薬指が短かった逗子のおじさんのこと
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記事:Yushi Akimoto(ライティング・ゼミ)
田舎に住んでいると、たとえ未婚の身であっても子どもと接する機会は多くなる。お互いがある程度見知っているような距離感だから、子連れでイベントに参加して、大人は大人で楽しみ、子どもは子どもで遊ぶ、というのが割と日常的な風景になっている。親戚一同が集まったようなにぎやかさの中にいると、「ああ、これが、田舎の良さだなあ」と思える。しかし、そこには一つだけ難点があった。僕は、元々子どもの相手が苦手なのだ。
周りの大人は手慣れたもので、自分の子どもであってもなくてもごっこ遊びに付き合い、宝物を見つけたと言ってガラクタ自慢を始める子ども相手にきちんと感動してみせる。彼ら・彼女らは、その昔自分の親にそうしてもらっていたことをなぞっているのだろうか。そういうコミュニケーションにあまり馴染みのない僕は、周囲を先生にしながら、なんとか子どもたちと遊ぼうと試みるのだった。
子どものころに親と遊んでもらった記憶があまりないのは、酒販店を営む両親が店に出ずっぱりだったからかもしれない。むしろ、子どもの頃に大人と遊んでもらった記憶を思い起こそうとすると、決まって登場するのが「逗子のおじさん」だった。神奈川県逗子市に住んでいるから「逗子のおじさん」。親戚を「住んでいる地名」+「おじさん/おばさん」と呼ぶ習慣が我が家にあったおかげで、そういえば、下の名前が思い出せない。
「おじさん」と言っても、大叔父、つまり祖父の弟だったから、それなりの年齢だったわけだが、僕ら兄弟は「逗子のおじさん」が大好きで、我が家に遊びに来てくれたときには必ず相手をしてもらっていた。激しい格闘の末に、僕がとどめのスペシウム光線を放つと、おじさんは「ぐわあ!や・ら・れ・た・あ……!」と力尽きて地面に倒れた。孫たちを連れてドライブに出かけてくれた面倒見の良い祖父も、そういうごっこ遊びに付き合ってくれるタイプではなかったと思う。「逗子のおじさん」は、僕をヒーローにしてくれる貴重な存在だった。
「逗子のおじさん」は、禿げていた。そして、その禿げ頭をネタにしてしまうような人だった。バーコードのように隠す人もいるくらいに禿げていることは恥ずかしいことだと、幼心に思っていたから、失った毛髪への未練なんて一切ないようなカラっとした笑顔で冗談を言う様は、かえって気持ちの良いものだった。
「逗子のおじさん」は、片方の薬指が極端に短かった。聞くと、昔、機械に指を巻き込まれて切断されてしまったそうだ。事故の瞬間の光景や痛みを想像するとぞっとしたものだが、「逗子のおじさん」はここでもカラっとしていた。ためらいなく「触ってみるかい?」と手を差し出してくれた。恐る恐る触れてみると、第二関節に相当する部分の先端がなめらかな丸みを帯びていて、ごつごつした骨の触感と、その表面を覆うすべすべとした肌の質感とが不思議と心地よくさえあった。「痛くないの?」「全然、痛くないさ!」ある時点までそこにあったはずの指が、ない。しかし「逗子のおじさん」に悲壮感はなかった。あっけらかんとしていた。
「逗子のおじさん」のようになれたら、きっと子どもたちの人気者になれるのだろうけど。
僕が子どもと遊ぶのを苦手としているのは、きっと恥ずかしさがあるからだと思う。彼ら・彼女らと通じ合えるような言葉を喋り、おどけてみせるなんて、普段の自分と正反対のキャラクターを求められているようで、どうしても戸惑いが拭えない。うまく演じられないことへの不安がある。いや、守りたい自分のイメージがある、ということなのかもしれない。子どもたちと遊ぶたびに反省をする日々である。「逗子のオジサン」への道のりは遠い。
ツルツルの頭に、短い薬指。失われたという事実を毎日目の当たりにしているのだろうけど、それでも喪失感をおくびにも見せない「逗子のおじさん」は、失ったものたちから目を反らさず、ちゃんと真正面から向き合うことで、後悔や未練という感情から自由になったのだろうか。少なくとも、「過去」を受け止め、乗り越えてきた歴史を持っている、そういう達観めいたものを感じる。だから、幼かった僕が要求する様々な役割を何の衒いもなく受け入れてくれたのかもしれない。子どもながらに、カラっとした笑顔の中から、そういう器の大きさを見いだしていたのだと思う。
「逗子のおじさん」みたいにきれいに禿げてしまったとして、僕は、ツルツルになった頭を指さして周囲から笑いを取れるくらいに堂々としていられるだろうか。もし、指の一本を失ってしまったとして、うろたえることなく、後悔に浸ることなく、変わらず楽しく日々を過ごそうとし続けられるだろうか。あるいは、「どこどこのおじさん」なんて呼ばれるようになったときに、必殺技を放たれて華麗な死に際を演じ切ることができるだろうか。
「子どもと遊んでいる姿を見たら、将来結婚して子どもを持つ様子がイメージできたよ」
日々悩みながら子どもと関わっていたあるとき、そんな言葉をかけられた。僕の小さな努力も少しは報われつつあるようだ。まだまだ「逗子のおじさん」の笑顔には、叶わないだろうけれど。
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