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儲かってしょうがない夜


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:光山ミツロウ(ライティング・ゼミNEO)
 
 
「お客様ぁ、こちらのぉ、テーブル席でもいいですかぁ?」
 
いつもの座敷席にずんずん歩みを進めていた私を制して、店員の青年は気だるそうにそう言った。
 
初めて見る顔だった。
そんなこと、この店で一度も言われたことはなかった。
 
私は驚き、慌てふためいた。
 
「えっ? あっ、いやっ、いつもそこの座敷席に……」
 
と、言いかけた私を、彼は即座に遮った。
 
「いや、いま2人しかいなくてぇ、テーブル席でお願いしてんですよぉ?」
 
私が目の前にいるのにも関わらず、彼は、私と目を合わせることをせず、アサッテの方角に向かってそう言い放った。
 
感情というものが全く込もっていない、いや、意図して込めていない、あるいは、私という存在そのものを意識していない独り言というか、ため息というか、そんな物言いだった。
 
そして、あろうことか彼は、私のリアクションを待たずに、すたすたと厨房の奥に消えた。
 
「あなたに反論の余地? ないない! あるわけないじゃん!」
 
そんな、明確な意思を持った「すたすた」だった。
 
その顔は何故かニヤけてもいた(ように私には見えた)。
 
「ったく、人いなくて忙しいのに、厨房から遠い座敷席ってさあ! 空気読めっつうの。嗚呼、だりぃ」
 
彼の背中にはハッキリと、そう書いてあった。
 
私は一瞬にして、首筋から目の奥にかけて、私の体内を突き上げてくる、何やらどす黒いものを感じた。
 
首筋にぶっ刺された、一本の太い注射器。
筒の中には、重油のような、どす黒くてどろっとした液体が入っている。
 
その液体はみるみるうちに筒から押し出され、注射針の鋭利な針先を通して、私の体内に注入されていく。
 
そうして注入されたどす黒い液体は、瞬く間に目の奥へと突き上がり、黒い涙となって私の目から流れ落ちんとしていた。
 
怒りだった。
 
私は今まさに、首の奥から突き上げてくるどす黒い怒りによって、悔し涙を流さんとしていたのであった。
 
久しぶりに来た店ではあった。
コロナの影響もあって、数年ぶりだったと思う。
一見、どこにでもあるごく普通の居酒屋ではあるが、前はこんなにどす黒くはなかった。
 
もっとこう、何というか、全体的にカラフルで、あたたかい雰囲気だったし、店員さんも皆さん気さくで、客の先の先を読もうとする「できる人」が多かったように思う。
 
コロナの影響なのか、店の雰囲気や店員さんの矜持など、その様相は一変していた。
以前は夕方の開店と同時に、店の半分は客で埋まっていた。
 
が、今回は違った。
 
開店からずいぶん経つというのに、客は私たちだけだった。
 
コロナ禍で飲食業界が大変な苦戦を強いられているというのは、分かる。
知り合いにも飲食店を経営している者が複数いるし、彼らが資金繰りや人員の確保、そして将来への不安に、夜も眠れない日々を過ごしていたのも知っている。
 
しかし、それを差し引いても、私のどす黒い怒りは収まることはなかった。
 
「ちょっと何? いまの」
 
怒りと悔しさにうち震えながら、私は一緒に来た友人にそうつぶやいた。
 
「ホントだよ。今のはちょっと、ありえないよな。楽しみにしてたのにさ、何かすごい変っちゃったね。ふざけんなって感じ。こっちがバカだよ。もういいよ、出よう!」
 
そう言ってくれると思った。
共に闘ってくれると、そう思った。
 
が、彼は違った。
 
「え? テーブル席でもよくね? 人手不足なんでしょうよ、俺は全然いいよ。それよりさ、この前のあれさ、めっちゃウケたんだけどさぁ……◯◯が◯◯でさぁ、ぎゃはははは」
 
そういって友人は、さっさとテーブル席に座るなり、先日あった酒場での面白おかしい出来事のおさらいを始めようとした。
 
「え?」
 
私は肩透かしを食らった気分だった。
相撲でいうと、立ち合いの変化で、土俵に思わずコロンと転がってしまった力士のそれだった。
 
「ちょっと店員さん、何なんですか! あなたの態度は! 私はね、この店が好きで、よく通っていたんです。ここで飲む雰囲気が好きで、今日も楽しみにして来たんだ。それが久しぶりに来たら、何ですかこのどす黒さは! というか、そもそも、君は誰なんだ! とりあえず、人と話す時は目を見て話してくださいお願いしますこの通りです」
 
店員の青年への糾弾の言葉まで、すでにシュミレーションを終えていた私は、友人の切り替えの早さに驚き、愕然とした。
 
土俵に尻もちをつき、困惑した表情の私に、友人はつづけた。
 
「なに? ああ、さっきの彼? 気にしてんの? いやあ、もういいじゃん、怒ったってしょうがないしさあ。彼は彼で大変なんだよ。どこも人手不足だしさ。怒り続けるの、身体に悪いらしいよ。で、何飲むよ?」
 
ドリンクメニューを作り笑顔、というか、わざとらしいドヤ顔で見せてくる友人を前に私は、私の中から次第にどす黒いものが抜けていくのを感じた。
 
と同時に、この短い時間に、糾弾のシュミレーションまで綿密に用意してしまった幼稚な自分を恥じた。
 
「損益分岐点」
 
これは企業経営における用語で、売上高と費用が等しくなる一点、つまり損益がプラスマイナスゼロになるときの、売上高を指す言葉だ。
 
ここまで売上が上がれば儲かるし、この売上だと損をする……そういった判断をする際の指標となる一点である。
 
思うに、友人は損益分岐点を、それも「怒りの損益分岐点」を自分なりに把握している人間だった。
 
ある出来事を前にして強い怒りを感じた時、どうすれば自分にプラスになるのか、それともマイナスになるのか……を、友人はよくよく理解していたのであった。
 
翻って私はどうだったか。
 
「怒りの損益分岐点」を把握していないのは、明らかだった。
 
それどころか、従来からの客という立場を盾にとり、怒りにまかせて糾弾をし、結果、ずっと気分を悪くしたままで過ごす……という、自分にとってマイナスとなるであろう行動を、自ら取ろうとしていたのだ。
 
企業であれば、倒産への道を自ら進もうと、躍起になっているようなものである。
はたから見たら滑稽以外の何ものでもないし、こんな会社の周りには、株主や顧客はおろか、従業員さえも集まらないだろう。
 
人間、怒りは当然に感じる。
そりゃあ、どうしたって、人間だもの。
誰かに、何かに、心の底からどす黒い感情を抱いてしまうことは、ある。
 
しかし、その怒りを、自分でどうやって儲けに変え、収益化させるか。
 
それが、自分という会社を経営していく上での、非常に大切な要素であると、私は改めて思ったのであった。
 
「じゃあ、生ビール2つ! お願いします、ねっ(ニッコリ)」
 
注文を取りに来た例の気だるそうな青年に向け、私はこれ以上ないくらいの、心の底からの自己ベストな笑顔で、そう言ってみた。
 
今夜はがっぽり儲かる気が、私はした。
 
 
 
 
***
 
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