メディアグランプリ

お隣さんが引っ越して、私は空っぽの自由を手に入れた。


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:福居ゆかり(ライティング・ゼミ)

「んーー、はい! 分かりました!」
じっと私の顔と手相を見ていたその人は、かっと目を開いてそう叫んだ。
えっと、はい、そうですか、と少し体を後ろに倒しながら半笑いになって答える。引き気味なのは言うまでもないが、相手にそれを悟られてはいけないと思うと口角が上がったのだった。
京都の街中のとある一角で、私は占いを受けていた。友人が「当たるって聞いたから行ってみたいけど、一緒に来てくれる?」と言うので、一緒に受けてみることにしたのだった。
目の前にいる占い師——一風変わった服装の飄々としたおじさんは、最初に私の顔と手相を見てしばらく思案した後、ものすごく早口で話し始めた。私は合間合間で「はあ」「はい」「ええ」と挟むのが精一杯だった。一度に大量の情報を提供されることにより脳がショートしそうで、処理できない分の「私についての情報」はさらさらと窓の外の鴨川に流れて行った。
「で、ここからですけど、あなた、この年くらいに転機を迎えます」
転機、と聞いてうっかり遠のいていた意識を叩き起こす。何だって、と耳を傾けると、おじさんは続けた。
「今までずっと面倒見てくれていた、仕事上での上司かなー? 同僚かな? との別れがあります。プライベートも変化が起きて、今の生活とはガラッと変わります」
別れとは、誰とのことだろう。
私は今の部署での最後の新人だった。私以降、何年も経つけれど新人は入ってこない。従って同じ部署の人たちは皆、「ずっと面倒見てくれた上司」であり、誰のことを指すのかが全くわからなかった。
その事に気を取られていると、気がつくとおじさんは「ま、そんなとこですねー」と話を終えていた。鑑定料のほとんどを鴨川に捨てたようなもんだな、と思いながら私はおじさんに挨拶をし、席を立った。

「実は、報告があります。私、会社を辞めることにしました」
会社の先輩である山田さんが突然そう話し始めたので、私ともう1人の同僚は驚いてそちらを見た。
その日は会社の飲み会だった。同僚の好意により、朝の通勤時に車で迎えに来てもらい、会社に向かう途中だった。同僚は驚きのあまりうっかり曲がるところを間違い、私たちはしばらくのドライブを楽しむことになった。
「えっ、いつ辞めるの? 辞めた後はどうするの? みんな知ってるの?」
同僚の質問に、山田さんは実家に帰るんだ、なんか色々思うところがあって。と笑っていた。
「まさか急にそんなこと言われるとは思わなかったから、びっくりしたよ。ねえ、ゆかりん」
急に話を振られて、ええ、そうですね、と相槌を打つ。
私はふと、京都での占いのことを思い出した。聞いたばかりの時は誰のことを指しているんだろう、と不安に思うこともあった。上司というからには役職付か、と勝手に思い、てっきり部長か課長が代わるのだと思っていた。
まさか、山田さんだとは。
しかし言われてみると、山田さんほど私が仕事人生上関わっている人は他にはいないので、言われるとストンと腑に落ちるものがあった。

山田さんと私の関係はとても一言では言い表せない。
彼女に初めて会ったのは、私がまだ部署に配属される前の事だった。
私は入社した時から、というよりも、採用の段階で既に配属される部署が決まっていた。入社してすぐの研修中に、ちょっと大柄な女の人がいきなり入って来た、と思ったら、研修担当者が「おっ、来たか。こっちこっち」と彼女を私の前まで連れて来た。
「紹介するよ、うちの部の山田さん。そのうち福居さんの先輩になるから。何でも相談したいことがあったら彼女に聞いてね」
そう紹介され、私は自己紹介をし、よろしくお願いします、と頭を下げた。女性の少ない会社なので、やったー、女の子の後輩ができて嬉しい! と彼女は大げさに喜んでくれた。
しばらくして私は配属になり、山田さんと一緒に仕事をすることになった。マメで面倒見のいい彼女は、お姉さんのように細々と面倒を見てくれた。明るくて話し好きな山田さんは、職場でも太陽のような存在だった。

私が入社した当時、社員寮はちょうどリフォームしていた。その関係ですぐには入れず、私は会社の寮へ入居待ちの状態だった。
配属となってしばらくした後、寮に空きができてやっと入居できた。お隣にタオルを持って挨拶に行くと、なんと山田さんだった。
寮に住んでいるとは聞いていたが、部屋番号までは知らなかったため、慌てる私に
「えっ? 隣? よろしくねー! たまに醤油借りに行くわ」
と豪快に笑った山田さんの笑顔を、今でも覚えている。

関係性が変化して来たのは、いつからだろうか。
山田さんは職場に好きな人がいた。その人の事となると自分が全てを取り仕切りたがった。それが分かっていたので、私はその人とあまり関わらないようにしていた。
しかし、仕事とあればそうはいかない。その人と私の2人で組む業務を命じられた時、私は「山田さんに代わります」と上司に訴えたくて仕方がなかった。そんな訳にもいかず、2人きりで過ごす私達を見て、山田さんが面白くないと感じているのはひしひしと伝わってきていた。
それは少しずつ歪みを生み、たまに夕飯を一緒に食べに行っていたのが数ヶ月に一度になり、じきになくなった。段々と私たちの間には溝が出来てきていた。
そんな風になっても、職場の先輩である以上、はいさようなら、という訳にはいかない。
会社の人達での飲み会に呼ばれると、私はいつもメンバーを確認した。大体は一緒に呼ばれるのだが、もしも山田さんの名前がない場合は必ず声をかけた。彼女は皆で集まる場を好み、後で「自分だけは呼ばれなかった」という状況が嫌いだった。そんな山田さんを抜きで飲み会をしたことが漏れ伝わり、より関係が冷え込むことを恐れたからだった。
そんな私たちは、傍目から見ると「2人で1セット」だった。「いつも2人一緒に来るよな」とまで言われていた。
正直なところ、私は山田さんのざっくばらんな性格に憧れつつ、感謝しつつ、振り回されることに気疲れしていた。山田さんはその明るさから社内に友人も多かったが、一方で、あっけらかんと歯に絹着せぬ物言いをするので、なかなかに敬遠する人も多かった。
そんな中での、山田さんの「辞めます」発言だったため、私は微妙な気持ちで飲み会に向かった。

「では、おやすみなさい」
「おやすみぃー」
隣同士の部屋に入って、鍵を閉める。
こんな生活ももうあと少しで終わりなのか、と思うと、なんとも言えない気持ちになった。
一緒に寮まで帰ったのは久しぶりだった。
関係性が少しずつギクシャクしてきた頃から、飲み会の後はお互いに帰宅時間をずらしていた。コンビニに寄るとか、駅で時間を潰すとか、二次会をキャンセルするとか。あまり、2人きりになりたくなかったのだ。
並んで歩く足元は、月明かりで明るかった。
「……会社辞めて、どうするんですか」
私がぽつりと尋ねると、
「うーん、どうしようかなぁ。とりあえず、実家に帰って、親の仕事手伝うつもりだけど。
親は見合いもしろって言ってるしね」
と、カラカラと山田さんは笑った。
「……あの人の事は、いいんですか」
そう話す時に、自分の声が掠れるのがわかった。
山田さんは笑って、
「仕方ないよ。彼には、ずっと付き会ってる彼女がいるし。諦めきれなくても、諦めるしかないよね」
と言った。その後にぽつりと、
「……うちの親がね、具合良くないんだよ」
と、独り言のように言った。
少なくても私が入社して数年後から、山田さんはずっと「辞めたい」と折に触れては言っていた。けれど、「実家に帰リたくないから」「親と一緒に住むのは嫌だから」と、頑なに帰ろうとはしなかった。
帰ることを決めたのはそういう訳か、と思ったが、山田さんのいつになく真面目な表情に、それ以上聞く事はできなかった。

いよいよ山田さんの引越しが明日に迫った日、
「これ、つまらないものだけど……」
と山田さんは入浴剤を持って来た。
ありがとうございます、とお礼を言いながら私は
「ところで、引越しの準備は終わったんですか」
と尋ねた。
すると、山田さんはあははーと笑って
「それがね、ぜんっぜん、してないの。明日なのにどうしようかなって」
……この人はこういう人だった。
ため息をつきながら、
「どうしても間に合わなさそうな時はメールしてくださいね、手伝いに行きますから」
と言うと、大丈夫大丈夫、と山田さんはドアを閉めて去って行った。
……自慢ではないが、うちの寮の壁は薄い。
少し大きな声で話すと、何を話しているかまではわからなくても、人がいることはわかる、程度には薄い。
テレビの音量が大きく、しかもテレビに向かってツッコミを入れている山田さんの声で、引越しの用意が捗ってないことはすぐに分かった。
9時を回ったあたりで、私は山田さんの部屋のチャイムを鳴らした。
「はーい……って、ゆかりん、どうしたの」
キョトンとする山田さんに、私は
「手伝いに来ました」
と、両手に持ったガムテープを見せた。
部屋に入ると、山田さんはテレビでやっていた洋画を見てたの、と笑った。そんなことやってる場合ですか、と私はため息をつき、目につくもの全てをダンボールに放り込んだ。
「ち、ちょっと待ってゆかりん、それはまだ使うの」
「それはまだ、って、あと数時間後にはここを発つのにトイレと風呂用品以外何を使うんですか」
そういえば、山田さんはいつもこうだ、と私は過去を思い返していた。仕事でも同じで、やっているようで臭いものには蓋をして、ギリギリになって慌てて徹夜作業をする。直前に夜を徹して手伝ったことも一度ではない。
でもそれも、今日で最後だ。
そう思うと、数時間後には隣が空っぽになることを想像し、私は少ししんみりした。
しかし、目の前にある荷物の山で現実に引き戻され、慌ててダンボールを組み立て始めたのだった。

「お世話になりました」
朝の光が眩しい中、山田さんは深々と私たちに向かって頭を下げた。
深夜になる前に私は撤収したが、山田さんは朝方までかかったらしい。フラフラになりながら引越し業者に指示を出していた。
荷物も全て積み終わり、確認が終わると、職場の数人で見送りをした。
山田さんは、出発にふさわしく晴れ晴れとした顔をしていた。ちょうど、その日の空のように。雲ひとつない快晴に恵まれた朝は、新しい生活への門出にピッタリだった。
気をつけてね、とか、元気でね、また連絡ちょうだい、など皆が口々に別れの挨拶を告げる。私は何を言っていいのかわからないまま、こちらこそとてもお世話になりました、とだけモゴモゴと話した。
そうして、山田さんは故郷へと帰って行った。

自分の部屋に戻る。
隣にずっと住んでいた山田さんは、もういない。
私は最後に見た、隣の部屋の空っぽになった様子を思い出す。最終立会いの時にチラリと中が見えたが、見事に何もなかった。
当たり前なのだけど、その部屋は「山田さんが住んでいた」時の顔ではなく、既に見知らぬ顔をしていた。
隣の部屋の空っぽの様子は、そのまま私の心の中の山田さんを表しているようだった。ぎくりとして、私は足早にその場を立ち去ったのだった。

ハッキリと認めてしまうと、一緒に仕事をしている時、私は山田さんの事が嫌いだった。
事務仕事は女性の仕事というのはナンセンスだ、といってやらない山田さんにお茶汲みや掃除を一手に引き受けさせられたこと、山田さんの気に入ってる男性社員と話していたら変な噂を流されたこと。そして、飲み会に行けば山田さんは自分の話ばかりするので、他の人の話がほぼ聞けなかったこと。他にも嫌だったエピソードはまだまだある。仕事だから仕方ない、と思って我慢したけれど、時にはものすごくイライラして、つっけんどんな態度になってしまったこともある。
私はそんな山田さんから逃げたかったはずだった。
私は、そんな山田さんからやっと解放された、はずだった。
……なのに、この寂しさはなんだろう。
もちろん、嫌なことばかりではなかった。
山田さんは常に私の仕事の動向に目を光らせており、私が仕事で困ると残業してでも助けてくれた。人と話す事が好きだったため、事務仕事は嫌がっても、トラブルが起きると間に入って交渉してくれた。あまり盛り上がらない飲み会でも、山田さんがいるとグイグイ引っ張ってくれ、場が白けることはなかった。
今の部署に配属されてからずっと、何年もの間、山田さんと私は一緒だったのだ。
私はようやく、自由を手に入れた。
しかしそれは同時に、今までずっと「2人で」やって来たことを「1人で」やるという事だった。
自由とは、誰にも縛られないことは、こんなに楽だ。
しかし、こんなにも寂しい。
私は、荒野の中に1人佇んでいるような、そんな気持ちになった。

伝票整理をしていて、山田さんの作ったインデックスを見つけ、ふと思い出す。
山田さんがここにいた日々を。
あれから、私は山田さんがいなくなった自由を噛み締めている。多部署とのトラブルがあれば、自分で電話対応する。ハッキリと物が言えない私は、最初こそ電話を握る手が汗でびっしょりになったものの、それも徐々に慣れて来た。飲み会には1人で行く。そして、1人で寮に帰る。隣はまだ、空っぽのままだ。
今度、同僚たちで山田さんの故郷へ遊びに行こう、という話になった。海の幸山の幸が豊富なところらしく、楽しみだ。
いつも近くにいた山田さんの、あの豪快な笑顔を思い出しながら、私はファイルを閉じた。
***

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2017-01-12 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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