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家族写真とともに後悔しつづけるということ


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:吉田実香(ライティング・ゼミNEO)
 
 
「最期を、どこで、どのように迎えたいですか?」
こんなデリケートは質問を、仕事では、わりと日常的に使っている。赤の他人である私が、当のご本人やそのご家族に向かって、こんな質問をする場面がよく訪れる。
 
私は在宅のケアマネジャーとして働いていて、日々お年寄りと接している。
ケアマネジャーとして関わるということは、高齢であり、病気や障害などによって何かしらのサポートが必要な状態であって、死を意識する場面も多い。
定期的なアセスメントや聞き取りで、「まだ先のことですが……」「ぼんやりとしたイメージでもいいのですが……」などの枕詞をつけてカジュアルに質問することもあれば、もう命の期限が迫る中で、とてつもなく重苦しく、悲しみに満ちた空気の中で質問しなくてはならないこともある。
もっとも、後者の、そんな緊迫した場面では、私ではなく医師や看護師など医療職の方が、今後の治療の方向性も含めて質問することが多い。そういう時は、その役割から逃れられたという安堵感を覚えてしまうのだが、それは、まだまだケアマネジャーとしての責務を全うできていない証拠なのかもしれない。
つい先日も、がん末期の方と関わり、急激な病状進行により、私がこの質問をする間もなく、あっという間に旅立たれてしまい、残された家族の悲痛な思いを、ただ聞くことしかできなかった。
 
そんな無力感を感じた数日後、その日は突然にやってきた。
私が、その質問を受ける側になった。
飼い猫に、病気がみつかったのだった。
検査は途中であきらめたため、確定診断ではないが、腸のあたりに5㎝もの大きな腫瘍があり、おそらくリンパ腫で、全身に転移しているでしょう、と。
検査をどこまでするのか、治療を積極的にするのか、高齢であることを考慮して緩和ケアに移行するのか、最期はどうしたいのか……。
 
8月後半から、猫の食欲が落ちていた。
気分であまり食べないこともよくあり、夏バテかな? と思った程度だった。
ところが、どんどん食べられなくなり、心配になり病院へ連れて行った。
しかし、これといった原因もわからず、もともと歯周病がひどくて口腔内の炎症があり、それが悪化したのか? ということで薬を処方され、様子をみることになった。
処方された薬はしっかり飲ませたが、食事量は落ちていく一方だった。
そこで、血液検査とレントゲン検査をすることになった。
血液検査上は、これといった異常はなかった。
しかし、先生は言いにくそうに続けた。
レントゲンでは、腸のあたりに腫瘍らしきものがあるのではないか、他の臓器にも影が……、これ以上の詳しい検査や手術等の治療を望むのであれば、大きな病院を紹介します、高齢だからこれ以上の検査や治療は望まないのであれば……。
後半は、ただただ涙が流れて、言葉がぐるぐる回っているだけで、頭の中には入ってこなかった。
 
 
猫は、もともとは、近所にいたノラ猫だった。
元は飼い猫で、捨てられたとの噂だったが、真相はわからない。
でも、その噂は確かだろうと思われるほど、人に慣れていて、誰にでもすり寄っていく人なつこさがあった。
2年前の夏に出会った。
一時期は、ごはんをあげたり、なでてあげたりと、関わりをもつようになった。
しかし、ノラ猫の生態や保護活動についてネットで調べてみると、ノラ猫に餌をあげることはノラ猫として生きていく能力を奪うこと、繁殖してノラ猫が増えると糞尿や鳴き声で住民に迷惑が及ぶ、等々、無責任な行為である、という説明がたくさん書かれていた。
責任を持って飼うか、飼い主を探してあげることができないのであれば、無責任に餌だけをあげるのはやめましょう、と。
自分がよかれと思ってしていたことが、無責任なことだったとは思いもしなかった。
それからは、関わるのをやめた。
気にはなったけれど、私は犬と暮らしていて、しかもひとり暮らしだ。猫の面倒までみられるはずがない。
でも、関わらないと決めてからの方が、遭遇することが多くなった。
そうこうしているうちに、だんだんと寒くなり、猫はもともと痩せていたけれど、さらにどんどん痩せて、弱っていっているようだった。
心配になり、犬の定期検診の時に、軽い気持ちで先生にそのノラ猫の様子を説明して、相談してみた。
先生は、きっと高齢かもしれない、その痩せ方ではなにか病気があってまともに食べられていないのかもしれない、この冬を越すのは難しいかもしれない……と。
その言葉を聞いて、いてもたってもいられなくなってしまった。
無責任に関わった責任も感じた。
そして、なんとかしてあげられるのは私しかいないのかもしれないという、どこからわいてきたのかわからない使命感を持って、猫を保護し、我が家へ迎えるに至った。
 
それから、約2年。
保護して病院へ連れて行ったときに、先生が言うには、10歳はこえているでしょう、とのことだったので、10歳として、その日を誕生日とした。
昨年、無事に11歳を迎えることができた。
そして、今年、なにごともなく、12歳を迎えられると思っていた。
でも、猫は、2か月先の誕生日を迎えることはできない。
 
 
悩んだけれど、大きな病院で検査をしてみることにした。
なにか、可能性があるかもしれない。
かかりつけの先生が、状態が良くないからと無理を言って予約を取ってくれたようだった。
隣の市にある、大きな病院へ連れて行った。
結果は、病状がより深刻であるという事実がわかっただけだった。
腫瘍専門の、若い先生だったが、とても丁寧に病状について説明してくれた。
そして、今後、検査をどこまでやるのか、治療の選択肢についても、何パターンも提案してくれた。
後半は、前回同様、ただただ涙が流れて、考えがまとめられなかった。
ただ、これ以上検査をすることも、老体にとっては負担であるし、ストレスである。そして、手術や抗がん剤、化学療法なんて、もっともっと負担である、ということはわかった。
「この子のために、どうしてあげたらいいんですか?」という言葉が、思わず出た。
先生は「それはいちばん難しい質問です。あなたが、どうしたい、どうしてあげたい、と思うかです」と。
いつも、担当しているお年寄りやそのご家族に、「どうしたらいい?」とよく聞かれる。そのときに私が返答している言葉、よく私が発している言葉とほぼ同じだと、ぼんやりと思った。
 
その場では結論を出せず、一晩考えることとなった。
これ以上の検査、治療を望むのであれば明日また受診、緩和ケアに移行するのであればかかりつけ医へ相談、ということになったが、心は、ほぼ緩和ケアで決まっていた。
可能性が少しでもあるならば、できることをしてあげたい気持ちもあったが、これ以上苦しい思いはさせたくなかった。
 
それからは、かかりつけ医へ毎日通い、対症療法で痛みや苦しみをできるだけ取り除けるようにしてもらっている。
もう、口からは、なにも食べられなくなってしまった。
あんなに大好きだった、ちゅーるですら、もう口にすることはできない。
 
8月後半の食欲が落ちた時に、もっと検査をしておけば……。
一週間前の、まだちゅーるとか好きなものなら口にできたときに、山ほどおやつを食べさせてあげればよかった……。
少しでも元気になる可能性があるならば、手術でもなんでも、できる限りのことをしてあげればよかったのか……。
いや、そもそも、日々犬を優先して、一緒に過ごす時間が少なかった。
そもそも、ひとり暮らしなのに、二つの命の責任を持とうとするなんて、持てると思ったなんて、傲慢だった。
保護したのも、これ以上苦しいことはさせたくないと治療をあきらめたのも、なにもかも、すべて私のエゴだ。
それに、猫は巻き込まれただけ。
あのままノラ猫生活のほうがしあわせだった可能性も、否定はできない。
誰もなにもしてあげないのであれば、私が! と使命感をもったのも、私の勝手、エゴだ。
 
この一週間、感情が大きく揺れ動き、自分のエゴに嫌気がさしたり、後悔を繰り返す中で、納得のいく答えではないけれど、ひとつ、みつけた答えがある。
それは、一生、ずっと後悔しつづけようということ。
そもそも、保護したことから始まり、猫にとってのしあわせ、猫がなにを望んでいたのか、なにが正しいのか、なにが間違っていたのか。
それらは、どうやっても答えをみつけることはできない。
だから、私が「これでよかったのだ」と私の都合で結論付けてしまうことは、それこそがエゴだと思った。
一生かけても解明できない難問について、ずっと後悔しつづけて、ずっと考えつづけていこうと思う。
 
そして、病気がみつかったときに、決めたことがある。
それは、毎日家族写真を撮ろう、ということ。
犬と猫の写真は、山ほど撮ってある。へたくそな、ただ写しただけの写真ではあるが。
しかし、一緒に写っている写真は少ない。
それに、犬と猫が一緒に写っている写真なんて数枚しかない。
結局、お互いの存在を尊重するようにはなったが、仲良くはできなかったから、いつも距離を保って生活していた。
だから、三人で写っている、家族写真を撮らなくては。
毎朝、三人で写真を撮る。
猫がいるところへ、犬を抱っこしていって、なんとかスマホで写真におさめている。
ぜんぜん、うまく撮れない。
犬か猫、どちらかが必ずそっぽを向いているし、私の写りがひどい。
猫はどんどん痩せて、小さくなってしまっている。
その姿が痛々しい。
でも、それでいい。
いつもの、いまの、そのままの姿を記録しておきたい。
 
 
愛猫のそばに寄り添って、明日の朝も一緒に迎えられるだろうかと不安になり、突然涙が出てきたり、かと思えば笑顔でなでてみたりと、情緒不安定だ。
でも、この一週間のできごと、考えたことを記録しておきたくて、この文章を書いている。
愛猫の命の火が燃え尽きてしまったら、この文章を読み返すことはしばらくできないと思う。
でも、一生後悔しつづけて、一生考えつづけて、そして一生変わらない愛と感謝で、愛猫にはずっと私の心の中で生きていてほしい。
どのくらいの時間がかかるかわからないけれど、いつかそのたくさんの複雑な思いとともに、でも冷静に、この文章を読み返すことができる日がくると、いい思う。
 
なにより、いま、この瞬間は、まだ愛猫は生きている。
なんて、しあわせなことなのだろう。
残り数時間なのか、数日なのかはわからないけれど、できる限り一緒にいよう。
そして、明日の朝、また一緒に写真を撮ろう。
三人で。
 
 
 
 
***
 
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2022-09-21 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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