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良福寺のおばあちゃんが死んだ


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記事:宮村柚衣(ライティング・ゼミNEO)
 
 
「おばあちゃん、死にそうやねん」
 
絶え間なく振り続ける雨音を聞きながら、何気なく取った電話で母は言った。
大きくも小さくもない声だった。
 
母方の祖母は90歳を超え、数年前に脳梗塞で生死の境を彷徨ってから施設に入り車椅子生活を送っていた。一命を取り留め、元気と言えば元気だった。が、予兆がなかったと言えば嘘になるような生活を送っていた。遠からずその日はくるだろう、誰しもが思っていたと思う。
 
5月にしては珍しく寒い日だった。窓の外の雨は激しく、叩きつけるように窓を濡らした。
 
「えっ……。もう、あかんの?」
「うん。昨日から意識が無くて……。お医者さんが数日中には……って」
「わかった。明日、おばあちゃんの顔見に帰るわ」
 
私の住む東京からおばあちゃんのいる奈良までは、新幹線で4時間程度。近いとは言い難いが行けない距離ではなかった。
 
ざあざあと降り続ける雨は新幹線の小さな窓を濡らすと同時に、私の心を少しずつ冷やしていく。受け入れるしかない現実と知りつつ、できれば永く生きて欲しいという想いが交差する。
 
おばあちゃんの家は「にじょうざん」と呼ばれる2つの山が連なる二子山の麓にあり、「良福寺」と呼ばれる地域にあった。だから、私たちは小さい頃から「りょうふくじ」のおばあちゃんと親しみを込めて呼んだ。
 
おばあちゃんにとって私は初孫で、小さい頃から大変可愛がられた……訳ではなかった。どちらかというと煙たがられていたように思う。
 
小さな頃からハッキリと物を言うタイプの私と「女が出しゃばったらあかん」という考えのおばあちゃんは水と油だった。
 
27歳で東京に行くと私が言った時も、ものすごい渋い顔をしていた。
 
9人兄妹の長男に嫁いだおばあちゃんは「家」を守ることに生涯を賭けた人だった。自分の子供3人と夫の兄妹8人の面倒を一手に引き受け、朝昼晩の食事と掃除と洗濯をこなす生活を送り、お姑さんによる嫁いびりに耐える日々だったらしい。そんな毎日が私達の知る良福寺のおばあちゃんをつくっていったのだろう。
 
「意地は悪いが、愛想は良かった」
 
通夜の帰り道に母が言った言葉は言い得て妙で、おばあちゃんの生き方を正確に表現しているように思える。志村けんの意地悪ばぁさんのような、村社会で生き抜く術を身に着けた力強いおばあちゃんだった。
 
ただ、不思議と憎めない性格だった。
そして、笑顔が可愛く、子供のように笑うおばあちゃんだった。
 
毎年、年の瀬に執り行われる親戚一同が集まるお餅つき。準備の段から「おとろしい、おとろしい」と文句を言いながら、おばあちゃんは完璧に準備をする。「おとろしい」とは奈良弁で「面倒くさい」という意味で、おばあちゃんの口癖だった。
 
もち米3升ほどを水に浸け、蒸す。アンコを炊き、ヨモギをすりつぶし、きなこを混ぜる。熱々の餅を素手でもぎ取り、高速で丸める様は職人以外の何者でもなかった。
 
「もって帰ってくれなはれ」
 
そして、出来上がった餅は惜しげもなく親戚や近所の人に配った。昔ながらの杵でつく餅の味は格別で、多くの人を幸せにした。
 
お葬式の法話では、月命日にお念仏をあげに行く度におばあちゃんから手作りのおはぎをいただいたという話が出た。何かを作っては配り、作っては配りを繰り返したおばあちゃんの行為をお布施の精神がある方だったと坊主は言った。
 
お見合いで結婚した男前のおじいちゃんの事が大好きで、おじいちゃんが死んだ後15年間、毎朝5時に起きてお墓参りに行っていた。もちろん、お墓はいつ行ってもピカピカだった。
 
「肉、焼こか?」が口癖で、遊びに行くと食べきれない程の料理が食卓いっぱいに並んだ。「おばあちゃん、なんぼなんでもこんなに食べ切れへんで」と言うと、「ほうか」といたずらっ子のように笑った。
 
奈良に着くと大粒の雨は激しい音を立て、より一層降り注いでいた。
「おまえが遅いから、おばあちゃん怒ってるねんで」
車で迎えに来てくれた父に言われた。
 
ワイパーも効かないほどの大雨の中、病院に到着するとおばあちゃんは白雪姫のように眠り、美空ひばりの「川の流れのように」が、お嫁さんのスマホから流れていた。
 
「おばあちゃん、柚衣やで。ただいま。遅なってごめんな」
私はおばあちゃんの細くなった足を擦りながら、雨音に負けないように声を掛けた。
 
そして、その夜。良福寺のおばあちゃんは亡くなった。孫5人の顔を最後に見て安心したのだろう。当然、雨は止み通夜・葬式共に滞りなく進めることが出来た。
 
大学生の頃、アルバイト先で一緒になった年配の女性が「お葬式にはその人の人生が現れるのよ」と教えてくれたのだが、おばあちゃんの葬式は本当にその通りだった。
 
通夜・葬式では誰一人おばあちゃんのことを悪く言う人はおらず、「ええ人やった」と、口々に故人を偲んでいた。社会性が強く、大抵のことは「すんませんなぁ」と上手に流していたおばあちゃんらしい通夜と葬式だった。
 
そういえば、25年ほど前。おじいちゃんが生死の境を彷徨って入院していた頃、おじいちゃんの兄妹達が病院の待合室に集まってお重のお弁当をピクニックのように食べていたことがあった。高校生だった私はその光景が信じられず、「ここ病院ですよ。そんなお弁当広げて恥ずかしくないんですか?」と30も40も年上の大人達に公衆の面前で言い放ったことを思い出した。
 
おじいちゃんの兄妹達は顔を真っ赤にして怒り狂い、非常識だと私を罵ったがどっちが非常識なのだ? と、私は全く悪びれなかった。
 
その時も、おばあちゃんは「すんまへんなぁ、うちの孫が」と謝っていた。
 
「あんたもな、言いたいことばっかり言うてたら生きて行かれへんで」
 
後からそう言われたが、当時の私にはピンと来なかった。正しい事を言って何が悪いの? と、思っていた。
 
が、25年経った今、私はおばあちゃんの言葉が何となく解るようになって来たように思う。言いたいことを言って問題が解決するなら、世の中に揉め事はないのだ。時には建前も大事だということを、私は年を重ねるにつれ知っていた。
 
というか、言いたい事も言うけれども、どんな人でも受け入れながら角の立たない人付き合いを上手に廻す国宝級の技術をいつか私も会得したいと思っている。
 
もしかしたら、良福寺のおばあちゃんの「良福寺」は地名だと私達は思っていたが、「良い福を与える寺」のおばあちゃんだったのかもしれない。だって、おばあちゃんの回りには不幸な人が居ないのだから。
 
骨上げを堺に少し雲行きは怪しくなりパラパラと雨が降りかけたが、大きな池の見える墓に着く頃には、おばあちゃんが雨を止め雲の合間から太陽を覗かせた。みんなが濡れないように配慮してくれたのだろう。
 
「おばあちゃんらしい、不思議な天気ですなぁ」と、坊主は言った。
 
雲の合間から顔を出したおばあちゃんが、湖面をキラキラと照らす。
 
「ありがとうな」
 
きっと、おばあちゃんはそう言いたかったのだろう。本当に何処までも愛想の良いお人だ。
 
 
 
 
***
 
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