思い出したくもない光景が今でも時々自分を勇気づけてくれる、っていう話
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:桜井なな(ライティング・ゼミ6月コース)
「座ったら立ち上がれなくなるから、座るなよ」
そんな忠告をもらった経験はあるだろうか。
私にとって、良き思い出でもあり、目をつむって思い出すと目の奥と心臓がぎゅーっと痛くなるような、ちょっとしんどい思い出でもある話を、今日は書いてみようと思う。
20数年前、私が航空自衛隊の新兵だった時の話だ。
入隊後約4か月間行われる訓練の終盤で、訓練のメインイベントのひとつである「40キロ行軍」というものがあった。
早朝に基地を出て、20キロ歩いた地点で昼食をとり、同じ道を20キロ戻ってくる、一日で40キロ歩くだけというシンプルな訓練だ。
とはいえご想像がつくと思うが、水筒とおやつの入ったリュックを背負ってウォーキングシューズで歩くようなものではない。
リュックを背負ってはいるが、それは雑嚢と呼ばれる布のリュックで、入っているものは水と、通称缶めしと呼ばれる自衛隊専用の缶詰ごはんだ。サンマか何かのおかず缶もあったと思う。当然、おやつ? のバナナはない。
靴はと言えば、どう考えたって長距離歩行には向かない革の半長靴だ。くるぶしの少し上くらいまでの長さで、紐で縛って履くタイプのもの。編上靴(へんじょうか)と呼ばれている。4か月の間に少しでも皮を柔らかくしようと、踏んだり揉んだりソフトボールと一緒に縛ったりする。
防府南基地には4月から8月のピーク時には1000人以上の新兵がいる。
全員が同じ日に行軍はできないので数日間に渡って行うのだが、私たち女性自衛官大隊が行軍を行った日は、35度を超える真夏日だった。
言い忘れたが、雑嚢と編上靴以外の装備品としては、ライナーと呼ばれるヘルメットと、その上から通称テッパチと呼ばれる鉄帽もかぶっていたはずだ。
加えて、全長990ミリ、重さ4.3キロの64式小銃を肩に掛けている。
炎天下のハイキングには最悪の恰好だ。
前半はまだ皆元気だった。
地べたに座って缶めしを食べる時も、そのしょぼさに愚痴を言う元気はまだあった。
足にマメができ始めていた子もいたが、太陽が本格的にその威力を発揮する前だったこともあり、リタイアした子はいないか、いても1,2名だったのではないかと思う。
地獄絵図が広がったのは午後だ。
とても真夏のものとは思えない格好をして、首が痛くなるほどの鉄の帽子までかぶり、足になじみきらない革の編上靴で歩く、つい先日入隊したばかりの私たちの上に、太陽はただひたすらに照り続け、地上を蒸し焼きにしていた。
バタバタとリタイアする隊員が出始めた。
併走している救護車に次々と乗せられる。
私の班は総勢13名だったが、一人のリタイアも出さないことを当初の目標としていた。暑くなることは当然予想されていたので、全員覚悟と気概は持っていた。
が、あの日の炎天下は、覚悟と気概だけではどうにもならない悪魔であったのも事実だ。
私の班から最初にリタイアが出たのはどのあたりだったろうか。当然ながらリタイアする同期を責める者などいなかったし、正直、自分がまともでいることで精いっぱいだった気がする。
基地が近づくと、民家が多くなり車通りも増える。
そんなところで休憩することは難しいので、確か、基地から数キロ離れた空き地が最後の休憩場所だった。
そこである班長が、休憩に入るときに大声で言ったのが冒頭のセリフだ。
「座ったら立ち上がれなくなるから、座るなよ」
実はそれは、訓練当日以前から、何度も言われていたことだった。班長達はもう何年もこの訓練に立ち会っているわけなので、休憩で座ったあとに立ち上がれなくなった隊員を何人も見たのだろう。
しかし、私たちには、にわかには信じられない話だった。
疲れたとはいえ、椅子ではなくて地べたとはいえ、若い自分がほんの数分座ったくらいで立ち上がれなくなることなんてあるだろうか、そう思っていた。
一応素直だった私は、半信半疑ではあったが、班長たちが口をそろえて言うのだからと、なんとか立ったまま休憩をしていた。
すると、私の隣に立っていた、最年少でムードメーカーのさやちゃんが、「少しくらい座ってもいいっしょ」と言って、するっと地べたに座ってしまった。
止める間もなかった。
私とさやちゃんは、比較的エネルギーが残っている方だったと思う。
なので、軽口をたたいて座ったさやちゃんは、ひょっこり立ち上がって「さあラスト踏ん張るか」と言うものだと信じて疑わなかった。
……ほんの数分だ。
ほんの数分あとのことなのに、なんとさやちゃんは、立ち上がれなくなってしまったのだ。
気持ちが萎えたわけじゃない。
いや、結果的にはそうなったが、あれは体が先だったと思う。
さやちゃんの意に反して、体が動かなかったのだ。
そうなると、あっという間に気持ちもしぼむ。
さっきまでは元気組の一員だったさやちゃんが、あっという間に半べそをかき、結果、気付いて駆け寄ってきた班長二人に支えられて救護車の中に消えていった。
私は身震いした。
本当だったんだ。本当に、あの状態で座ってしまったら立てなくなるんだ。目の当たりにして、怖くなった。
もう、誰も何も言わない。
最後の休憩は終わったのだ。
町の明かりが見えるところまで帰ってきている。
まともな思考なんてできないが、あとはひたすらゴール目指して歩くしかない。あるとしたら、そんな思いだけだったろう。
そして数十分後、残念ながら大量のリタイアは出したものの、私たち女性自衛官大隊は、到着予定時間に基地に帰還したのだった。
そうやって始まった私の自衛官生活だが、12年半勤務したところで卒業し、その後はフルコミッションの営業マンに転職した。
フルコミッション営業マンには、締切がある。自分で設定した目標もある。最初から余裕を持ってやっていれば関係ない話なのだが、私はいつも追い込み型で、締切ギリギリまで戦っていた。
終盤になると、もうしんどい、休みたい、と思うことが多々あった。
そんな時に思い出すのが、思い出したくもないはずのあの時の風景と、誰かが叫んだあの言葉だった。
「座ったら立ち上がれなくなるから、座るなよ」
意味も場面も違うのだが、営業マンとして奮闘する自分に、言い聞かせていた。
ここで休んだら、立ち上がれない。最後まで走れなくなる。
申し訳ないけれど、立ち上がれなくなったさやちゃんのことを思い出しては、あともう少し踏ん張ろう、と自分を鼓舞していたものだ。
体力的にしんどいことがあると、「あの行軍よりはマシ」と思うことも多かった。
そう考えると、真夏日に当たってしまったあの行軍も、今となってはあれでよかったのかもしれない。
もちろん、最後まで歩ききったから言えることではあるのだが。
「無理せず、自分らしく」なんて言葉の方が昨今は流行りなのかもしれないけれど、無理を経験しておいてよかったと思えることもあるものだ。
僭越ながら、40キロ行軍とフルコミ営業を経験した私からアドバイスさせていただけることがあるとしたら、「ゴールが見えたら、しんどくても座るな、そのまま進め」ということだろうか。
あなたの人生にもどこかでお役に立てば幸いである。
***
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