チャンネルの海で、私は溺れそうになっていた。《ふるさとグランプリ》
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記事:福居ゆかり（ライティング・ゼミ）
「あ、もう9時や。裏にして」
私がそう言うと、妹は面倒くさそうに辺りを見回した。
そして目当てのものを見つけると、わざわざこちらに投げてよこした。
「自分でやりねの」
ケチだな、ボタンの１つくらいいいじゃないか、そう思いながら受け取った私は操作をする。
ちょうど、ドラマのオープニングが流れるところだった。間に合った、と私はにんまりした。
福井県には民放が2局しかない。
たったの2つだ。
そのため、チャンネルを変えて欲しい時は「裏にして」と言う。ちなみにどちらが表、というわけではない。ただ、もう一方に変えたい時を「裏にする」と言う。それが当たり前だったので、特に不便を感じたこともなかった。
雑誌で見るドラマが面白そうだなと思っても、私の住んでいる地域では放送していなかった。けれどそんなことはよくある事だったので、またか、くらいに思って、さっさと諦めていた。
そんな私も県外の大学に進学することになり、福井を離れた。
引越し先で一人暮らし用に購入した小さなテレビをつけると、リモコンのどのボタンを押しても番組が流れること、そして全て違う局の放送が流れることに驚いた。
ついでにいうと、これまで使用していたボタンは12個のうち4つしかなかった上、チャンネルの番号と放送局が福井とは一致しなかったため、どの番号がどの局なのかがさっぱりわからなかった。
かろうじてわかったのは、民放以外で見ていたNHKだった。
あー、こりゃテレビガイド買わんとあかんね、そう両親が呟いた。
それまではテレビを見よう、と電源を入れ、ああ、これ面白くないなと思うと「裏」にチャンネルを変えていた。しかし、今ではチャンネルを選び放題だ。いくつも変え、どれを見ようか迷い、またチャンネルを変える。
私から見れば、2つが9つになっただけで、ぐんと選択肢が増えたのだ。
テレビの中はこれまで見たことがないくらいに広かった。こんなに選択肢がある中、みんなどうやって見るものを選んでいるんだろう。
例えばこの曜日のこの時間帯はこのチャンネルでこの番組がやってます、という情報を、みんなどれだけ覚えているのだろう。なかなか覚えられない私は目眩がした。
そう、私はチャンネルと言う名の海で溺れてしまいそうになったのだった。
藁をも掴む思いで、私は飲み会の最中にみんなどんなテレビを見てるの、と試しに聞いてみた。
あの番組が面白いよー、あーあれいいよね、口々に出てくる番組名とチャンネル。そもそも局名を覚えておらず、どの局がどのチャンネルかがうろ覚えな私は日テレでやってる〜、と言われても結局のところ、どのボタンを押せばいいのかわからなかったのだった。
勉強不足とチャンネル音痴にも程があるのだが、当時はとにかくいっぱいいっぱいだった。
情報を詰め込んでも参考にさえできず、話にも乗れない。
そうして息ができなくなった私は、自然にテレビから離れていった。
時は流れ、福井県を離れてからもう10年以上が経っていた。
私は里帰り出産のため、実家にしばらく帰ることになった。送るよ、と泊まりがけでついて来てくれた夫と一緒に玄関のドアを開ける。
久しぶりの実家での滞在。とりあえず、リビングに入るとテレビをつけた。隣にいる夫が「そういえば、チャンネル少ないんだっけ。今日の夜、あの番組が見たかったのになあ……」と、ぼそりと呟いた。
福井県の民放は、相変わらず2局しかなかった。
夫も翌日には自宅へと帰ってしまった上、あまり動かないよう医者に注意された私は、やることがなくダラダラしていた。本もネットもさすがに飽きた私は、仕方なくテレビをつけることにした。
すると、たまたま入っていたドラマにひどく見覚えがあった。あれ、これはこの間見たような……？ という妙な現象に、私はぎょっとした。
片手間に見ていただけなので自信はないが、デジャブにしては展開も覚えすぎているし、私には予知能力はこれっぽっちもない。
何より、放送時間帯が昼間、と変だった。おかしい、そう思って番組表を見る。
そして気がついた。
民放2局しかないため、その2局にいわゆる「売れている」番組を詰め込んでいることに。
そのドラマは視聴率が高かったため、福井では平日の夕方に一週間遅れで放送されていた。他にもそういったものがあり、私は平日の午後に「視聴率が高い」とされるドラマを見ていた。
番組を供給する側から、ヒットセレクションとして出してくれる。それは美味しいところ取りで、まるで、クッキーの詰め合わせのようで豪華じゃないか、と思った。自分で選ばなくてよいところが、悲しいことに選択できない私にはぴったりだった。
チャンネルの選局が得意ではない私は、ここに来て「チャンネルを変えよう」と思った時に「裏」にすれば良いことにホッとしたのだった。
子どもが産まれ、番組の選択を自分だけではできなくなってしまった今、私は必死で子ども向け番組のチャンネルを覚えている。あのアニメはこの曜日のこの時間、この番組はこの時間、と。
相変わらず、少し気を抜くと忘れてしまう。三つ子の魂百までと言うように、なかなか変われないのだ。けれど、デジタル放送の導入により、番組表が見られるようになったことで少しはマシになった、と思っている。あくまで少しは、だけど。
現在、私が住んでいる家は夫の希望により、BSが入っている。そのため、さらにチャンネルの選択肢は広がった。
私から見れば防大な数であり、海のようなチャンネルは、ますます増え続けている。
選択肢が増えたことはこんなにも自由で、そして、選択することすら出来なければ、こんなにも不自由だ。
ならば、自由を享受してやろうじゃないか。
この海で溺れずに自在に泳げるようになるには、あとどのくらいかかるのだろう。
私は今日の番組を思い浮かべながら、リモコンを手に取った。
＊＊＊
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