Bluetoothイヤホンと情けない飼い主
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:記事:下村未來(ライティング・ゼミ12月コース)
※この記事はフィクションです。
「あの〜。僕、そろそろ消えますよ」
飼い主の耳元でお知らせすると、「げ……」という声が聞こえて、慌ただしい手つきで小さな真っ暗闇のケースに押し込まれた。いつものようにポケットに入れられたのだろうか、急に隙間風が止む。僕は暗闇の中で騒音を聞きながら、飼い主の歩くスピードがぐんぐんと上がっていくのを感じた。
飼い主がそうなるのも頷ける。ここは朝から晩まで人通りの激しい新宿駅の南口。人混みを嫌う飼い主にとって、僕はお出かけに欠かせない存在なのだ。財布よりも鍵よりも、いつも飼い主の身近なところでスタンバイしている。
僕は知っている。飼い主が僕を呼び出すのは、何か目を逸らしたいものがある時だ。例えばそれは、街中の騒音や、誰も足を止めない弾き語り。もしくは何か嫌なことがあった日の夜や、飼い主が大事な用事を控えて緊張している時だったりもするだろう。だから、外に出ると飼い主はいつも険しい表情をしていて、自分以外をシャットアウトするように最大ボリュームで音楽を流している。
そんな情けない飼い主だけれど、僕は必要とされている。
それが僕のささやかなプライドだった。
しかし僕は、飼い主に怒っていることがある。それは、飼い主がたまに僕を洗濯機でぐわんぐわん回してしまうことだ。肌身離さず持ち歩きすぎるがあまり、自分でどこへやったか分からなくなるのだろう。ケースの隙間から、荒れた海よりも荒々しい水が、ざぱーん、ざぱーんと入ってくる。だんだんと呼吸がしづらくなって、意識が遠のいていく。
「あ! しまった!」
飼い主の声で目を覚ますと、急に視界が明るくなり、僕は「パワーオン」と宣言する。すると、飼い主は「ふう、よかったあ」と言い、また暗闇に押し込んだ。
もう5回も、こんな経験をしている。いっそのこと壊れたフリでもした方が、もう少し僕を大事に扱ってくれるかもしれない。横顔をギロリと睨みつけるものの、飼い主はそんな僕の怒りなんて知る由もない。
「あれ〜、どこにやったっけ……」
ある日、ついに僕は家の中で行方不明になった。ソファの下、カバンの奥底、タンスの裏、コートのポケット、ズボンのポケット。かれこれ30分以上、飼い主は床に這いつくばったり、引き出しを何度も開け閉めしたりして必死に探している。僕はそんな情けない後ろ姿をじっと見つめる。
僕はベッド下の収納BOXの中で息を潜めながら、「このまましばらく見つからない方が、この人のためになるかもしれない」と考えていた。ガムテープやゴミ袋たちにまみれながら、飼い主の焦ったような声と慌ただしい足音を聞き、退屈な収納BOXの中で何日も過ごした。
「こんなところに……! やっと見つけた! はあ、2週間もかかったよ」
ふと目を覚ますと、いつの間にか僕は飼い主の手のひらにいて、目を丸くした飼い主に見下ろされていた。
「もういい加減にしてくださいね。もし僕がこのまま収納BOXの中で眠り続けてたら、溜まったもんじゃありませんよ!」
にんまりと僕を見つめる飼い主に視線で訴えると、あたたかい手のひらの中で、優しい暗闇に包まれた。そして2週間ぶりにケースと再会し、ようやくいつもの寝床でぐっすり眠ることができた。
次の日僕は、久しぶりに外の風を浴びた。前の日に大雪が降ったようで、真っ白な雪が珍しく積もっている。ずっと前を歩いていた小学生たちが、いつの間にか目の前まで近づいていた。小さな歩幅で、身を寄せながらのそのそと歩く2人の会話が、かすかに聞こえてくる。飼い主は、そっとラジオを止める。
「も〜、手袋持ってないから、凍えそうだよ!」
「俺は持ってきたよ。まあ貸さないけどね」
「貸してよ〜。片っぽでいいからさ!」
「絶対嫌だ。こんな日に持ってない方が悪いんだあ」
何かを思い出すように優しい表情を浮かべる飼い主を横目に、僕は再びラジオをかけ直す。
「すいません、水道橋駅までは何線でしょうか」
駅のホームでおばあさんが尋ねてきて、僕はもう一度ラジオを止めた。身をかがめて一生懸命伝えようとする飼い主を、息をひそめながら見守る。飼い主の視線は真っ直ぐにおばあさんを捉えていて、僕がよく知るその人とはなんだか少し違って見えた。
「どうもありがとうね」
お辞儀をしながら向かい側のホームに歩いていくおばあさんを見送った後、飼い主は「ふう」と胸をなでおろす。その後も何度か心配そうに振り返っては、おばあさんの後ろ姿を探している。どうやら僕がいない間、ほんの少しだけ大人に近づいたみたいだ。
「合ってたかな。間違ってたらどうしよう」
飼い主は誰にも聞こえないくらいの声でそう呟き、乗り継ぎ案内のアプリと睨めっこしている。僕はそんな横顔に少し寂しさを覚えながら、心の中で呟いた。
「大丈夫、きっと何も間違っていないですよ」
***
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