不良少年が10年後に教えてくれたこと《プロフェッショナル・ゼミ》
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記事:めぐ(プロフェッショナル・ゼミ)
「人生の中で、暗黒時代っていつ?」
あまりこう聞かれることもないけれど、もし聞かれたら、私は迷わず「中学時代」と答える。
決して、友だちがいなかったわけでも、いじめられていたわけでも、成績が学年400人中最下位だったわけでもない。
人並みに楽しかった思い出もあるし、可愛らしい恋の思い出もある。
一生モノと思える友だちもできた。
「それなり」に楽しく学校生活を送っていたと思う。
それでも、あの中学時代にだけは戻りたくない、と思う。
だって、あいつらがいたから。
奴らと分かり合うことなんて絶対ない、別世界の人間だ、と思っていた。
なのに、奴らに大事なことを教えてもらうことになるなんて。
そんな時がくるなんて思ってもみなかった。
今から20年ほど前、小6の私は、中学生になりたくてしょうがなかった。
中学校では、クラブ活動が「部活」になるし、算数は「数学」に変わる。
制服を着て学校に行き、部活が終わったら学年指定色のジャージを着て帰る。
あぁ、かっこいい。
どれをとっても「大人」で、キラキラ眩しく思えた。
それだけではない。
新しい友達に出会えることも、大きな魅力だった。
私が通う中学は、3つの小学校の卒業生が入学し、クラスは小学校のときの4クラスから中学では10クラスになる。
一体、どんな友達ができるのだろう。
中学生になったらきっと新しい世界が待っている、きっともっと楽しくなる。
そう思っていた。
その、憧れの「中学生」になると、本当に大きく生活が変わった。
勉強も難しくなったけれど、それよりも部活が始まったことは大きな変化だった。
いろいろと悩んだあげく、厳しいと言われる吹奏楽部に入り、夜遅くまで楽器を吹く毎日が始まった。
我が中学は毎年全国大会に進む強豪校。
小学校の時にも「金管クラブ」というクラブ活動に入っていたが、それが「おままごと」だったと思えるくらい、レベルが違った。
合奏の迫力が違う。
部員の気合いもまるで違う。
土日も毎週のように部活に出て、大会前には、誰だか分からないけれど「すごい指導者」が来てくれることもあった。
そんな部活だから、真剣にやりたいと思っていなければ続かない。
練習量が半端ないし、室内の部活にもかかわらず校庭を走らされたり筋トレをさせられたりと、とにかく厳しいのだ。
辛いという理由で、退部する人もチラホラいた。
にもかかわらず、この吹奏楽部には「不良」と言われる先輩が何人かいて、大多数の「黒髪で長いスカート」な部員に、「茶髪で短いスカート」の女子が混じっていた。
彼女らは「不良」というレッテルを自ら貼って強がっていても、純粋に音楽が好きらしい。
同じ音楽好きとはいえ、絵に書いたような「地味」な自分とは遠い世界の人たちだと思っていた。
けれど「杉田先輩」は、なにかと可愛がってくれた。
明るい茶髪でパーマをかけていて、スカートは短く、目つきは鋭い。
立っているときはだいたいどちらかの足に重心が乗っていて、まっすぐ立つことはないし、話す時は腕を組んでいる。
見るからに、怖い。
その容姿でありながら、楽器を吹くとダントツで上手く、時おり1年生の私たちに的確なアドバイスをくれる。
うまく吹けない時は、私のパートを一緒に吹いては、手取り足とり教えてくれたし、休憩時間はクラスの話や部員の話をしてくれて、よく2人で笑いあった。
そんな優しくてフランクな杉田先輩が私は大好きだった。
まるでお姉ちゃんができたかのように慕っていて、いつも杉田先輩を追いかけていた。
部活に入ってから1年が経ち、2年生になった頃のこと。
急に、杉田先輩から呼び出された。
私の姿を見つけると、鋭い目つきでツカツカとやってきて、
「ちょっといい?」
と、吐き捨てるように言い放った。
なんだかいつもと様子が違う。
なにか怒られるようなことがあっただろうか。
身に覚えがない私は、キョトンとしながら、足早に歩く杉田先輩にトコトコついていった。
こんなことは今までなかった。
もしかしたら、私はこれから「シメられる」のかもしれない。
シメられるというのは、生意気だと目をつけられた後輩が呼び出され、シバかれる、という意味だ。
そうゆう話は噂では聞いていたけれど、まさか自分が対象になるなんて思ってもみなかった。
どうしちゃったんだろう、先輩。
校舎と校舎の間に着くなり、それは始まった。
「あんたさぁ、最近ちょっと調子にノってんじゃない?」
「どうゆうつもり?」
「最近、あんたアベと仲いいんだって?」
「ナメてんの?」
分からぬ。
どの質問も意味が分からない。
こちらがポカンとして何も言い返せないのをいいことに、杉田先輩は怒りに満ちた言葉を一方的に投げつけてくる。
しまいには「部活やめな!」とまで言ってきた。
ちょ、ちょっと待ってください。
私、部活やめなきゃいけないんですか?
展開に頭がまったくついていかないけれど、どうやら大変なことになってしまったことはたしかだった。
そしてもう一つ確かなのは、アベと仲よくしている私を、怒っているということ。
我が中学では、2年生になると一部の生徒が「不良」と化すのだが、その中でも可愛くて派手で、際立って目立っていたのが、友人の「アベ」だった。
どうやら、その目立っている「アベ」が気に食わないらしいのだ。
そして、そんなアベと仲良くしている「地味な私」も気に食わないらしい。
はぁ、そうですか……。
すっかり怖気付いた私は、しばらくして、吹奏楽部を辞めた。
そんなことがあってから、「不良」との接触をさらに避けるようになった。
杉田先輩とは、目を合わせることも会話をすることもなくなったし、アベとも少しずつ距離をとるようになった。
厄介なことはごめんだ。
できるだけ目立たないように、目立たないように、ひっそりと生きていくことにした。
ちょうどこの頃から、我が学年の「不良」の活動が、日に日に活発になっていった。
男女合わせて、15人くらいだっただろうか。
休み時間、授業中問わず、彼らは怪獣のように無秩序に荒れ狂う。
その暴れっぷりは、他の中学校にも知れ渡るほどで、警察沙汰になることもあった。
授業中に、廊下でラジカセから大音量の音楽を流し、歌う。
4階の教室の窓から、大量のトイレットペーパーを落とす。
休日に1階の窓ガラスをすべて割る。
授業中、他のクラスの奴がやってきて、授業を妨害する。
時には、「暴走族」が正門に向かいにきていて、校舎に向かって大きな声で叫んでいることもあった。
そんな悪事が行われる度に、学年集会が開かれて関係のない大多数の生徒も一緒に怒られる。
それに都度対応しないといけない先生も大変だ。
奴らのせいで授業が止まることは日常茶飯事で、3年生になってそろそろ高校受験に向けて勉強をしっかりやろうと思い始める時期にも、おさまるばかりか彼らの暴挙はさらに加熱していった。
どうか、平和で穏やかな生活を送らせてください。
どうか、受験勉強をさせてください。
自然と、卒業式が来るのを指折り数えては、それを待ち望むようになっていった。
その待ちに待った卒業式。
今まで味わったことのないくらい、実に晴れやかな気分だった。
高校生になれる喜びもあったけれど、彼らから解放された喜びがそれと同じくらいあった。
卒業式が終わると、校門には「暴走族」の先輩方が彼らを待っていて、彼らは中学を卒業すると同時に、「暴走族」に進化していく。
彼らは、あれからどのような毎日を過ごしたのだろうか。
少なくとも私とは全く違う毎日だっただろう。
彼らと再会したのは、その10年後の25歳の時だった。
中学卒業してから「10周年」の同窓会が開かれた時。
久々に会う旧友たちは、変わっていないようでいて、大人の一面も持ち合わせていて、とても懐かしく、その成長をお互いに認め合うことができて嬉しかった。
もちろん、それは「不良」だった彼らも同じ。
仲良くしてもらった覚えはほとんどないのだが、そのうちの一人、ヤッちゃんが明るく声をかけてきてくれた。
「よぅ! お前、全然変わってねーな!」と大声で笑っている。
聞くところによると、25の若さですでに結婚と離婚を経験しているらしい。
今はトラックの運転手をしているとのこと。
「変わってなくて、安心したわ!」
と言って笑うヤッちゃんには、もうあのころの危ういヤンチャさはない。
今こうやって目を見て笑って、怯えることなく堂々と話せていることが不思議だった。
10年ってあっという間だけれど、やっぱり長いのかもしれない。
そんな会話を、幾人かと繰り返していたところで、ビンゴゲームが始まった。
ザワついていた会場の元中学生は、ゲームが始まるとそれに一気に集中し、終盤では一つの番号が呼ばれる度に、一喜一憂して大いに盛りあがった。
そして、「ビンゴ!」と最初に叫んだのは、なんとあのヤッちゃん。
1位の賞品を手にしながら、満面の笑みで、勝利者インタビューに答えている。
時おり笑いを誘う彼のインタビューで、会場はさらに湧いた。
すると、彼はこう言った。
「すみません、伝えたいことがあるんスけど、少しだけ話をしてもいいッスか?」と。
今まで湧いていた会場は、意外な展開にシンと静まり返る。
ヤッちゃんは、さっきまでの満面の笑みをしまいこみ、緊張した表情で、こう始めた。
まず、このような会を開いてくれた幹事のみんな、ありがとう。
そして、先生、本日はお忙しいなか来てくださってありがとうございます。
働くようになった今、あの当時分からなかったことが、今やっとわかるようになりました。
先生、あの時はごめんなさい。
この歳になって、やっと先生たちに苦労をかけたことが分かりました。
本当に今、反省しています。
そして感謝をしています。
迷惑をたくさんかけていたのに、いつも僕らに真剣に向き合ってくれました。
今こうして成長できたのも、先生方のおかげです。
本当にありがとうございました。
……震えた。
そこにいる誰もが、熱いものを感じた。
隣の人も、その隣の人も、ジンと温かいものが体内に流れてこんでいるだろうことが、身体全体で分かる。
この中学で、こんな一体感を感じたことがあっただろうか。
中学生だった私たちは、10年経ちこんな感動を分かつことができると誰が思っていただろうか。
まさか、彼がこんなことを言うなんて。
涙を流している先生もいた。
それほど、心に響く言葉だった。
この一言で、なにもかも帳消しにすることができたわけではない。
けれど、そのことに気づき、そしてそれを素直に言葉にして伝えるヤッちゃんはかっこいい。
大人になるっていいものだ。
自分で働いて、お金を稼ぐことで、やっと気づけることって、たくさんある。
あの当時、当たり前だと思っていた「大人の行動」は、実はまったく当たり前ではないこと。
「大人」が思い悩みながら、心を痛めながらも、私たちに向き合っていてくれていたこと。
そのおかげで私たちは成長することができたこと。
そんなことに気付くことができるのだから。
心から感謝することができるのだから。
そして、不良少年だったヤッちゃんは、その反省と感謝を自分の言葉でちゃんと伝えた。
しかも、200人を超える大衆の前で。
それって誰もができることではない。
私は、両親に、恩師に、言葉にして伝えたことがあっただろうか。
不覚にも、ヤッちゃんに「素直に言葉にして伝える」ことは、とても素敵だということ、そして人を感動させることができる、ということを教えてもらった。
まさか、ヤッちゃんから教えてもらうことがあるなんて、思いもしなかった。
今まで「暗黒時代」として、ずっとどこか心の奥にしまいこんでいた中学時代。
けれど、もしかしたらヤッちゃんのおかげで、もうその必要はどこにもないのかもしれない。
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