プロフェッショナル・ゼミ

今度、私をあなたの車の助手席に乗せくれませんか?《プロフェッショナル・ゼミ》


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記事:石村 英美子(プロフェッショナル・ゼミ)

私の勤務先の建物のすぐ目の前、信号のない交差点ではしょっちゅう事故が起きる。フロアは二階のため、車がぶつかる音がダイレクトに聞こえる。

擬音をつけるなら「ガシャーン!」ではなく「どん!」だ。重く固いもの同士が止まりきれずぶつかる音。ブレーキ音はほとんど聞こえない。そこでの事故のほとんどは、自分側が優先だと思い込んでのものなので、双方がほとんど制動していないのである。

「どん!」その音が聞こえると反射的に見に行ってしまう。野次馬根性もさることながら、搭乗者が無事かを確認しないと仕事に戻る気にならない。だって、数分後に救急車が到着する音なんか聞いて、心の準備なくドキッとしたくない。事前に状況を把握しておきたいのだ。

状況は把握したいが、視認した事故現場はやはり気持ちのいいものじゃない。その場に漂うやるせない空気は気持ちを重くする。でも、やはり、確認してしまうのだ。確認して、そして、薄めてしまいたいのだ。私の呪いを。またはジンクスを。

私は今まで3回、交通事故にあったことがある。
その全て、男が運転していた。そして私は助手席に乗っていた。頻度が高いのか低いのかと言われても、私には正解が分からない。

一番最初の事故は、その男の、いわゆる「一人相撲」だった。酒を飲んで判断と操作を誤り、下の坂道でカーブを曲がりきれず電柱に激突した。男はそれを「気が散って」と私のせいにした。その男は私の父で、私は幼稚園児だった。その事故の直前のことはあまり覚えていない。しかし、その後のことは鮮明に覚えている。

フロントガラスが網状に割れたその車のエンジンは、数回しわぶいただけでかからなかった。どのみち片輪が側溝に落ちていたため車は動かせない。父は助けを求めに歩いてどこかに行った。私は車から降りると、同乗していた祖母と家に歩いて帰った。程なく雨が降って来て、祖母は私の頭に自分が着ていた上着をかけてくれた。寒い。そして、切れて流血した瞼が、だんだん痛くなってきた。祖母は何か喋っていたが、まるで頭に入ってこない。なんとも言えない黒い雲が、背後から追ってくるようだった。それは初めて経験する感情だった。しかも事故から時間差でやってきたので、なんでこんな気持ちになっているのか分からなかった。

子供と年寄りが歩くには遠い道のりだった。当たり前だ。だから父が車で迎えに来たのだ。とぼとぼと歩く私たちとは無関係に日は沈み、あたりはたちまち薄暗くなってくる。時折通りかかる車のヘッドライトが雨に反射して眩しい。何かの意地悪のようだ。早く家に帰りたい。何台もの意地悪たちをやり過ごした頃、視界の遠くに人影が見えた。傘をさしたその人物は、小走りでこちらへやってきた。それが母だと分かった途端、私は一気にさっきからの感情に支配され、空を仰ぎみて泣き出した。

うわぁああああん!

母は私の顔をタオルで拭いて「なんね」とだけ言った。わぁぁぁぁん。それしか口から出なかった。何か言いたかったのかも知れないが、自分の中が何かでぎゅうぎゅうになっていて、先に口から出さないとはちきれそうだった。それはきっと「怖い」とか「心細い」という感情だったと思う。自分で自分の感情に名前がつけられない頃の出来事だ。ただ、このころはまだ、その中に「怒り」が含まれている事には気づいてはいなかった。

事後処理は面倒だった。祖母も私も具合が悪くなったが、父はふてくされて謝りもしなかった。でも母の言う通り、怪我をしたのは交通事故ではなく納屋の階段から落ちた事にした。子供だって空気は読める。祖母が代わりに謝ってくれた。本当は謝るのは私だったのかも知れない。祖母は自分も打撲で具合が悪かったのに孫を連れて懸命に歩き、あげくその孫は母を見て泣き出したのだもの、寂しかったかもしれない。申し訳なかったなと、今なら思う。

この時に、言葉の「呪い」をかけられた。呪いでなければ暗示と言ってもいい。父が私に言った「お前たちが騒ぐから気が散って」というセリフだ。どう考えても私のせいじゃない。でもそう言われてしまうと、言葉が生命を持ってしまうのだ。「あたしの せい でじこが おきた」発せられた言葉は私という地面に染み込んで、その痕はずっと消えなかった。

二度目の交通事故は二十代の時だった。

付き合っていた男は無類の車好きだった。夜中に時間があると峠に走りに行き、シーズンになると毎週F-1グランプリを見た。「F-1よりインディの方が好みけどね」などとしたような口もきいていた。マフラーといえば首に巻くほうじゃないのが先に頭に浮かぶ人種だった。男は60回のローンで買った車に、レカロのシートを載せドライブに連れて行ってくれた。ドライブとは言っても、やはり峠に走りに行くのだ。

実はこれが苦痛だった。私は人の車の助手席が怖かった。車を運転する人なら誰でもそうなのかもしれないが、ブレーキのタイミング、シフトチェンジのタイミングその他すべて人によって違うため、自分とドライビングが違う人だと落ち着かないのだ。常に車の挙動が不安で脳内で運転し直すため、助手席に乗っていても全くリラックスできない。時折足がクラッチを探してビクッとなったりする。

この男は自称「けっこう上手い」やつだった。でも結論から言えば、全くドライビングセンスが無かった。私に言わせればただ乱暴で、走り屋たちの言葉の受け売りをしているだけだった。しかしこの頃はまだ「本人が好きでやってるなら」としか思わず、三半規管がおかしくなるようなドライブにも付き合った。

ある日。国道202合線バイパスを男の車で走っていた。12時はとっくに過ぎていて、深夜営業の「めんちゃんこ亭」に行こうと言ったのは確かに私の方だった。片側二車線で、夜間にもかかわらず交通量は意外と多い。前方をゆっくり走る赤い軽自動車を追い越してすぐのことだった。

追い越し車線を走行しているのに、左遠方に対向車のヘッドライトが見える。そのライトは左右に蛇行しながら、こちらへ近づいてくる。

あの車、逆走している。

左側の走行車線には車が詰まっている。対向車線にもけっこうな交通量がある。あの蛇行の軌道からすると、ちょうど出くわすタイミングでこちらの車線に来る。男は「うわ」と行ったままハンドルを握りしめた。正面衝突寸前、男は右にハンドルを切り反対車線へはみ出した。ギリギリのところで正面衝突は回避したが、乗っていた車の左後ろに相手の車が当たった。その弾みで車は横に数回スピンし、ガードレールに衝突して止まった。

男の愛車はボッコボコになった。
でも完全に心の準備をして衝突したため、怪我は全くなかった。緊張のせいで後で筋肉痛になった程度だ。車が停止した時、男は「大丈夫?」と言ったが、返事をする前に携帯を取り出した。警察に通報するのかと思ったら、走り屋の友人を呼んでいた。

幸い、多重事故は免れた。後で分かった事だが、後続車両のトラック運転手が、早い段階で状況を把握しておりハザードを点けて後続に注意し、早めに停止してくれた。そのおかげで逆走車以外と衝突することはなかったのだ。

本当に警察より早く、走り屋の友人が到着した。彼は近くを捜索し、逆走した車を発見した。1キロ先くらいで自損事故をしていたのだ。ボンネットは「ヘ」の字に折れ曲り、自走不能になっていた。かすったりした車は何台かいたようだが、けが人は居なかった。これも後で分かった事だが、かなりの飲酒運転だったようだ。衝突寸前、ハンドルを握る相手の顔が見えたが、確かにまるで寝ているように生気がなかった。

またも事後処理は面倒だった。交番に行き、調書に署名し、迎えに来た相手の酔っ払いの嫁になぜか睨まれたりした。ぐったり疲れた。

走り屋の友人が送ってくれた帰り道、男は私に自慢をし始めた。
ギリギリの判断で正面衝突を回避した、その瞬間のことをまるで武勇伝のように話し始めた。走り屋の友人は「へー、すげー」と相槌を言っていたが、私はだんだん腹が立ってきた。衝突前、思っていたことをつい言ってしまった。

「でも、なんで減速せんかったん」

男は相手車両を避ける事には神経を集中していたが、時速58キロはキープしてた。子供でもわかる計算だ。少しでも減速すべきだった。せめてこちらのスピード遅くなれば、弾かれた時にあんなにスピンしなかったのではないか。そう言うと、男は黙ってしまった。しくじったとは思ったが、走り屋の友人が「理屈はそうだねぇ」と余計なことを言ってくれた。男は完全にムッとしてこう言った。

「だいたい、飯食いに行こうって言ったの、そっちやん」

私が車を出してと言わなければ、今回の事はそもそも起こらなかったと言い出した。男がこうやって論旨をねじ曲げる時は、何を言っても仕方がない。「私のせいで事故が起きた」んですね、そうですか。何だかものすごく納得がいかなかったが、男はそう決めてしまったようだった。走り屋の友人は、ルームミラーをチラチラ見ながら心配そうにしていたが、結局何も言わなかった。
その男と別れるまで、あまり時間は必要でなかった。今思えば、彼だって災難だったのだが。

三度目の事故は三十路を過ぎてからだった。

その男は車好きではあったが走り屋ではなかった。正確に言うと卒業したのだった。現在は、大きめの排気量の車でゆったり走る方が好きで、スピードを出したくなると一人で都市高に乗った。

人を乗せて走る際はとりわけ丁寧に運転してくれた。この時、あることに気づいた。「この男の運転は怖くない」行き先によっては山道の急な上り下りを通ることもあったが、全く怖くなかった。それは男の運転が上手いからだと思っていた。左足が半クラ探してこわばる事など、一度もなかった。

この男とは、付き合っていたわけじゃなかった。他に彼女も居たし、遊びの女もいるようだった。でも、向こうも私と気があうのか度々連絡があり、一緒に出かけるようになった。

気の合う男友達。それでいいと思ってた。しかしある日。

携帯に今からドライブ行かない?とメールが来た。その日、実家に帰る予定で指定席ももう買ってあると返信すると「じゃ、駅まで送る」と帰ってきた。すでに私の家のすぐ近くに来ていたようだった。

お言葉に甘えて、大荷物を積んでもらい駅まで乗せて行ってもらった。バスで行けないわけじゃないが、車だとやはり楽だ。それに、その車内で男と話ができる。

大通りに出ると渋滞していた。「何時の列車?」男は裏道を縫って駅まで急いでくれた。下りの一方通行の細道を出たところだった。ちゃんと車間距離が空いているところに合流しようとした。でもなぜかその車は急に加速して車間を詰めた。乗っていた車は止まりきれず相手の横っ腹に突っ込む形になった。

大した衝撃もなかったが、れっきとした事故だった。相手の運転手はニヤニヤしながら出てきた。あーあと言いながら嬉しそうだった。完全に当てられに来たのだ。世の中には保険目当てでこういう事をする連中が確かにいる。男は私に「大丈夫?  ごめんね」と言った。

「列車の時間があるでしょ。悪いけどここからタクシーで行って。帰ってきたら連絡してね」

すぐそばで捕まえたタクシーに荷物を積み替えてくれた。男はドアを閉めながら「気をつけて行っておいで」と言った。私は言われるまま、タクシーに乗り、列車に乗って実家に帰った。その頭の中で、呪いの言葉が繰り返された。

「私の せいで 事故が 起きた」

実家から戻っても、男に連絡しなかった。何度かメールや電話が来たが、忙しいからとはぐらかした。「会いたい」という気持ちと「会いたくない」気持ちが大げんかした。そしていつも僅差で「会いたくない」が勝ち、電話をする事が出来なかった。本当は会いたくないんじゃない、合わせる顔がなかったのだ。
ずいぶん経って、私はその男が好きだったことを、自分自身に認めた。

助手席に乗っていて怖くなかったのは、きっと運転が上手かったからじゃない。信頼していたのだ。記憶を遡れば、運転が怖くなかったのはこの男と母だけだった。この人だったら、死んだってまぁ仕方がないとさえ思えていたのだ。

その男との関係は自然消滅してしまった。そもそも相手には彼女がいたのだ。でも続けていたらどうなっていただろう。

私は今まで3回、交通事故にあったことがある。

どれもこれも、全くいい記憶ではないが、ダメージが一番大きかったのは3番目だろう。「大事故」だなんて比喩があるが、これもそうなのかも知れない。事故自体は軽かったけれど。

私の勤務先の建物の、すぐ目の前で交通事故があるたびに思う。決して私が事故を呼んでいるわけじゃない。そんなことはとっくに分かっている。世の中の事故は全て災難を含めて偶然だ。ある一定の確率で起こることなのだ。

今度あなたが人の車の助手席に乗る時に「死んでもまぁ、仕方ないかな」と思う相手だったら、その人は運命の人だと思う。私の呪いがもう解けているのか、それはまだ分からない。でも私もまたそんな人に会いたいと、今は思っている。

だから、今度私をあなたの車の助手席に乗せくれませんか。

***

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