ふるさとグランプリ

私は母を、ふるさとを、捨てようと思う《ふるさとグランプリ》


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記事:ばんり(ライティング・ゼミ平日コース)

 

トンネルの先には青い空と一面の海が広がっていた。

ふるさとへ帰る途中に見る景色はいつも解放感にあふれ、私の心もゆるめてくれた。

博多から帰るときの別府湾からの景色は私のお気に入りだ。

 

モノも人もあふれる博多の街からだんだんと田舎の景色に移り変わっていく。

さびれた看板、シャッターのおりた商店街、大分に近づくにつれ懐かしい気持ちとさびしい気持ちが同居するような不思議な気分になる。

 

小学生時代。私は友達がうらやましかった。

「夏休みに宮崎のおばあちゃん家に泊まりに行くんだ」

「休みの日におじいちゃん達に会いに行ってきた」

ふるさとのある友達に憧れた。

私には祖父母はいたが、どちらの祖父母も同じ町に住んでおり小学生の私でも歩いて行けるような距離にあった。

祖父母のまつふるさとへ遊びに行くという体験をしてみたかったのである。

 

そして私は小、中、高と同じ町で育ち、就職のときを迎えた。

工業系の学校だったので、就職はたくさんあった。

私の中には最初から、地元に残るという選択肢はなかった。

 

大分に私が望むような仕事がなかったのと、姉が実家に残っていたことが影響したように思う。就職活動をはじめたときから地元に残るという選択肢はなかったのだ。

 

いざ就職活動をはじめると、母親と衝突した。

「横浜の会社を受けてみたい」と言うと、

「関東はやめときなさい、せめて福岡にして」

 

結局、両親に折れる形で福岡に就職した。

 

大分のど田舎で育った私にとって、福岡はとても都会で最初はいろいろなことに戸惑った。

1時間に1本のバスしか通らない田舎町で育った私。

福岡に来ると何本もの路線バスが通っていた。

路線を間違え、遅刻しないように入社式の前日にわざわざ会社近くまでバスで行ってみたりもした。

それほどまでに田舎娘には不安が大きかったのである。

 

しかし3ヵ月もたつと、福岡の街にも仕事にも慣れはじめ、楽しむことが出来るようになった。飲んで帰っても天神からだと徒歩で帰ることができ、毎週金曜日は同期や会社の人と飲みに出歩くのが定番になった。

会社帰りにヤフオクドームに行き、野球観戦を楽しんだりした。

小学校時代の頃、野球を観に行くのは小さな旅行だった。それが、社会人になると日常に なったのである。

 

忙しくも充実した中で、月日は流れ気付けば5年もたっていた。

 

ちょうどその頃、仕事へのモチベーションに変化があった。

「私にこの仕事は向いているのだろうか?自分にとって天職ってなんだろう?」

 

1つの仕事が上手くいかなくなると、その次の仕事もその次の仕事も上手くいかなかった。

毎日会社へ通うのが憂鬱になった。

月曜日がずっと来なければいいと思うようになった。

 

そんなときふと昔から好きだった料理の道へ進みたいと思うようになった。

忙しいときには気付かなかったが、同じように料理が好きだという同世代の女性が活躍して、生き生きと充実した日々を過ごしているのを見かけるようになった。

 

大きな後悔と自己嫌悪に飲み込まれた。

私は一体何をしていたのだろう?

先生や親に言われるまま進路を決め、就職先を決めた。

上手くいかなくなると「お母さんのせいだ」と母を責めたくなった。

 

もう一度、自分の好きなことを目指してみたい。

昔は選択できなかった選択を今度は間違えずにしてみたい。紛れもない本心だった。

 

そこからいろいろな資料を漁り、専門学校を見学する日々が始まった。

一番心に響いたのは料理界の東大と呼ばれる大阪の日高料理学校だった。

 

「日高料理学校に行きたい」

「学費はどうするん?引っ越し代は?大阪は何かあっても行くことが出来ないから、もっと近場にしなさい」

 

母の言っていることは5年前と同じだった。

結局私はまた決断ができなった。

母の反対のせいで、現状維持を選んだのである。

 

後悔も自己嫌悪も日に日に大きくなった。

自分に嫌気が差し、毎日のよう自己嫌悪で泣いた。

 

そして私はどん底の中、一つの結論に達した。

次に何かを決断するときは、事前に母親に相談することはやめよう。

 

私は相談をするふりをして、臆病な自分を隠していたのである。

自分の決断に自分で責任を取るのが怖かったのだ。

そして都合が悪くなると母のせいにしていたのだ。

 

そんな弱い自分と決別したい。

 

きっと次の決断は、会社をやめるときだろう。

それもそう遠くない日になると思う。

 

お母さんごめんね。私はふるさととあなたを捨てます。

 

田舎娘だった私が勇気を出して踏み出した福岡の街は、たくさんの経験をさせてくれた。

一歩踏み出すことで、自分で生活をすること、非日常が日常になることの楽しさを教えてくれた。

 

もしかしたら進む道は失敗かもしれない。

大分の田舎に残っていたほうが平穏で幸せな日々が待っているかもしれない。

 

それでも私は一歩進もうと思う。

 

福岡にでたからこそ大分が私のふるさととなった。

別府湾のきれいな景色や福岡では見ることができない星空のきれいさに気づくことが出来た。両親がつくってくれるお米のありがたさや畑で採れた新鮮な野菜に感動することが出来た。

 

ふるさとがなくて嫌だった小学生の私はありふれた当たり前な日常の幸せに気付くことが出来なかったのである。

 

離れたからこそわかる大切なふるさと。

口うるさい心配性の母親。

 

もしかしたら故郷に錦をかざることは出来ないかもしれない。

 

でも自分の人生で挑戦をしたという思い出は心の中で色鮮やかな思い出としていつまでも自分の中に残ると思うから。

そう、別府湾の鮮やかな景色のように。

 

お母さん、いつか自分に誇りが持てたらまた帰ってきます。

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