偽善者って、いい奴じゃん。
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記事:バタバタ子(ライティング・ゼミ 日曜コース)
「ねぇ、好きなタイプって、どんな子?」
「ええーっ。うーん……。よく、わからないです」
「じゃあ、嫌いなタイプは?」
「偽善者です」
「あははっ、即答したね」
目の前で先輩がケラケラと笑う。さっき自己紹介されたばかりだが、その名前はもう忘れてしまった。
まぁ、いい。とにかく、私の苦手な、けれど女子高生同士で話すと避けては通れない質問、「好きなタイプは?」から、話題を変えることはできたようだ。
「だって、嫌じゃないですか、偽善者って」
いろいろな「偽善者」のイメージを思い浮かべる。
例えば、クラスメイトと下校中、通学路に空き缶が落ちていた。それを拾って、ごみ箱に捨てる。
みんなから「えらーい」「見習わなきゃ」なんて言われて、「そんなことない、当たり前だよ」とか何とか、謙遜する。
でも、友達とわかれて、人目のない道に出ると、お菓子を取り出し、包みをポイ捨て。
ほら、偽善者。
例えば、老人ホームにボランティアに行く生徒。
「喜んでもらえて良かったです。これからも元気で長生きしてください」とか何とか言う。
本当は、お年寄りなんて別に好きじゃない。ボランティアだって、かったるい。同い年の友達と遊んでいたい。
でも、学校から行くように言われたから。あるいは、ボランティアをすれば自分の評価が上がるとわかっているから。だから、しぶしぶ参加する。
ほら、偽善者。
まだ、善悪は、はっきり分けられるべきだと思っていた高校時代。
善意に交じる、ほんの少しの悪意も許せなかった。
疑心暗鬼なくらい、善行を厳しく検品していた。
高級品として生み出された有田焼が、針でつついたような、たったひとつのシミのために、訳アリ品のかごの中に放り込まれて、1個100円で売られてしまうように。
どんな善行でも、そこに少しの悪意があれば、それは「偽善」、すなわち悪だと、かたくなに思っていた。
「あるクラスに、転校生がやってきました。生徒の反応は様々。仲良くしたいと思った生徒がいる一方で、嫌な奴だと感じている生徒もいます。」
テレビの中で、経済学の先生が話している。
「嫌な奴だと思って、話しかけないでいる生徒たちは『差別主義者』。逆に、嫌とは感じないで、仲よくしようとする生徒たちは『真正進歩主義者』です」
説明しながら、フリップに貼られた目隠しを、ペロンペロンとめくっていく。
その手元を、ロックの梅酒を舐めながら、鈍い頭で、ぼんやりと眺める。
「ここで、嫌な奴と思いながらも、仲よくする行動をとる生徒たちもいます」
ふんふん、いい子たちじゃないか。嫌な相手でも、いじめたり、無視したりするんじゃなくて、仲よくしようとするなんて。相手のために、クラスのために、頑張っている。いい子たちだ。
「こういう生徒たちを……」
先生が目隠しをペロンと剥がす。
「言葉は悪いですが、『偽善者』といいます」
なんですと!
息がとまるかと思った。
えっ、だって、こんなにいい子たちが、まさか、あれほど憎んだ「偽善者」だって?
重たい頭をなんとか回して、考えこむ。
たしかに、相手を嫌うという本心に反して、仲よくしようと振る舞うのは、偽善なのかもしれない。本当は、心から相手を好きになるべきなのかもしれない。
それでも、やはりあの子ら「偽善者」は、いい子たちだと弁護したい。
だって、好きな相手と仲良くしようとするのは自然な流れだが、嫌いな相手と仲良くするなんて、並大抵の労力ではないはずだ。
距離をおいて、関わらないでいたほうが、よっぽど楽だ。
けれど、彼ら偽善者がそうやって、頑張って仲よくしようとするお蔭で、転校生はクラスになじむ糸口をみつけられるのだ。
クラス全体にとっても、和気あいあいとした雰囲気を保って、居心地のいい教室を作ることができる。
それに、嫌いだという態度をとらないでいるだけでも、そのうち本当に相手のことを好きになれるかもという可能性を、潰さずにおくことができる。
偽善者がとっている行動は、誰も傷つけず、むしろ、誰のためにも役立っているのではないか?
それではなぜ、かつての私は、「偽善者」をあれほど憎んだのだろうか。
空き缶をゴミ箱に捨てた子が、お菓子の包みをポイ捨てした。いい子だと思っていたのに、裏切られた。
笑顔で老人ホームの入居者に接していた生徒は、本心では自分のことしか考えていなかった。利他的だと思っていたけれど、実は利己的だった。裏切られた。
裏切られた? 本当は、逆だったんじゃないか?
本性ではポイ捨てする子が、そのときだけは頑張って、空き缶を拾い、ごみ箱まで捨てにいった。
本当はお年寄りに興味なんてないけれど、今、目の前にいる相手を喜ばせようと、精一杯の笑顔を作った。
そのとき彼らが裏切ったのは、他人の視線ではなく、普段の身勝手な己自身だ。
少なくともその瞬間だけは、彼らは、世のため人のためにと動く、本当の善人だったのではないだろうか。
今の私がそう考えるのは、高校生の頃のような、悪意に対する潔癖さを失ったからかもしれない。
大人になる過程で直面した自分のずるさを、私は乗り越えられなかった。
けれど、この偽善者についての考えに至ったとき、なんだか、世界が優しいと感じた。
ずるい自分も、OKな気がした。
もし、タイムマシンであの頃の私に会うことができたなら。
あるいは、あの頃の私によく似た若人に出会うことがあるなら。
受け入れられるかどうかはともかく、こう言ってやりたい。
「偽善者って、いい奴じゃん」
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