない。
東京出張なんて、最悪。あまりにも眠いもんだから、離陸前には寝落ちして、着陸の衝撃で目が覚める。だから私は、機内サービスのドリンクを飲めた試がない。それにしても、顔面の回復力が落ちてきた……。昔は、寝起きの顔に、シーツの皺の型が付いていても、家を出るまでには回復していたのに。全く、東京に着いても、ほっぺにうっすら皺が残っている。コラーゲンか? セラミドか? あぁ、もうサプリに頼る生活にもうんざり。それにしても、若さを保つ為には、やはり女性ホルモンか……。「セックスなんてサプリよ」と言っていた先輩を思い出す。なるほど、それなら金はかからんが。いやむしろ、サプリ的に買える男がドラッグストアにいないだろうか……。

*

どうでもいい女と過ごした週末も終わり、まだ甘ったるいシャンプーの匂いが残るその女を無理やり追い出し、京急に乗った。製薬会社で働く俺は、品プリで開催される学会の為に今日はドクターをアテンドすることになっている。学会が東京で開催されると大抵ドクターは残念がる。これが、福岡や札幌ならドクターは大喜びだ。中洲にすすきの。そりゃ、学会なんてどうでもいい話で、出張と託けて金と権力で女たちに囲まれるのであるから、羨ましい話だ。
それにしても、よく全国各地からこれだけの人間が集まってくるものだ。日本だけではなく、世界中からドクターが集まる。この業界に居ながらも、目の前で次々とスライドされていくパワーポイントの意味がいまいち分からないまま、俺は一人のドクターについていた。権威のあるドクターで、外人のドクターともよく会話をしている。とはいえ、全ての会話が英語でできる訳ではないので、通訳の女がついている。

この女。

先ほどから、英語と日本語で二人のドクターの橋渡しをしているのだが、そんな事に感心するよりも、この女の纏っている香水が気になる。今朝ほどまで一緒に居た女の甘ったるさと違い、なんだが森のような匂いがする。どちらかと言えば、男性が付けそうな香水なのだが、この女はそれを見事に自分から醸し出しているように、その香を纏う。どこか知らない国の、王国の庭のような。そこを散歩しているような、さわやかな香り。あぁ、その庭にはセミがいなければいいのだが。

*

ドクター同士の通訳は難しい。帰国子女の私は大抵の通訳はできるが、それでも医学部で学んでいたわけではないので、日進月歩の医学の世界で通訳をするのは簡単なことではない。日々論文が発表され、新しい言葉が次々に生まれる。日本語もそうだが、英語も日々変わりゆく中で、医学の話。あぁ、もう頭が痛い。だから寝不足は嫌いだ。8時間は寝たいのだ私は。

それにしても、この男。

日本人ドクターの横について、会場を回る男は、製薬会社の男だと紹介された。聞けば一流外資だし、それなりに優秀なのであろうが、まるでセミの抜け殻のような男。空っぽそう。ぱりぱりしてそう。つまんだら崩れそう。
ところで製薬会社さん。サプリ的な男は、ドラッグストアにも流通してるんだろうか?

*

会場を出たところで、あの女をまた見つけた。一人でソファに座り込み、そのまま寝てしまうんじゃないかというほど、とろんとした視線をどこかへ向けている。品プリのソファだ。そりゃ座り心地もいいのだろう。

「お疲れ様です」
「あぁ、製薬会社の。お疲れ様です」
「眠い? ですか?」
「あぁ、ごめんなさい。寝不足で」

“Leave me alone.”とあしらおうと思ったが、あわよくばサプリ的な男の流通経路について聞いてみようかと思い、大人の対応をしてみる。

「ところで、香水。何使ってるんですか?」
「ナイルの庭」
「ナイルの庭? という名前の香水ですか?」
「そう。ナイルの庭。エルメスの」

庭……。やはり庭か。この女、そのナイルの庭で何をやっているのだろう。

「エルメスに、庭園シリーズっていう香水があるんですよ。その第二弾がナイルの庭。」
「他にも庭が?」
「そうそう。地中海の庭と、モンスーンの庭、屋根の上の庭。それから、新作は李氏の庭」

まったく、セミ男にあまり用はないんだが。聞きたいのは、サプリ的男の入手方法。

「で、なぜナイルの庭を?」
「あぁ、私らしいから。それだけ」
「……。その庭、綺麗なんでしょうね。セミみたいな虫いなさそう」

あぁ? セミ? それはお前だろう?
いや正確には、抜け殻の方だが。つまんだら崩れるやつ。

「セミですか。そうですね。うるさいですからねセミは。ナイルの庭には似つかわしくない。まぁでも、1週間生きたあと庭の肥やしになるなら、それも良しですかね」

つまんでしまった。崩れてしまうんだろうかこの男は。

*

俺の一生は一週間で終わらない。だからこそ、惰性で生きているのか。それが許されているから、力を振り絞って鳴かないのだろうか。むしろ、横で今日も飯を食わせろだの、今度はシャネルのNo.5が欲しいだの言っている女の方が、必死に生きているのか。シャネルのNo.5は買ってやらぬ。エルメスになら連れて行こう。あぁお前の為には買わぬが。俺は今、ただナイルの庭で散歩をしたいと思っている。

*

相変わらず、8時間私は寝たい。それなのに、昨日も寝たのは夜中3時。まったく、お肌のゴールデンタイムなんて無視した20代の過ごし方。30歳になるのが怖い。40歳になる頃には、顔面の回復力はなくなり、ボトックスに頼るぞこのままじゃ。
それにしても、やはり製薬会社の男に、サプリ的男の流通経路を確認しておくべきだった。ドラッグストアにそんな男はおらず、道に転がっているわけでもない。
あぁ、頭が痛い。とりあえず、広島に着くまでの1時間半は寝よう。ナイルの庭に包まれて。ところで10月も終わるじゃないか……。そろそろ、李氏の庭に変えなくちゃ。ナイルの庭は秋冬にはトーンが軽すぎる。
そしてまた、来年の夏はナイルの庭に戻ってこよう。願わくば季節外れのセミではなく、美しい蝶に居て欲しい。私は、ナイルの庭で寝たいのだから。

 

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2016-07-08 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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