プロフェッショナル・ゼミ

奴の隣席は・・・・・・《プロフェッショナル・ゼミ》


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記事:山田THX将治(ライティング・ゼミ プロフェッショナルコース)

Hとは、幼なじみの間柄だ。
“幼なじみ”なんて、この齢に成ると少々気恥しい。

Hと小生との出逢いは、小学四年生に上がった時、共に早生まれだったのでまだ9歳の時だ。この年、クラス替えが有り初めて同じクラスに成った。
小学校でよくあることだが、背丈順で席が決まる。ほとんど同じ背丈だった二人は、席が近くになり、自然と話すようになり、一緒に遊ぶ様になった。
Hは、勉強の成績はそこそこだったが、クラス一足が速く運動会では常にリレーのメンバーだった。Hの両親が陸上選手だったらしく、Hの姉も弟もリレーメンバーだった。遺伝だったら、諦めも早い。
当時の定番の遊びである草野球では、当然、一番バッターを務めた。イチロー選手が出現した現代なら分かるが、半世紀近い昔にトップバッターを買って出るとは、H自身も自らの足の速さが自慢だったのだろう。

温厚な性格、甘いマスク、足が速い少年独特の細身の体付きそして、抜群の運動神経で、Hはクラスの女の子に人気が有った。
小生の「女性にモテなければ、生きていても意味がない」との考えを、芽生えさせたのはHのせいだ。
何故なら、席替えの時等、Hの隣はそれこそ争奪戦となるからだ。テスト時に答えが覗ける程度しか得が無い小生の隣席とは、段違いの人気振りだった。しかも、当時通っていた小学校で使われていた机は、旧式の二席繋がった木製の物だったので、余計にHの隣席争奪戦は熾烈を極めた。敗れた女子の中には、泣き出す者が出るのが、学期初めの恒例行事となった。

Hとの同クラス生活は、3年間続いた。しかし、たったその期間だけだった。
中学入学直前に、横浜に戸建てを購入した両親に連れられ、Hは出生地を離れた。

暫く連絡を取り合うことはなかったが、小生が大学2年の時、母校の小学校が創立20周年(ということは、我等と同い年だったのだ!)を迎え、盛大に周年行事を行うことになった。地元に残っていた小生は、同窓会の役員に祭り上げられ、仕方なく同じクラスの者に、引っ越した者の連絡先を聞いて回った。小生が通っていた小学校は、通学地域に団地が有り、クラスの大半が引っ越して転出していた。連絡先探しには苦労した。
しかし、Hの引っ越し先は、地元に残っていた女子の殆どが知っており、何の苦労も無かった。手紙と電話しか、連絡の取り様が無かった時代のことである。

小学校を出てから、8年が経っていた。同窓会の連絡ついでに、クラス会を開くことになった。成人式も済んでいたので、会場は地元の居酒屋に決まった。
小生の地元は、当時としても進学率が低く、大学に通っているのは二割にも満たなかった。中には中卒で働き始め、立派な職人に成っている者もいた。二十歳にして既に結婚し、子供まで居る女子も居た。
そんな中で、小生の心配事はH隣に誰を座らせるかだった。若い頃の酒の席で、トラブルになることは明らかだった。女子間の争奪戦である。
折中案として、Hの両脇は男子が座ることとし、時間とともに席替えをすることにした。クラス会の始めは、Hを小生の隣、幹事役席に座らせた。
呑みなれない酒が回り始めた頃、小生が目を離した隙にHは女子に囲まれていた。中には、露骨に“お持ち帰り”されることを期待している者まで出て来た。
呆れた小生は、定時に会を切り上げ、二次会は男子のみで麻雀へ行くことにした。まだ、カラオケが出現する前の時代である。
この時は、Hの隣席をめぐって大きなトラブルは起こらなかった。

大学3年の時、小生とHは、夏休みに連れ立って北海道へ、ドライブ旅行に出掛けた。映画『幸せの黄色いハンカチ』に感化されてのことである。
映画に出て来る武田鉄矢と同じく、小生とHの目的(旅行の)は、ナンパであった。女の子に声を掛けるのは当然、受けの良いHの役目だった。その上、Hの運転は一息心許無かったことも、理由の一つだった。
道中、リュックを背負った女性二人組に声を掛けると、意外と簡単に同乗してもらえた。二人なので、安心だったのだろう。
後部座席に移ったHの隣は、またも可愛い方と相場が決まっていた。小生は、少しだけ心が折れた。

その様にバカな学生生活を過ごしたHだが、就職はあっさりと大手地方銀行に決まった。しかも、配属された本社内部署で、隣席に座る先輩女子といとも簡単に付き合いだした。
しかし、今回だけは悲劇だった。付き合っていた先輩カノジョの車で或る日、二人は軽井沢へテニスをしようとドライブ旅行へ出掛けた。当時はまだ銀行は土曜日でも半日営業しており、二人は夕方まで仕事をした後に出掛けたらしい。
高速度道路が出来る前、旧道の碓氷峠に差し掛かった時分には、すっかり日が落ちていたらしい。助手席の先輩は、既に眠っていた。Hは必死に運転していた。元々、運転がうまい方ではなかったHは、安全運転を心掛けていたが、運悪く峠道のセンターラインを越えて来た、ダンプカーに谷側へ落されてしまった。
Hは、意識を失ったものの一命は取り留めた。しかし、助手席のカノジョは、車外へ放り出され即死だった。
新聞沙汰にまでなったこの事故は、ダンプカーの速度超過が原因で、Hに過失は認められなかった。しかし、隣席に座って居たカノジョを失ったことに、Hはかなりのショックを受けていた。

Hに追い打ちが掛かった。
怪我も癒え、会社に復帰したHは、直ぐに人事部に呼び出された。横浜のはずれの支店、それもそこからまたはずれにある出張所への転属命令だった。
本社勤務というエリートコースから、一気に左遷された訳だ。理由としては、Hに過失はなかったものの、銀行名まで新聞で取沙汰されてしまったことと、禁止されている社内恋愛をしていたことによるらしい。「本来なら、懲戒解雇で有っても不思議ではない」と、人事部長から言われたそうだ。
いずれにしても、Hの出世は一年目にして無くなった。

ただ、これからがHの能天気な所と、負けん気が表れてくる。
どうせ出世出来ないと悟ったHは、ひたすら個人営業にかこつけて、外回りを続けた。こまめに営業活動をしていたのではない、ただ時間つぶしに外を回っていたらしい。
そんな折、住宅地を土曜日の午後に外回りをしていたHは、ある瀟洒な住宅の窓辺に、好みの女性を見掛けた。その日は素通りしたが、次の週も同じ地区を回ったらしい。
思い切って玄関のチャイムを押すと、しばらくして窓から見掛けた好みの女性が出て来たという。
先に書いておくが、Hが何故、一週間空けてから再度訪問したのか不思議でならなかった。女性には、直ぐに声を掛けるHが、である。後日聞いたところ、初めて行った時は、ガレージに車が有り、家族が居ると判断したためらしい。車が無いことを確認出来たので、次の週はチャイムを鳴らしたのだそうだ。
ここだけの話だが、Hは多分、“空き巣”としても生計が立てられたであろうと小生は思っている。

訪問した御宅は、財閥系生命保険会社に勤務する方の住居だった。当然、Hの地方銀行が取引出来る訳が無い。財閥の系列には、立派な都市銀行が有るからだ。
そこで一計を案じたHは、先ずその娘と付き合い、その後取引をして貰おうと考えた。ハンサムなHのこと、段取りは思った通りに進んだ。(幸運な奴だ、マッタク!)
財閥系社員(それもかなり上役)の口座を獲得したHは、その功績を認められ、主要支店への転属が決まった。(本当に、幸運な奴だ、マッタク!!)

数年が経った。周りで結婚する者も多くなった時期だった。たまに小生と逢っていたHだが、付き合っているカノジョが居るにもかかわらず、一向に結婚の報告をしてこなかった。シビレを切らし、小生が問い質すと、気の無い返事しか返ってこなかった。
「こりゃ、この結婚は無いな」と小生が考え始めた数か月後、Hが結婚すると言い出した。なんでも、小生に急かされたと思ったらしい。
小生は責任を取って、披露宴の司会を買って出た。
後日司会の為、二人の話を聞いた。プロポーズの言葉を聞いて、小生は膝を叩いて納得した。それは、
「なぁ、俺、今度結婚することにしたんだ。
 式には出席してくれるだろ?
 俺の隣に席を用意するからさ」
だった。

二人の結婚式は、初秋の横浜のホテルで行われた。盛大なものだった。
小生も司会で盛り上げた。
なんだか、収まる所に収まったなと感じた。
これから、Hの下手な運転の隣席には、彼女が座り続けるのかと考えていた。

数年後、二人の間に可愛い女の子が誕生した。
Hとは、時たま逢う事が有ったが、子育て中はそれもままならなくなった。
多分、Hの隣席は、彼女から娘の物に成ったのだろうなと想像していた。

ここままなら、本寸法の平和な家族話だが、現実はそう簡単に済まなかった。

余り逢うことが無くなったHだが、年賀状のやり取りは続いていた。
その裏面には、自分と奥さん、そして娘の名前が記されていた。
そんな年賀状が、数年続いた。
40歳の時、出世すると思われていた銀行を退職し、外資系保険会社に転社すると書かれていた。小生は、「Hの奴、思い切ったことをするなぁ」と思ったが、特に気にはしなかった。実際、年俸も上がり、Hは毎年の様に外車を買い替えられる身分になった。(運転が下手なくせに。マッタク!)
その内、年賀状にHの名しか記されなくなった。
娘が成人した頃、新婚当時に購入したマンションから引っ越したと記されていた。

何かが動いたような予感がした。

小生の予感が的中した。

御互いに50歳になった年、Hから届いた年賀状にはかなり若い女性とのツーショット写真と共に「入籍しました」と記されていた。
訳が分からくなった小生は、元日早々携帯を掴むとHにコールした。
「どういうことだ?説明をしろ、説明を!」
正月の挨拶をせず、小生は一気にまくし立てた。
「近々逢って、直接話すよ」とのことだった。

一月の半ば、Hから連絡が有り逢うことになった。
新しい奥方の事を聞く為に、小生は出向いた。話の内容は、こうだった。
娘が高校に入学した頃、離婚を切り出されたそうだ。理由は聞かないで欲しいそうだ。せめて、娘が成人するまでは待とうと説得したそうだ。別居する為、Hだけ転居し養育費だけは払い続けたそうだ。高給取りのHなので、相場よりかなり高ったそうだ。
Hは仕事を続け、ある時、取引先に顔見知りの女性を見掛けたそうだ。その女性は、以前勤務していた銀行で、Hが新人教育をした女性だった。
昔話をする内、自然と付き合うようになったそうだ。その女性も、離婚をしており、一人で高校生の息子を育てていたそうだ。
「オイ!もしかして、昔なんか有った間柄じゃないだろうな?
 それに、その一人息子の親が、お前だなんて言ったら承知しないぞ!」
小生は言った。Hのことだ、何が有ってもおかしくはない。
Hは、自分がその息子の父親では断じてないと誓ってくれた。しかし、その女性とのことは聞くなと言ってきた。
聞くなということは、間違いなく何かが有ったのだろう。(なんて奴だ、マッタク!)

それでも比較的裕福なHは、実の娘が社会人になったことも有って、新しい奥方の息子の学費を、全額負担したそうだ。Hにも、少しは良心が有るのだろう。
(当たり前だ、マッタク!)
その息子は、大学は卒業したものの、就職はせず役者の道に進んだ。今のところ、三浦店主が言うところの“自称・俳優”だ。
Hは、就職しない息子に困り果て、小生に助けを求めた。映画や芝居の世界に、少しは詳しいと思われたのだろう。
実際、息子に逢ってみると、俳優としての実力はプロでは無い小生に判断出来ないものの、芝居の営業活動に於いて一味違うビジネス感覚を持っていた。
先の苦労を覚悟するなら、やりたいことを突き進む様にとしか、アドバイスは出来なかった。
先日、その息子から、プロダクションのオーディションに通り、所属することが決まったと報告が来た。アドバイスをした身としては、一安心だ。

近頃では、Hと連れ立って息子の舞台を観に行く機会が増えた。
何の事は無い。
あれだけ争奪戦を繰り広げられ、次々と違う女性が座った、Hという奴の隣席には、今では小生が座ることが多くなったのだった。

何の因果なのだろうな、マッタク!!

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