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プロフェッショナル・ゼミ

夢を「家に帰る」みたいな目標に変えて電車に乗ったら、なりたい自分になれるかもしれない《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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【東京・福岡・全国通信対応】《日曜コース》

記事:中村 美香(プロフェッショナル・ゼミ)

「大きくなったらカメラマンになりたい」
というタイトルで記事を書き、本気でカメラマンになろうとしている39歳の男性を目の前に、私は衝撃のあまり、口をあんぐりと開けたまま固まってしまった。

この男性こそ、天狼院書店の店主の三浦さんだ。
彼は、それ以外にも、経営者、ライター、編集者など、いくつもの顔を持ち、小説も書く。
さらに、本気でカメラマンになろうと努力し、それを楽しんでさえいる。

私なんか、今まで、何一つ、なりたいものになれていないというのに、神様は不公平じゃないか! と言ってみても仕方がない。

明らかに、私の努力が足りなかったことは認める。
だけど、足りなかったのは努力だけではないような気がする。
じゃあ、それ以外に足りなかったものは何だろうか?

私は、現在、44歳の専業主婦。小学2年生の男児の母。それ以外にも、無理矢理、羅列すれば、自己紹介はできるけれど、やはり、ついつい、
「今は、特に何もやっていません」
と言ってしまう。
しかし、「今は」だ。
そこには、「昔は○○でした」という意味と、「これから先のことはまだわからないけどね」という意味合いが入っていると、自分でも気がつき、バツが悪い。
そうなのだ! なぜかわからないけれど、私は、随分と前から「仮の自分」を生きている感覚があるのだ。

いつからだろう?
自分でも正確には思い出せないけれど、大学入試に失敗したくらいからそんな感覚を持っているような気がする。
高校生くらいまでは、なんだかんだと、うまく行っていたと思う。

25年前に、私は、第一希望の大学に入れなかった。
しかも、滑り止めで受けた大学も落ち、結局、唯一受かった短大の英語科に入学した。
心理学の勉強をしたかったのだけれど、親は浪人することを渋った。
傷心の私に、私が行きたかった大学に入学した友人が、サークルに一緒に入らないか? と誘ってくれた。
そういった形でも関われることに喜びを感じて、二つ返事で飛びついた。
偶然入ることになったそのサークルは、“旅と歴史のサークル”だった。
「旅」にも「歴史」にも、さほど興味はなかったけれど、先輩たちがとても優しくて居心地はよかった。
しかし、憧れの大学に触れ合い、嬉しいのと同時に、やはり、部外者であるという引け目が、常にあった。
時々、ヒリヒリと胸が痛んだ。
敗者である自分を感じずにはいられなかった。

また、心理学部に行けなかったことによって、「心理学」への執着心も生まれた。
それは、とてつもなく大きくなって、苦しかったけれど、短大の一般科目の中で「心理学」を取り、心理学に触れる時間が持てたので、どうにか燻るほどには鎮火した。

あれから、25年。いろいろあった。
あの、嫌で仕方がなかった短大のおかげで、就職氷河期の影響が大学より少なく、滑り込むように銀行に就職できた。
もし、一浪して、大学に行っていたら、間違いなく、銀行には入れなかっただろう。
銀行への就職も、正直、流された結果だった。
7社連続で落ちたところに、とりあえず送っていた資料請求の葉書をみたOGの方から、面接してみないか? と言っていただき、運よく内定をもらった。
結果的には、細かくて、マニュアルに従う仕事は性格に合っていて、13年近く働くことになった。
だけど、「本当の居場所はここではない」という感覚が強かった。
それが原因か、自分でもよくわからないけれど、資格試験や検定ばかり受けていた。

その後、結婚し、息子が生まれた。そして、息子が3歳になったところで、赤ペン先生のような添削の仕事を4年間して、昨年、辞め、現在に至る。

これまでを振り返って、何かになりたいと思ってそれが叶ったという記憶があまりない。

何かになりたいと思ったことはある。

幼稚園の時には
「音楽の先生になりたい」
と思い、
小学生の時は、親の入れ知恵か
「公務員になりたい」
と思っていた。
「心理カウンセラーになりたい」
とも思った。
そして、
「作詞家になりたい」
「随筆家になりたい」
「小説家になりたい」
とも思っていたな……。
何かは決めきれなかったけれど、文章を書く仕事がしたかったのだ。

最近会った、私よりも少し年上の男性が、こんな話をしてくれた。
私が
「今、ライティングに夢中なんです。ちょっと恥ずかしいんですが、いつか、プロの物書きになりたいと思っているんです」
と、口にしたときのことだった。
「ある目標に向かう時に、『絶対になるんだ!』と、それをじっと見つめて、一心に向かう人もいると思うんだけど、僕はそういうタイプではないと思っているんだ。そして、もしかすると、美香さんも同じタイプなんじゃないかと思うんだけど……」
飲み会のざわざわした雰囲気の中、その言葉は、私の耳にしっかり届いた。
続きが、とても気になった。
「僕は、あまりに遠くの目標を、強い思いで見るのではなく、目の前にある課題をコツコツとこなしていく方が結果的に目標に近づくタイプだと思うんだ」
そう聞いて、なるほど、そうかもしれないと思いながら、いまいちピンとは来なかった。
その様子を察したかのように、彼は、説明を続けてくれた。
「例えばね、電車に乗って家に帰るとするよね。その時に、『絶対に家に帰るんだ!』って熱く思う?」
「いえ、そんな風には思わないです」
「そうだよね。もし、今乗っている電車が事故とか故障とかで止まってしまったとする。そうしたら、どうする?」
「他の路線に乗り換えるかな?」
「だよね。もし、全部電車が止まっていても、他の手段を考えるよね? 最終的には、歩いて帰ることだってできる。つまり、『家に帰る』ことはどういった手段をとっても達成しようとするよね?」
そこまで聞いて
「あ!」
と声が出てしまった。
「私、この場合の『家に帰る』を目標ではなく、夢にしていました。だから、もし、電車が止まってしまったら、諦めていました。だけど、本当は、家には絶対に帰りたいから、他の手段を考えるのが自然ですよね。帰るんだから!」
「え?」
彼が伝えようとしてくれたこととは、別の観点で、私が反応したので、少し驚いていたようだった。
彼は、“力まないで、目的を遂行しよう”ということを伝えようとしてくれたのだと思う。
さらに、今の私にとって大切な気づきまでもらえた嬉しい言葉だった。

私が、今まで「○○になりたい」と思っていたことは、いつも夢で、目標ではなかったのだ。
だから、何か困難があると諦めてしまっていたのだ。
いや、最初から、才能がないと気がつくのが怖くて、本気で挑戦していなかったのかもしれない。

もし、「○○になる」ことが「家に帰る」みたいなことだったら、「○○になる」ために、どんな手段があるか真剣に考えるんだろう!

私に足りないものは、覚悟なんだ! 決めることなんだ! 
それができていなかったから、ずっとなんとなく生きてきた気がするんだ。

決めることが怖いのは、途中で、絶対に変えることができないという思いもどこかにあった。
だけど、今、真剣に決めて、それに向かって進み、もし、途中で違うと思ったら変えてもいいのかもしれないと、初めて思えた。

本気でカメラマンになろうとしている三浦さんと、年上の男性のおかげで、「プロの物書きになる!」という夢を、目標に設定する覚悟が持てた。

やっと、スタートラインに立てたようで嬉しくなった!

だけど、喜んでばかりはいられない。

プロになるということは、読み手が読みたくなる文章を、コンスタントに書けなければならないのだ!

そして、もうひとつ、困ったことに気がついた!

文章が書きたい気持ちは、常にずっとあるのだけど、自分が何者で、誰に向かって、何のメッセージを発するのかということが、よくブレるのだ!

今は、文章の修行中で、ある意味、猶予期間をいただいている感覚だ。
今のうちに、自分はどんな文章が書けるのか? と、自分自身も未知のものに挑戦している最中なのだけれど、「書いてみたいこと」と「熱を持って書けること」の間に、ギャップがあることに気づいてしまったのだ。

私がライティングを学ぼうと思ったきっかけのひとつに、「日常では味わえない、役割を取り払った『中村美香』個人として暴れてみたい!」というものがあった。
実際に、過去の恋愛の記事を書いたこともあるけれど、真剣に書こうとすればするほど、圧倒的に「母親」という立場の思いを綴ることが多くなってしまうのだ。
「今の」私の葛藤や思いを表現しようとすればするほど、「母親」という役割が際立ってしまう。

息子が学芸会で頑張った話、息子が泣き虫で困った話、息子の初恋の話や、息子が自転車に乗れるようになった話など、熱を持って書きたいと思うことは息子に関することが多く、書くことに困った時にも、目をつぶると、だいたい息子の顔が浮かんでしまう。

いや、私は、そうじゃなくて、「中村美香」個人の話を書くんだ!
そう思っても、なかなか「母親」という役割を切り離せない。

「仮の人生」だと思っていたけれど、本気で書こうとした時に、心が震える立場や役割が「母親」だったとしたら、それはもう「本物の人生」なのかもしれない!
ようやく、そのことに、気がついた。

“本当にやりたいこと”“本当の自分というもの”を、脇に置いてきた感覚も強くある一方で、今までの人生を振り返って、そんなにひどい人生だとは思っていない。
それなりに、頑張ってきたし、楽しいこともたくさんあった。
家族や友だちにも恵まれ、感謝している。
息子の「母親」になれたことも、涙が出るほど嬉しかった。
その時々、例え、完全に望んだ選択でなかったとしても、自分なりに一生懸命選んだ結果なんだ!

文章を書くという、やりたかったことに挑戦して、ようやく、今までがあって、今があるということを認めることができた気がする。

私は、時々、【今の自分をまるごと認めること】と、【自分が成長する可能性を感じること】を両立することが、矛盾することなのではないか? と感じることがある。

しかし、もしかすると、【今の自分をまるごと認める】というのは、過去の自分の選択をゆるすことなのかもしれないと思う。
だから、矛盾するどころか、むしろ、【今の自分をまるごと認める】ことなしに、【自分が成長する可能性を感じること】は難しいのかもしれない。

「日常では味わえない、役割を取り払った『中村美香』個人として暴れたい!」という思いは、今も、強くある。
けれど、それと同時に「専業主婦であり、母であり、妻であり、娘であり、女であり、日本人であり、元銀行員であり……」といった今の私だからこそ表現できるものを、届けやすい形にすることに、力を入れてみようと思う。

不安を抱きやすかったり、そのくせ、立ち直りが早かったり、若い人の才能や可能性に嫉妬したりする44歳の女が今表現できることを書いてみようと思う!

役割を取り払おうと躍起になるよりも、身を任せて、役割を甘んじて受け入れる方が、個性が際立つ可能性もある。

この年になっても、自分のことを、ちっぽけだなと思うもあれば、何か特別な者なのではないか? と、勘違いする瞬間もある。
【自分が成長する可能性を感じること】というのは、もしかすると、その中間なのかもしれない。

自分がちっぽけだと感じつつも、努力し続ける者だけが、特別への招待を受けることができるのかもしれない。

そうは言っても「役割」というのは、時に、非常に鬱陶しく感じるものだ。
そんな時は、役割を取り払った自分も含めて、今持つ「役割」を行ったり来たりしながら、生きてみよう!

大きなことを言って、正直、恥ずかしい。
フィクションにも挑戦したいと言いながら、なかなか難しくできていない……。

泣いたり笑ったりしながら、目の前のことをひとつひとつ、こなすしかないんだな。
だから、今は、少しずつ目標に近づくことを、楽しもうと思う!

***

この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。
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