もしも、ドクロのラベルが貼ってなかったら……《プロフェッショナル・ゼミ》
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記事:中村 美香(プロフェッショナル・ゼミ)
*この話はフィクションです。
「佳奈ちゃん、久しぶり。変わってないね。あ、私のこと覚えてる?」
メロンパンとツイストドーナツを乗せたトレーを、台に置きながら、レジの前に現れたのは、私と同じ年くらいの髪の長い女性だった。
「あ、えっと……」
いらっしゃいませと言うのも忘れて、私は戸惑った。
なんとなく、どこかで会った気はする。
だけど、その女性のことを思い出そうとしても、どの時代の、どういった知り合いなのか全く思い出せなかった。
「そっか。忘れちゃったか。そりゃそうだよね。もう、あれから16年も経つし。佳奈ちゃんがここでバイトしているのはね、雅江さんに教えてもらったの。雅江さんは覚えてるよね?」
「雅江さん? あ、コーポ中山の雅江おばさんのこと?」
「そう!」
雅江おばさん……。コーポ中山……。ふたつのヒントをもらって、私は、ようやく、答えに導かれた。
「もしかして、栄子ちゃん?」
「そう! 思い出してくれた?」
栄子が笑った。そうだ! 笑った時に、えくぼができるんだった!
難題が解けたすっきり感を味わいながらも、目の前にいるのが、子どもの頃一緒に遊んでいた栄子だとわかって、複雑な思いが、胸にこみ上げてきた。
嬉しいというよりは、なぜ、突然訪ねてきたのだろう? という疑問の方が大きくて、どちらかというと、不安だった。
それでも、今は、お客さんとして、対応しなければならないことを思い出して、レジの仕事を再開した。
「バイト何時に終わる?」
「えっとね、8時までだから、あと15分くらい」
「せっかくだから、よかったら、お茶しない? 隣のカフェで待っててもいい?」
「あ、うん。わかった」
「よかった。ありがとう。じゃあ、先に行って待ってるね!」
栄子は、嬉しそうに店を出て行った。
コーポ中山とは、私が、幼少期を過ごしたアパートで、雅江おばさんは、そこの大家さんだった。
私が中学生になった時、そこからさほど離れていないマンションに一家で引っ越したあとも、私の母とは、スーパーなどで、時々、立ち話をしているようだった。
私がこのパン屋で働いていることも、きっと、母が雅江おばさんに言ったのだろう。
栄子と私は、同じ年だった。
私は、栄子の母親のことを「栄子ちゃんのおばちゃん」と呼んでいた。
私たちは仲が良かったけれど、栄子ちゃんのおばちゃんと私の母の仲はあまりよくなかった。嫌い合うというよりも、おばちゃんが母に対して、無理難題を言ってくるのを、母が嫌がっているという感じだった。
新聞の集金のお金が家にないからと、なぜか、代わりに我が家に集金に行くようにと、栄子ちゃんのおばちゃんが新聞屋に言って、母が怒っていたことを覚えている。どうやら、おばちゃんが、お金を使いこんでしまったらしく、それを栄子ちゃんのお父さんに知られるのが嫌だったようだ。それにしても酷い話だ。
また、こんなこともあった。
町会の持ち回りの世話役が、おばちゃんになるタイミングで、「町会をやめる」と言い出したらしい。それでは、仕方ないと、次の順番の、母が引き受けたら「やっぱりやめない」と言った。それについても、母は怒っていた。
こんなことが、日常茶飯事だったから、母が、おばちゃんのことを好いていないのはわかっていた。
だけど、私は、それでも、栄子と遊んでいた。
栄子以外に、近所に遊び相手がいなかったのもあるけれど、栄子の家には、面白いおもちゃがたくさんあって、とても魅力的だったのだ。
だから、行ってはいけないと思いつつも、こっそり遊びに行っていた。
パン屋のアルバイトが午後8時に終わって、私は、私服に着替えた。
それにしても、今更、なんの話をしに来たんだろう。
栄子と私は、栄子が言った通り、16年間会っていなかった。
16年前のある日、私たちの住むアパートの前に救急車が止まって、栄子ちゃんのおばちゃんが運ばれた。
私には、何があったのかよくわからなかったけれど、次の日、母に
「栄子ちゃんのおばちゃん、死んじゃったんだって」
と聞かされた。
死んじゃった……と聞いても、まだ5歳の私にはよくわからなかった。そんな私に、母は
「遠くに行って会えなくなってしまうことだよ」
と教えてくれた。それを聞いて、ちょっとだけ寂しかったことを覚えている。
その時の母は、寂しそうでない代わりに、ちょっとだけホッとしているように見えた。
その後、栄子ちゃんと栄子ちゃんのお父さんは、コーポ中山から去って行った。
どこに行ったのかは、わからなかった。さよならも言わずに、居なくなってしまったから……。
それと時を同じくして、我が家にも変化があった。
母が急に居なくなってしまったのだ。
朝、幼稚園に送りに来てくれて、下駄箱で、バイバイした時は元気だったはずなのに、その帰りは、なかなか迎えに来てくれなかった。
私は、職員室に連れられて行った。先生がうちに電話してくれたけれど、誰もでなくて、とても心細かったのを覚えている。
夕方になって、ようやく迎えに来てくれた父が、帰り道に言っていたことに驚いた。
「お母さん、入院しちゃったんだよ。しばらく帰ってこないから、お父さんとお留守番していようね」
寂しそうに言った父の顔が忘れられない。
あまりにも、父が寂しそうだったから、私は泣けなくて、口を真一文字に結んで頷いたんだった。
一週間くらいして、帰ってきた母は、げっそりと痩せていた。
「佳奈、心配かけてごめんね。もう大丈夫だよ」
泣きながら抱きしめられて、私も泣いた。大声で泣いたんだ。
カフェにつくと、栄子は、一番奥の席に座って、スマホを見ていた。
私が近づいていくと、顔を上げて、嬉しそうに手を挙げた。
「バイトで疲れているところ、ありがとうね」
「うん。大丈夫。こちらこそお待たせしちゃってごめんね」
「何飲む? 私はコーヒーだけど」
「私も同じものを飲もうかな」
どこに住んでいるのか?
アパートを出てから、どうしていたのか?
聞きたいことは山ほどあった。
さっきまで、忘れていた人のことなのに、聞きたくて仕方ない自分が不思議だった。
私のその気持ちが通じたのか、栄子は、これまでのことを一通り教えてくれた。
どうやら、あの後、お父さんと隣町のアパートに引っ越したらしい。そして、まもなく、お父さんは、再婚したそうだった。そして弟もできたらしかった。
「大変だったんだね」
「まあね。いろいろあったよ」
「で、今日は、なんでまた突然会いに来てくれたの?」
なんの用?
本当は、そう聞きたかったけれど、言葉を選んだつもりだった。
「だよね。そう思うよね。実はさ……私、ずっと、お母さんは自殺したんじゃないって思っててさ。雅江おばさんに、知ってることがないか、聞きに行ったんだ」
え? 自殺? 病気じゃなかったの?
頭にそう浮かんで、それをそのまま言っていいのかどうか迷った。
「どういうこと? ごめん、全然知らなくて……」
「あ、そうだよね。うちのお母さんさ、自殺っていうことになってるんだけど、それも知らなかった?」
「うん。ご病気だと思ってた」
「そっか……じゃあさ、これも知らない?」
「何?」
「えっとさ、佳奈ちゃんのおばちゃんがさ、うちのお母さんを、そのさ、殺したんじゃないかって、警察に疑われてたこと」
「え? なにそれ」
「あ、やっぱり知らなかったか。あ、だけど、犯人は、佳奈ちゃんのおばちゃんじゃないよ。おばちゃんも否定したし、証拠もなかったらしいから」
びっくりした。
そんなことがあったのか!
あ! あの入院は、事情聴取だったのか!
でも、なんで?
「どうして、母が疑われたの?」
「私が言うのもなんだけど、佳奈ちゃんのおばちゃん、うちのお母さんのこと、好きじゃなかったみたいだからかもしれない。あとさ、ドクロの瓶のこと覚えてる?」
「ドクロの瓶? あ!」
栄子の家の戸棚にあった瓶のことを、私は、急に、思い出した。
茶色くて中身のよくわからない瓶の周りに貼ってあったドクロのマークのことは、妙にはっきり覚えていた。
「あの、栄子ちゃんのうちにあったやつだよね?」
「うん。確かに、うちにあったんだけど、空になったあの瓶がさ、お母さんが亡くなった時に、佳奈ちゃんのうちにあったんだ。疑われた理由には、それもあると思う」
「え? うちに?」
何が何だかわからなかった。
私の母が、容疑者になったり、空のドクロの瓶がうちにあったり……。
ほんの一時間前まで、記憶の奥にしまわれていたものと、その影にかくれた知らないことまでが次々と目の前に広げられて、息苦しくさえなった。
私が、コーヒーを飲むと、栄子もコーヒーを飲んだ。
「でさ、私、ドクロの瓶について考えていたんだけど、思い出したんだよ」
栄子が、まっすぐ私の目を見た。
「え? 何を?」
「私の記憶違いだったらいいんだけど、本当に怖いことなんだけど……」
そう言うと、栄子は急に、顔をくしゃくしゃにして泣き出した。
「栄子ちゃん? 大丈夫?」
しばらく、声を押し殺すように泣いて、深呼吸をしてから、栄子は話しを続けた。
「あのさ、あの日。うちのお母さんが亡くなる前にさ、佳奈ちゃん、うちに遊びに来てくれててさ、あのドクロの瓶をじっと見つめていたんだよ」
「え? 私が?」
ああ、あの日かどうかはわからないけれど、確かに、ドクロの瓶のことはすごく気になっていた。
「私がさ、『佳奈ちゃん、あの瓶ほしい?』って聞いたら、佳奈ちゃんが『ほしい』って言ったの。だから、私は佳奈ちゃんが好きだったから、瓶をあげようとしたんだよ」
あ! そうか!
そう言えば……。
私は、栄子が瓶を戸棚から出したことを思い出した。
「そうしたらさ、佳奈ちゃんが、『なにか入っているから、やめよう』って言ってさ、私は、『だったら、こうしよう』って、隣にあった瓶に、入ってた液体を移し替えたんだ」
「隣にあった瓶って、お酒の瓶?」
「うん。そう。多分ウイスキーの瓶だと思う」
「もしかして、それを、栄子ちゃんのお母さんが?」
「そう。知らずに飲んだんだと思うんだ」
「ドクロの瓶の液体ってなんだったの?」
「それがさ……雅江さんに聞いたらさ……農薬だって」
「農薬?」
農薬が入ったウイスキーを、栄子ちゃんのおばちゃんが飲んで死んじゃったのか……それって……。
「私がお母さんを殺したんだよ! 自殺じゃない。誰か犯人はいるはずだと思っていたのにさ……」
「栄子ちゃん……」
栄子は涙を流しながら、笑っていた。
「どうして、農薬が、そんなところにあったんだろう……なんで、雅江おばさんがそのことを知ってるの?」
私には不思議でならなかった。
「あの、ドクロの瓶ね、最初は、佳奈ちゃんのうちにあったんだって。雅江さんが、家に植木がある人に配ったみたいなの。うちには植木はなかったから、もらえなかったんだけど、どうやら、お母さんが、佳奈ちゃんのおばちゃんから、強引に奪ったみたいで……。お母さん、ドクロのマークには目がなくてさ、部屋にも結構貼ってたでしょ」
確かに、栄子ちゃんの家には、ドクロのマークがたくさん貼ってあった。
私が、栄子ちゃんの家に惹かれたのは、おもちゃのせいもあるけれど、ドクロのマークもあったのかもしれない。
母が嫌いな人の家、しかも、ドクロのマークがたくさん貼ってある家、だけど、楽しいおもちゃがたくさんある家……。
なんて言っていいかわからなくなって、私は、黙ってしまった。
すると、栄子が続けた。
「私ね。ずっと、思い出せなかったの。だけど、雅江さんと話をしていたら、急に鮮明に思い出してきてさ。警察に行こうかと思ったんだけど、雅江おばさんに、『あれが事件だったとしても、もう時効だよ』って言われてさ。誰かに話したくて、佳奈ちゃんに会いに来たんだよ」
「そっか……」
「うちのお母さん、佳奈ちゃんのおばちゃんにも悪いことたくさんしてたし、雅江さんにも迷惑かけてたみたい。どうしようもないね……どうしようもないけどさ、それでも、私のお母さんだから」
そう言い終わると、栄子は今度は声をあげて泣いた。
私は、目の前の栄子が、あの一緒に遊んでいた時の幼い栄子に戻って泣いているように見えて、気がついたら、となりに座って肩を抱いていた。
「栄子ちゃん、今度、私も、おばちゃんのお墓参りに行ってもいい?」
「え? あ、うん」
ほんの少しだけ、栄子が笑って、その横顔が、栄子ちゃんのおばちゃんの顔に見えた。
そして、その顔がこう言った。
「ひとつだけね、どうしてもわからないことがあるの」
「何?」
「ドクロのラベルは、雅江さんが、佳奈ちゃんのおばちゃんに渡した時は貼ってなかったんだって」
「……ということは……」
は! もしも、母が栄子ちゃんのおばちゃんが、ドクロのマークが好きなのを知っていたとしたら、欲しがるのもわかっていたかもしれない。
こうなることもわかっていたとしたら……。
いや、まさか……ね。
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