結婚に期待する人へ告げる、結婚は人生の墓場である事。
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「ねぇ、なんで結婚したの?結婚していい事ある?」
ふと先輩の口からそんな言葉がこぼれた。私に言っているのであろうが、それはほぼ独り言に近かった。
時刻は23時。夜になると人間は感情が理性よりも優位に立つという。普段理性の塊のようなその先輩でさえもその原理には負け、日頃悶々と感じていたであろうその疑問を私にぶつけてきた。
「結婚ですか……なんででしょうかね」
既婚者の私は言葉に詰まる。すぐにいい返答が思いつかず「わかりません」と答えると、先輩は「お気の毒様」というような表情を浮かべた。
結婚は人生の墓場だと思う。
自由の時間がない、自由に使えるお金がなくなる……。
確かに。
私は、25歳で9歳上の男性と結婚した。23歳で交際スタート、24歳で同棲し翌年に結婚するというまぁまぁスピーディーな結婚だ。私が友人らに結婚することを告げると、ほとんどの友人が「もう?」「まだ遊んだほうがいいよ」と言ってきたものだ。
同棲し始めると噂通りいろいろな事が見えてくる。そのいろいろな事とは約9割自分にとって不都合なことだ。
私はその当時、1人暮らしもした事がなくそれまで実家でぬくぬくと生活してきていた女であった。炊事洗濯なんぞろくにした事がなくひとつひとつに時間がかかり、よく失敗する日々で、そんな自分がもどかしくて嫌でよく子供のように癇癪を起し、その飛び火は旦那へと引火していた。そのため、本当に今思えばくだらない事ですぐに喧嘩したものだ。
まず洗濯物の件で喧嘩した。
私は干した洗濯物は乾き次第きちんと畳んでまたクローゼットに入れていくようにしていた。何故ならそっちのほうが整理整頓できるし、1番の大きな理由は自分の母親がそうしていたからだ。しかし、ある日旦那は干してあった肌着が渇いているのを確認するとそれを取り着始めたのだ。
「ちょっと! クローゼットに肌着が入ってるでしょ! そっちから使ってよ」
普段綺麗に畳んでこまめにクローゼットにしまっていた私は自分の苦労を台無しにされた気がして、怒りにまかせてそう言った。急な私の剣幕に旦那もイラっとしたのか、
「こっちから着た方が、あとで畳まなくて楽だからこっちから使ったんだろ!」
と大きな声で言い、勢いよく浴室へ歩いて行った。
私は靴下を干すとき、足首側を洗濯ばさみで留めて干していた。
しかし、旦那は足先側を留めて干す。
私はお米の炊き方と、うどんやラーメンの麺はやわめが好きだ。
しかし、旦那はお米も麺も固めが好きだ。
私はワンプレートで本当はご飯を食べたい。洗い物も楽なので。
しかし、旦那はいろんなおかずの汁が混じるのが嫌だとワンプレートは嫌いだ。
私はドラマが好きだ。
しかし、旦那はドラマが嫌いでバラエティしか見ない。
私はあったかい食べ物は本当にアッツアツが好きで、湯船もアッツアツが好きだ。
しかし、旦那は猫舌で熱い食べ物は苦手で、熱い湯船も嫌いでシャワー派だ。
私は活字が好きだ。
しかし、旦那は漫画しか読まない。
合わない。本当に合わない。
趣味嗜好で「一緒だ!」となることはほぼない。よくよく思えば、合うか合わないかわからないうちに交際を始めたわけで、ただの凡人2人である。ぴったり合うなど運命共同体的な嬉しいハプニングは全くなかった。
私は、家事も本当に嫌だし苦手だ。たいてい家事をまとめてするのは、深夜の仕事の後だ。
朝、仕事から帰ってきて、洗濯機を回している間に掃除をし、その後洗濯物を干す。そして夕飯の買い物。買い物から帰ってきて、一息ついていたら昨日の夕方からろくに寝ていないせいもあってしばしの休息。そしたらあっという間に夕方になりご飯を作らなくてはならない。作っていたら旦那帰宅。
夕飯はブラックホールのように勢いよく旦那の口へ放り込まれ、食事が終われば片づけ。
そこでやっとやるべき事が終わる。そしてついでに1日も、もう終わる。
子供がいなくても自分の時間はだいぶ減った。
しかし、人間というのは適応能力の高い人間である。徐々に私たちの同棲生活は静かに穏やかなものになっていき、喧嘩は交際を始めた時に比べ激減した。ゴツゴツした上流の岩が、水の流れの中で削り落とされ下流に向かっていくにつれ小さく丸みを帯びていくように。
もともと赤の他人である。合わないことは普通なのだ。しかし、一緒に過ごしていくことで、当初なかった「思い出」が共通項として増えていく。
私はお構いなしに白米はやわらかく炊く。麺を湯がく時は旦那に任せる。
しかし、私はおかずごとに皿を分ける。
私は1人の時に取りだめしたドラマを見る。バラエティは旦那と見る。
汁物とお風呂はアッツアツにしてふぅふぅしながら食べ、たっぷり汗を流しながら入浴し、旦那は汁物も風呂もぬるめになってきた頃に手を付ける。
私はおもしろい活字の本をほぼ強制的に読ませ、気付けば旦那は勝手に池井戸潤にハマり勝手に池井戸潤作品をコンプリートしている。
洗濯物はいつの間にか、干してあるものから着るようになったいた。
絶妙な抜け感の頭髪は、テレビで放映されていた頭皮マッサージを行うと寸志程度の回復の兆しを見せたが、最近はそれ以上回復しなくなった。地球儀か何か丸い大きなものが入っていそうな大きく膨らんだお腹は、仕事から帰宅してその膨らみ具合を見ただけで、私は旦那が昼食にどのくらい摂取したかがわかる。たいてい麺類なのだが。
「美味しそう」とか思ったら旦那にも食べさせたいと頭に浮かぶようになる。
おもしろいテレビがやっていれば教えてあげようと思う。
時に―
洗濯物は綺麗に畳むが収納には直さない所に疑問を感じ、掃除をさせてみれば見事に障害物のない所だけを掃除した時には呆れかえった。
ハンカチをいつもスラックスのポケットに綺麗に入れ「きちんと感」を出すくせに、洋服は脱ぎ散らかし車内や鞄の中はぐちゃぐちゃなのは意味不明だ。
しかし、不都合なことほど愛すべきことではないか。そりゃ、この結婚指輪を投げつけてやりたいくらいにムカつくことはあるけれども。
結婚式なんかでよく「めでたくゴールイン」などという言い方もするが、あれはゴールではない。結婚がゴールならば、あとの長い長い結婚生活が余生になってしまうでないか。
そうではない。
結婚こそ新たな人生のスタートであり、人生の終末までを家族として一緒に駆け抜けていくのだ。お互いにとって不都合な事はお互いで埋め合わせをしていけばいい。
一方が苦手な事は、得意な方がやってあげればいい。
その代わり、自分が得意な事は率先して行えばいい。
どちらかの稼ぎが少ないなら、一緒に働けばいい。
無償の愛情や優しさを求めるなら、自らも同等のものを与えてあげればいい。
他力本願ではなく、共に幸せになれるように努力をしなければならない、と思う。
つい先日の話である。
私の大好きなキャラクターグッズを買いに1人でショップに赴いたのはいいが、見事に発売日前でまだ店頭になかった、と旦那に電話口で早口にまくしたてられた。
「店の前に発売日が書いた看板あったでしょ」と言うと気が付かなかったとのことで、店員さんにまで聞いたそうだ。サプライズで買ってこようとしたらしい。
小太りの中年男が1人で勇気を振り絞って、あのポップなカラーのショップに行った姿を想像するとなんだか切ないような可笑しいような話だが、きっとこれから先そんなエピソードは増えていくだろう。
「なんで結婚したの?」への返答は今も上手く答えられない。
しかし、そんなエピソードらがのちに答えになってくる気がする。私は自分の人生が終末を迎えた時、それをたくさん胸に抱え墓へ持っていこうと思う。一生添い遂げるのであろう今の人と一緒の墓へ。
結婚は人生の墓場だ。1人の大切な人と最期まで一緒に過ごしていくのだから。
結婚に期待する人へ言えるのは、結婚とはやはり非常にいいものであるという事。
ぷうぷうと寝息なのか鼾なのかわからない音を立てて旦那は寝入っている。
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