全く言葉が話せないドイツで事故に遭い、1人で入院して気づいたこと
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:たぴおCA(ライティング・ゼミ4月コース)
目を開くと世界は90度回転していた。
地面が窓をはさんで左頬とくっついている。白い煙がボンネットから上がり、従妹のエリは叫んだ。
「早く出て!」
どのように出たのか、はっきりは覚えていないが、空側にあるドアを開けて飛び出したらしい。心配してくれた人たちが、すぐに後続の車から飛び出して、私のところにやってきた。しきりに何か言っている。ジェスチャーから推測すると、車から離れて横になれといったところだろうか。とりあえず、そうしてみる。
すぐに聞き慣れない音を出す救急車がやってきた。屈強な外国人が数人降りてきて、担架に私をのせる。胸、腰をロープでしっかり固定すると、それだけでは足りないと言わんばかりに、腕、太もも、足など体の動くところはすべて固定されていった。
救急救命士であろうその男は、ずっと興奮した様子で何か説明してくる。しかし、さっぱりわからない。もちろん言葉の壁もあるが、それ以上に私がまるで状況をのみこめていなかったのだ。
口しか動かせるところがないという段階になって、説明したいことを話し終えたのだろう。そこまで全くわからなかったが、最後の最後に世界中の誰もがわかる短い言葉で問いかけてきた。
「OK?」
何が「OK?」だ。このあとオレをどうするのか、事細かに説明したつもりか。同意がないと次の動きがとれないのか。だったらせめて固定することも同意を取れよ! 頼むから日本語で説明してくれ。
そんなことを思ったところでどうにもできない。私がOKと言わなければ、口しか動かせないこの状況は終わるはずがない。何に対してかは自分でもよくわからないが、せめてもの抵抗で「OK」ではなくこう言った。
「トラスト ユー」
今から8年前、ドイツ人と結婚するというエリを訪ねて、夏休みに私は初めて海を渡った。見たことのない景色、食べたことがない料理、圧倒されるほど大きな建築物、それは、それは楽しい日々だった。あっという間に過ぎた1週間の滞在を思い返しながら、2時間後にフライトを控えた帰り道。エリの夫、フェリックスが運転する車に乗っていた時にその事故は起きた。
「フェリックス、ここじゃない。もう一本先で曲がるのよ」
おそらく居眠り運転だったのだろう。速度制限がない高速道路。あせってハンドルを戻したところで、元の車線には戻れなかった。
そこにあったのはテニスコートくらいの広場。いかにも空き地といった感じで無造作に雑草が生えている。奥には何に使うのか想像がつかない白い小屋があった。その小屋に車の右側を当てて横転した。もしも正面からぶつかっていたら、今この記事を書いていることはなかっただろう。
「ガタンゴトン、ガタガタガタ、グァーン」
「死ぬ」なんて全く思わない。まるでジェットコースターに乗っているかのような気分。嘘と本当の境目がなくなり、軽いパニック状態の中、体を固定されて救急車で運ばれた。
病院に着いてすぐに電話を渡された。話し相手はエリだった。
「けがは大丈夫? 私だけ軽傷だったから別の病院に運ばれたの。すり傷で済んだから、すぐに退院して明日の朝にはそっちに行ける。フェリックスは同じ病院だけど、傷口が大きくてこれから手術になるみたい。なんとか明日までどうにかして!」
「わかった。平気だから、そっちも気をつけて」
と、めちゃくちゃ強がって言ったが、今どこにいるのか、これからどうすればいいのかもわからない。ずっとエリが通訳をしてくれていたし、ドイツの空気を楽しみたいという思いもあって、wifiの準備なんかしていない。翻訳機能でなんとかすることもできない。誰とも言葉を交わさず、この大きな病院で夜を越さなければならない恐怖が急に襲ってくる。
電話を切ると、すぐに部屋に案内される。その途中、腕を包帯でぐるぐる巻きにされたフェリックスと会った。もちろん日本語など話せない彼は私に悲しそうな顔で
「sorry」
とだけ言って、手術室へと向かっていた。私は何も言葉が思いつかず、思いついたところで伝える術すらない状況で、ただ何度も小さくうなずいて見送った。
その部屋には2つのベッドがならんでいた。薄暗い明りの中、足をけがしたであろうドイツ人の男性が、ベッドの上に足をのばして座っていた。木で作られた30㎝くらいの十字架を、胸の前に持ちながら、私に目も合わせようとせず、ドイツ語のドラマを観ている。たまに
「Hohho」
と言ってテレビを見ながら笑う。「こんなところで眠れるわけがない。」そう思いながら横になると、そこまでの緊張から解き放たれたように、胸から首にかけてピキッと痛みが走る。事故直後は興奮して痛みを感じなかったが、むちうちになっていた。
「最悪だ。」
と、自分しか聞こえない声でつぶやいた。眠っていたのか、それともずっと起きていたのかわからない。ただ目をつぶって時間が経つのを待った。
どこかへ隠れていたのだろうか? と思うほど、ひょっこり太陽が窓から顔を出す。
目を開くと世界は90度回転していた。
やわらかい枕が左頬とくっついている。起き上がろうとすると、やはり胸から首に痛みを感じ、悪夢ではなくやはり現実だったことを認識する。
横に目をやると、彼は十字架を持ちながらも優しい顔でこちらを見ている。朝食に用意された固いパンを口に入れて、ようやく自分の中にあるこの感情に気づいた。
生きていてよかった……
エリが迎えにきてくれて、医師の話を一緒に聞いてくれた。すぐに退院して、異国の知らないおじさんとの入院生活は1泊で終わった。
フェリックスは手術をしたが、それほど重症ではなかったようだ。救助に来た方が、横になっていた私を最も重症だと勘違いしたらしく、ドクターヘリまで要請していたとか。日本に帰ってきてから、ドイツ語の手紙が届き、乗ってもいないのに、そのヘリの燃料費20万円を請求された。
1000円にも満たない海外旅行保険が、医療費にもヘリの燃料費にも適用できたので、海外に行く人には入った方がいいと強く勧めたい。
そんな夏休みを終えて、初めて出勤した日の休憩時間。私のまわりに職場の先輩たち5,6人が集まって、ドイツであったことを聞いてくれた。
それぞれ違った反応をしている。半信半疑で聞いている人もいれば、心配そうな顔で聞いてくれる人もいて、大笑いしている人もいた。
ただ、一人だけは違った。
一言話すたびに大きな相槌をうっている。私が話し終えると
「本当によかった。生きて帰ってきてくれてありがとう」
と言ってくれた。普段それほどかかわりのない、年配の女性事務職員の方だ。
もちろん親にも話していたので相当心配されたが、それと同じくらいの熱量で、いや、それ以上の熱量で言葉をかけてくれた。心配してくれる人がいる幸せを心の底から感じた。
気づいたら2人でハグをしていた。私の背中をトントンと優しくたたいてくれる。言葉よりも、その心にグッときてしまう。喜びに包まれながら、ゆっくりと腕をほどき、
「ありがとうございます。こんなにも心配してくれる人は誰もいません。とても、とっても嬉しいです。生きていてよかった……」
私の言葉を聞いて、年配女性は、うんうんと2回うなずいた。
そして、まっすぐ目を見て私にこう言った。
「大変なのよ。職員が亡くなった時の事務処理って」
……
生きていてよかった……
***
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