初めての恋が最後の恋、になると信じていた女の行く末
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記事:吉田 裕子(ライティング・ゼミ)
初めての恋が、最後の恋。
そんな展開を夢見ていた。小学校高学年、恋愛に多少の興味が出てきた頃の私である。
初恋の人と付き合い、そのまま結婚する。そんな、運命的な出会いによる純愛が、自分に訪れることを期待していたし、半ば、そうなることを信じていたように思う。
不幸にも、相手にフラれることはあるかもしれない。でも、自分は、好きになったら一途に想いを貫くに決まっている。だから、かなりの確率で、初めての彼と結婚できるだろう、と思い込んでいたのである。
その当時の私は、「浮気」や「不倫」などの言葉を嫌悪するだけでなく、「冷める」「飽きる」も徹底的に見下していたし、「価値観の相違」に至っては意味も分からなかった。若かった。青かった。そして、自分のことを過信していた。
蓋を開けてみたら、散々だった。
初恋は実らなかったし、惚れっぽいようで、次から次に色んな人に好意を抱いた。
初めて付き合った相手と結婚する、という展開もなかった。初めての彼は、私のことをとても好いてくれていたのに、私の方から別れを切り出したのだった。
しかも、その理由がひどい。「田舎から上京し、大学生活を楽しむうちに、彼との遠距離恋愛に興味が薄れてしまった」いう何とも身勝手な理由だった。
私は自分に失望した。
オマエは、言っていることとやっていることが違うではないか。
純粋な恋愛・結婚に憧れていたオマエはどこに行ったのか。
こんな自問自答をして途方に暮れることもあった。
そして、自業自得な話だが、他人を傷付けてしまったという痛みは、じわりじわりと自分のことも傷付けていく。ずるずると自己肯定感が下がっていく。
それからいくつかの恋愛を経て思い知らされたのは、相手のことをきちんと大切にできない自分の愚かしさだった。それでも、「恋をしない」という選択はできないでいた中で、このままでは、私は「すれっからし」になってしまうのではないかと思った。
……もしかしたら、既に、半ばそうだったかもしれない。初めての恋が最後の恋になることを夢見ていた少女は、15年の時を経て、ただのすれっからしになろうとしていたのだった。
26歳の冬。
私は、友達だった人を好きになった。
まさか恋愛に発展するとは思っていなかったので、女子力ゼロの会話や行動を繰り広げてきた相手だった。
初めて一緒にごはんを食べたのは、博多ラーメンの一風堂だったし、彼に特別な想いのなかった私は、大変美味しそうに替え玉まですすっていたというから、色気もへったくれもあったものではない。下ネタだって散々言っていたし、お互いの彼氏彼女の話も暴露しあってきた中だった。
それなのに、今さら好きになってしまったのだった。
それを自覚して以来、私はしばらく奇妙な体験をした。
明らかに退行したのである。
例えば、急に、その人の名前を呼べなくなった。それまで、苗字にさん付けで何気なく呼んでいたのに、好きになったら突然、何て呼んで良いか分からなくなったのだ。付き合い始めて、向こうは、私のことを下の名前で自然に呼ぶようになったというのに、こちらは照れてしまって、何とも呼べないのである。「中学生か!」と、自分でもつっこまずにはいられないのだけど、それでも、呼べない。なんだなんだ、オマエはだれだ。
付き合う前には、こんなこともあった。ふとしたきっかけで、好きなアーティストを教えてもらった。それまで、そのアーティストをじっくり聴いたことのなかった私は、即日でTSUTAYAに走った。彼が好きだという初期のアルバムと、ベストアルバムを借りて、早速MP3プレイヤーに入れた。そして、何度も聴いてニヤニヤした。聴きながら通勤していると、スキップせんばかりの勢いだった。平井堅の「POP STAR」を聴きながらスキップする26歳。おかしい。何かがおかしい。
もう良い歳である。
初めての恋ではないし、もう友達としては十分に知り合っている相手である。
それなのに私は、中学生のように顔を赤らめてしまうなど、シャイな行動を繰り返している。
すっかり、すれっからしになってしまったのではないかと思っていた中に、まだこんな、ピュアな部分が残っていただなんて。どうしたんだ、私……。
戸惑う私は、ある日、古典に一つのことを教えられることになる。
国語講師という仕事をしている関係で、古典に関する本をよく読むのだが、和歌に関する本を読んでいるときにある言葉に出会ったのである。
その言葉は「初恋」。
歌合などで、和歌のお題として「初恋」という言葉があるのだという。
かつて「初恋で結婚」に憧れていた私は、「おっ」と思い、その和歌を詠んだ。
「恋すてふわが名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか」
(恋しているという私の評判が早くも広まってしまったんだなぁ。人知れず好きになり始めたところなのに)
「忍ぶれど色に出でにけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで」
(隠していてもつい表情に出てしまうのだなぁ、私の恋は。何か悩んでいるのかと他人に尋ねられるほどに)
そうそう、初恋って、こんな感じだ。まだ自分の気持ちをうまく操れなくって、勝手にバレてしまうんだよなぁ……。おお、平安時代の貴族男性もなかなかカワイイではないか。
頷きながら読んでいると、次のような解説が目に入った。
「初恋という歌題は、『恋の初期段階』を意味する」
……あれ?
……あれ?
初めての恋、ではない?
恋の初め、なんだ……?
新しい初恋の定義である。
現代語では「初めての恋」だけを意味する「初恋」だけど、古文にまで目を広げれば、「恋の初め」という意味もある。
それを知った瞬間、私は、不思議なほどに、救われた気持ちになった。
「初めての恋」でなくては純愛ではない。幾度かの恋を重ねた自分なんて、もう純粋な人間ではない。そう思い込んでいたけれど、「恋の初め」であっても、同じように純粋に透き通った気持ちで、人のことを好きになれるのかもしれない。好きになっていいのかもしれない。……実際、自分は今、そんな風にあの人のことを好きになれているのではないか?
かつて私は、経験を重ねていくと、人間は、濁っていく一方だと思っていた。
でも、もしかしたら、光の三原色みたいに、複数重なることで、かえって明るく輝くパターンもあるのかもしれない。
何度目かの恋をいつになく純粋な気持ちで味わいながら、この恋を大切にしよう、と強く思った。
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