学校のかわりに選んだのは、数え切れない優しさの待つ場所だった
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記事:永井里枝(ライティング・ゼミ)
「いいんだよ、行かなくて。死にたいなんて思うくらいなら、やめようよ、学校行くの」
私は全力で言うだろう。
命よりも大切にしないといけない勉強なんて、あるはずない。
長かった夏休みも終わりが近づき、もうすぐ新学期を迎えるこの時期、学校に行きたくないと思うのは当然のことだ。
早起きが面倒くさいとか、課題が終わらないとか、そんな理由もあるかもしれない。
でももっと深刻に、じりじりと迫りくる始業式の恐怖に押しつぶされそうな人もたくさんいるはずだ。
夏休みが終わるこの時期に、1年の中で最も多くの生徒が自ら命を絶っている。
この事実を知っている人が、果たしてどのくらいいるだろうか。
実のところ十数年前の私は、学校に行くのが嫌で、嫌で、仕方がない学生だった。
何の役に立つのかわからない勉強も、連れだってトイレに行くのが当たり前のクラスメイトも、体育館の隅に追いやられた弱小剣道部の練習も、行き帰りの満員電車も全てが鬱陶しかった。
いじめを受けていたわけではないし友達と呼べる人もいたけれど、教室に自分の居場所は無いように思えた。
大人になった今では忘れてしまっているけれど、10代の心というものは飴細工のように繊細で脆いものだ。
綱渡りのような毎日を過ごしていたあの頃、「死」というものは今の私たちが思っているよりも遥かに近いところに存在していた。
それは時に、居場所を失った者への最後の光にすら感じられるのである。
でも、私は生きている。
とても近いところにあったそれを横目で見ながらも、ついに自分の中に招き入れるまでは至らなかった。
それは、ある場所に通っていたから。
家から自転車で10分ほどのところにある、幾何学的で殺風景な建物。
ガラス張りのエントランスから見えるのは、小さな子供を連れた母親や大学生らしき青年。
緑のエプロンをつけた女性がカウンターで黙々と作業をしている。
誰にも干渉されず、何も強制されることなく、私は自由に1日を過ごした。
そう、図書館にいたのだ。
特別な展示もないような普通の図書館だったが、それでも私の希望を十分にかなえてくれた。
まず気にいったのが、誰も私のことを気にしていないということ。
読書や自習をするために来ているのだから、一人でいることが自然である。
承認欲求を押し付けあうばかりのクラスメイトに付き合わされることもなければ、暑苦しい先生もいない。
教室で一人ぼっちだと「暗い奴」と思われてしまうかもしれないけれど、図書館にいればそれが普通。
うるさい人は追い出される。
勉強の内容に関しても、教科書と図書館の本さえあれば問題ない。
入試関係の参考書も、自分では買えない値段の便覧だって見放題だ。
そもそも学校に、教科書の内容を超えた授業をしてくれる先生がどれくらいいるだろう。
教科書以上のものが得られないのなら、先生というフィルターをあえて通す必要はない。
そして、30人の生徒がいれば理解するスピードも30通り。同じペースでカリキュラムをこなしていくことには無理がある。
ならば自分にあったスピードで進めていく方が効率的ではないだろうか。
得意な科目はどんどん進めて、苦手な科目にたっぷりと時間を使うことができる。
しかし、なぜ私たちは勉強しなければならないのか。
誰しも一度はぶつかる根本的な疑問だ。
読めるけど話せない英語、もう二度とお目にかかることはない複雑な図形の面積を求めたところで、一体何になるのだろうか。
考えに考えた挙句、勉強を料理に置き換えてみたとき、その答えにたどりついたような気がした。
もしかして、学校での勉強は知識の習得が目的ではなく、「勉強の仕方」を習得することが目的なのではないだろうか、と。
きっとそうだ、そうに違いない。
料理教室に行けば予め材料が用意されており、先生の教える手順通りみんなで調理し、最後にそれを食べる。
しかし料理教室の目的は作った料理を食べることではない。作り方や技術を習得することだ。
同じように勉強の仕方を技術として習得すれば、別の勉強をするときにも応用が可能だ。
料理教室で教わったレシピにアレンジを加えて、家族にふるまうように。
だとすると、図書館で勉強するということは、学校の授業を受けるよりも遥かに効率がいい。
教科書とほぼ同じ板書をノートに書き写しながら先生の話を聞く受動的な勉強よりも、自分に合った方法を試行錯誤する自習の方が能動的といえるだろう。
学校での勉強が料理教室なら、図書館での勉強は創作料理のシェフといったところか。
先生と味の好みが違って喧嘩になることもない。
そして何より、図書館にはたくさんの本がある。
当たり前のことかもしれないが、自習室やフリースクールとの大きな違いはこれだ。
10代の悩みはとても複雑で、誰に相談すれば良いのかわからない、相談しようとしても上手く説明できない、なんてことが多い。
でも手に取った本の中で、同じような悩みを抱えている主人公に出会ったら、きっと勇気がもらえるはずだ。
顔も知らないその主人公を自分の分身のように感じ、作者は自分の理解者のように思えるだろう。
「ひとりじゃないよ」と、あなたの背中を押してくれる本がきっとある。
十数年前のあの頃、朝9時の開館から夕方ホタルの光が流れるまで、参考書と本を交互に開く毎日だった。
言葉にならないモヤモヤとした感情。
思うように捗らない勉強。
将来への漠然とした不安。
気分転換の読書でたまたま手に取った本には、必ずと言っていいほど心揺さぶられる一節があった。
混沌と立ち込めていた雲の切れ間に一筋の光が射し、ゆっくりと視界が開けてくる。
「わたし、生きていていいんだ」
図書館の隅で声を殺して泣きながら、「ありがとう、ありがとう」と心の中で叫んでいた。
顔も知らない誰かの言葉は、綱渡りの私の心に手を差し伸べてくれた。
もちろん全ての人がそうだとは言わない。
ただ、本を読むことで救われる人生があったのは確かだ。
そしておそらく、その作者も若かりし頃に同じ体験をしているのではないだろうか。
自分が書くことで救える人生がある。それを知っている作者が命がけで紡いだ言葉の並ぶ場所、それが図書館なのだ。
もしもあなたの近くに、学校に行くくらいなら死んでしまいたいという生徒がいたら、学校には行かず図書館に行くことを勧めてみてはどうだろう。
そして、もしあなたがそう思っている学生ならば、この記事は「あなた」の勇気になるために書かれたものだ。
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