嫁に来ないか?《プロフェッショナル・ゼミ》
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記事:犀木万葉(プロフェッショナルライティング・ゼミ)
「あぁ~!! ……やっちゃったー」
ボムっと取手を引きながら勢い良くドアを閉めた時、嫌な予感がした。
車の中に鍵を閉じ込めてしまったのは初めての事だった。
あーあ。マイッタなぁ、もう……
近所のコンビニの駐車場ならともかく、よりにもよってそこはけっこうな山奥だった。
どうしよう。ここはシーンと静まり返った山の中だ。ちょっとの間、固まった。
大学3年の夏、愛媛の最南端近くに住む友人を訪ねることにしていた私は旅行の計画を立てていた。四国に行くならどうしても行ってみたかった場所があったので、車を運転して行くことにして、地図と睨めっこしながらどのルートで行くかを考えていた。
行きたかったのは徳島県の大歩危小歩危(おおぼけこぼけ)という渓谷で、観光ガイドにもよく載っているカズラという植物のツルで編んだ吊橋を渡りたかったのだ。一人旅が好きな私は地図を広げては頭の中で妄想旅行を楽しむ癖があったのだが、たまたま雑誌で見かけた大歩危小歩危の渓谷のエメラルド色に惹き込まれてしまっていて、いつか行きたいと機会を伺っていた。
同じ四国とはいえ、友達が住むのは愛媛の最南端。大歩危小歩危のある徳島県は決してついでに行く場所というほど近い場所にあるという訳ではなかったが、そこは距離感を理解していないが故に行ってしまえる旅行者の無謀さと生来の冒険心であっさりと行く事を決定し、スケジュールからするとちょっと強引ながらも現地に午前中に着くようにして車を走らせていたのだった。
車は軽自動車。わりと馬力がある方だとはいえ、そこは普通自動車にはかなわない。
高速道路を制限時速80キロで普通自動車と共に走るのには多少無理があったが、流れを壊すわけにはいかないとアクセルをめいいっぱい踏み込み続けて走ってボンネットから煙が出て慌てて休憩したり、かなり乱暴な運転をしながら念願の目的地にようやく到着してさぁ、渓谷に行くぞ~! と張り切って車を降りたその時の事だった。
鍵を車に閉じ込めてしまったのは。
ロードサービスに来てもらおう。
年中無休で24時間対応とは、有難いよなあ。しかし、ここ何処だ?
徳島の山奥だという事しか説明できないよ。
書類全部車の中だから電話番号もわからないし。
仕方がない。あそこの建物にいる誰かに助けてもらおう。
私が山奥で車を止めて外に出たのは目的地の大歩危小歩危に到着したからだった。
そして、「あそこの建物」とは、観光地によくある小さな茶店のようなお土産屋のようなそういう建物の事だった。他の車は無い。今日は誰もいないのだろうか? 静かだった。
ザッ、ザッ、ザッ。
山の荒い土を踏みながら、駐車場よりもちょっと低い位置にあるその茶店に向かった。
ガラガラガラガラ。戸を開ける。
「こんにちはー」
やはり客はいなくてガラーンとしている。
「いらっしゃい」
元気者の優しそうな「おばちゃん」という風情の人が出てきた。
「あの、すみません。実は車に鍵閉じ込めちゃいまして、ロードサービスを呼びたいんですけど、電話番号を教えて貰えますか?」
「あらあ。そりゃあ、大変だわね。ロードサービスね。ここなら、○○支店のAさんが担当してるのよ。きっとすぐ来てくれるから心配いらないからね」
教えて貰った番号に電話する。
ここの場所を説明するのは意外と簡単だった。
担当のAさんはこの場所をよく知っていたから。
「じゃ、よろしくお願いします」
ロードサービスの人に連絡がついた事を茶店のおばちゃんに伝える。
「ありがとうございます。これから30分から45分くらいで来られるそうです」
「そう。良かったわね。Aさん、いい人でしょう?」
ひとまず安心すると、ようやく周りの風景を見る余裕がでてきて
山の中は結構賑やかであることに少し経つと気が付き始めた。風の音と鳥のさえずり、虫の声、それに、ガサゴソ聞こえるのは小動物か蛇かなんかだろう。
それに山の空気が澄んでいていい香りがするような気がする。
「ふぅ。いい気持ち!」
「お客さん。今の間にカズラ橋を見てくるといいですよ。気持ちがいい季節だから楽しんでいらっしゃい。それに今日は平日だからカズラ橋をひとり占めできるかもしれないわね」
ん~! と伸びをすると、私はカズラ橋へと向かった。
渓谷の水の色は天気が良かったせいか期待通りのエメラルドグリーンをしている。
カズラで編んだ吊橋は観光雑誌などでも良く見かける通り、コンクリートや鉄骨でできた釣り橋とは違って植物のツルを編んで出来ているというだけでちょっと原始的な趣きがあってその存在自体がなんだかワクワクさせるものだけれど、実際に渡ってみるともっとそれを感じることができた。茶店のおばちゃんの予想通りカズラ橋は私ひとりで、これはチャンスとばかり、私はその吊橋を何度も往復した。谷の木々の葉音、渓谷の水の音、鳥のさえずる声、風が吹き抜ける音。自然の音に身をゆだねて私はそれらを背景にしてその橋をゆっくりとその感触を楽しんで歩いた。植物のツルでできた橋はやはりすこししなるような感じもするし、歩く底板は間隔が広くその隙間からは渓谷が見えている。危なくはないのだけれど、その緩さがちょっとしたスリルを作り出していて、こういうのが好きな私は大満足だった。
カズラ橋から茶店に帰ってきた私はきっとかなりニコニコしていたのだと思う。
茶店のおばちゃんが話しかけてきた。
「お客さん、カズラ橋どうでした?」
「とてもキレイでしたよ。カズラ橋の独り占めも出来て何度も往復しちゃいました」
「そう。楽しめたみたいで良かったわ。ここ、気に入ってくれた?」
「ええ。空気も美味しいし自然は美しいし」
「そう。ところで……」
おばちゃんはそう切り出すと話を続けた。
「ねえ、お客さん、今日は一人でここまで運転してきたの?」
「ええ」
そりゃ、見ればわかるでしょう? 一人で運転して来て鍵閉じ込めた話したじゃないですか。で、それが、何か?
「そう。偉いわねえ。こんな山奥に一人で運転して来るなんて。偉いわねえ、賢いお嬢さんだわねえ」
偉い? 賢いお嬢さん? ハテ? いったいどうしたというのだ? オンナひとりでここに来る客はそんなに珍しいのかなあ。
「いえいえ、そんな。わたし、一人旅が好きで色んなところによく行くんですよ」
「そう、こんな山奥に一人旅。賢いお嬢さんだわねえ」
おばちゃんは何故か何度も何度も私に向かって「賢いお嬢さん」と連発していた。
賢いお嬢さんと言われるのも慣れてきたその頃、おばちゃんは唐突にこう言ったのだ。
「お嬢さん、ここに嫁に来ない?」
はい?? 今、嫁って言いましたか? おばちゃん。
きょとんとしているとおばちゃんは堰を切ったように喋り始めた。
「お嫁さんに来ない? ここに。ここはいい所よ。空気も水も美味しいし、食べ物も美味しいのよ。それに住んでる人達も皆いいひとたちばかりなのよ。それにね、こんな山奥って思うかもしれないけれど、結構便利なのよ。道はちゃんとしてるし、大きな病院だって2時間ほどしたらあるしね」
2時間で病院は遠いだろ、と心でツッコミを入れたりもしたが、相変わらずきょとんとしていた私におばちゃんは続けた。
「私の甥なんだけどね、とてもいい子でねえ。その甥はこの近くに大きくて立派な木造の一軒家を建てたのよ。いいでしょう? 部屋がいくつもあってね。大きな一軒家よ?」
突飛すぎる申し出だった。
きょとんとしている私にさらに「賢いお嬢さん」と言い、お嫁さんにいらっしゃいな、と
勧誘してくるおばちゃんの話が続いていてちょっと困っていたところに
ロードサービスのAさんが到着した。
「こんにちは! ロードサービスです」
元気良く爽やかな感じの男性だった。
「あら、Aさん。いらっしゃい。お嬢さん、Aさんよ」
「あ、どうも。宜しくお願いします」
Aさんは車のところに行くとアッという間にドアを開けてくれた。
Aさんと茶店に戻ってくると店には近所のおじさんたちが何人かやってきていてお喋りをしていた。おばちゃんはお饅頭とお茶を持ってきてくれた。
「まぁ、良かったわね。車、直って」
「ええ。おかげさまで。ありがとうございます。これで無事に帰れます」
「あらあ。今日はこっちに泊まるんじゃないの? これから帰るの?」
おばちゃんがちょっと残念そうな顔をした。
「どの道から帰るつもりなんだね?」
隣で喋っていたおじさんたちが声をかけてきた。
私は車から地図を持ってきて、おじさんたちに
この道を通って帰ろうと思う、と道を示して見せた。
「お嬢さん、運転は相当に得意なのかね?」
「はあ、普通に道を走る程度には」
「なら、悪いことは言わんからその道は辞めておきなさい」
「どうしてですか?」
私は帰り道で一番良いルートを選んでいたつもりだった。
「そこの道はまだちゃんと整備されていないんだ。車幅も狭いしガードレールも無い。対向車が来るのも心配だし、地元のワシ等でもちょっと怖い道なんだ。まだ時間は早くて明るいけれど、霞でもかかってたたら万が一って事もあるしな」
そのおじさんの話は一瞬にして私に帰りのルートを変更させた。
かなり遠回りにはなるけれど、ここに来た道をまた戻って帰ることにしたのだから。
帰る時、おばちゃんは私に
「いつでもまた遊びにいらっしゃいな」と手を振った。
私は道の事を教えてくれたおじさんたちとロードサービスのAさんに
お礼を言って、おばちゃんにも別れを告げた。
あんなに熱心に嫁に来ないか? と勧誘していた割にはアッサリとした幕引きだった。
なんというか、例えて言うならば、次回アポイントがとれないかクロージングのできない営業マンのような、本気で取りにいっているようには思えない物足りなさというか詰めの甘さを感じさせるような。
まあ、でも、あの場でキチキチに詰められたらただの恐怖体験となっていたとは思うからあの程度で良かったのだけれども。
あの土地に移住してみたかった、とか、あのおばちゃんに特別惹かれていたとか、あのおばちゃんの甥っ子さんに会ってみたかった、とか、そういうことでは決してないのだけれど、ここまで心に残っているのは何なんだろう? と考えてみたときに思いあたるのは、ハプニングを人の助けを得て乗り越えた体験と同時にお世辞であろうが「賢い」と褒められたことが結びついて良い想い出になっているのかもしれないということ。それに、程度はどうあれ、自分という存在が求められたという体験が私にとって心地良いことだったように思うということだ。この出来事でわかったのは、どうも私は自分の存在が求められるだとか自分が誰かの役に立つだとか、そういう人間でいたいと思っているようだということで、できれば、そうあり続けたいと思っているということだった。
ますます東京に人口が集中しているという話もある中、一方では東京から離れて全く違う暮らしを始める人達の活躍も聞くようになった。実際私の知り合いも地方移住していく人は多い。多くは既に自分のビジネスを持っている人達か、どこにいても仕事ができるクリエイティブな職の人やITエンジニアの人たちである。中には脱サラして家族で地方移住し新規就農を果たす人達もいる。これから子どもを産み育てる若いファミリーを呼び込もうと行政で様々な政策を打ち出して成功している都市も出てきている。
いまや、20歳代の若者の実に40%が地方移住に興味を示しているというから、地方での暮らしの魅力を伝えることができればもっと自由にライフスタイルを選択する人たちが増えていくかもしれない。あのおばちゃんみたいに声をかけるような人は稀かもしれないけれど。
私はおばちゃんの勧誘自体に乗ることはなかったけれど、あの体験をすることで自分が求めるものの1つを見つけたように思う。それは特定の何かである必要がない事やその要素がありさえすれば何でも良いのだということにも気づくことにもなったのだった。それは私のライフスタイルの選択肢を増やしてくれることにもなっていると思う。
あれから何人のひとり旅の女性があの茶店のおばちゃんに声をかけられただだろう?
あの時の私のように土地や人の素晴らしさを説かれ勧誘された女性はどれくらい
いたのだろう?
おばちゃんの甥っ子さんはめでたくお嫁さんを貰うことができたのだろうか?
(おばちゃんの心配をヨソに甥っ子さんは自力でちゃんと結婚したような気はするけれど)
きっとあの茶店のおばちゃんは、ずっと、一人旅の女性を見つけては声を掛け続けていたにちがいない。
「ここに嫁に来ないかい?」
と。
***
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