ふるさとグランプリ

初体験のその味は《ふるさとグランプリ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:森山寛昭(ライティング・ゼミ日曜コース)

 
 
「いやーん」
決してオネエではないが、そのときは思わず口にしかけた。
私ははじめて、固まる、という体験をした。
目の前の出来事に動揺し、右手にコップを持つ指が白くなるまでそれを握りしめていた。
 
いい歳をして、私はゴキブリが大の苦手である。
数ミリのやつならよいが、1センチを超えると全くダメである。
小学生の頃、はじめてクロゴキブリが目の前を羽ばたくのを見て以来、あまりの不気味さにトラウマになってしまった。
職場のシンクにそいつが現れたときは、悲鳴をあげて腰を抜かし、複合機に頭をしこたま打ちつけて、上司に呆れられた。
今だに自宅にそいつが現れると、部屋中が大量の新聞紙と殺虫剤、ティッシュペーパーが散乱する戦場と化す。
 
このときは全くの不意打ちだった。
はじめての沖縄、石垣島に出張で訪れた私は、上司の借りた仕事場の簡単なインフラを整備すると、稼働の確認もそこそこに、地元の味を堪能するため食堂に飛び込んだのである。
10月とはいえ、さすが南国。
日中は半袖でも結構暑い。100メートルほど歩いて、島の大通り沿いの食堂に着いたときも、じんわり汗をかいていた。
中に入ると、冷房が心地よい。
昼どきを過ぎてまばらな食堂内には、陽に焼けた若い姉ちゃんがやる気なさげに座って休んでいる。
思えば、そこで店のクオリティを見極めるべきだったのだ。
だが、私の食欲が勝った!
「ソーキそば、お願いします」
八重山そばかソーキそば、数秒悩んだが、仕事も一段落したし、ここはがっつりソーキでしょ!
八重山そばが豚の三枚肉なのに対し、ソーキそばは、豚の骨付きスペアリブがどん、と入ったそばである。ソーキとはスペアリブのことなのである。
あのテカテカと黒光りするスペアリブを鰹だしのあっさりしたスープに浸していただく様を、そのとき私は思い浮かべていた。
「あ、ここはおひやセルフサービスなんで」
と愛想の悪い姉ちゃん。
 
まさか、ここで地獄を見るとは。
渇いたのどを潤すために、私はサーバーまで歩いて麦茶をコップに注いだ。
すると、麦茶とともにゾロリ、と出てきたものは、1匹のチャバネゴキブリだった!
「時」が止まった。
なんでこんなところからゴキブリ???
私はすっかりパニックである。
「すいません」
ようやくこれだけ口から絞り出して、あとは身振り手振り。
サーバーを指さし、コップの中身を見せて、
「この中からゴキブリ出てきた(怒)」
とジェスチャーで指摘した。
「あ」
あ、じゃねーよ、ねーちゃん!
この店から出る頭すら働かず、震える膝をだましだまし席に戻った私は、まもなく給仕されたそばをヤケになってかきこんだのである。
たっぷりと沖縄独特の辛み調味料、コーレグースをぶち込んで。
あんなことがあったのに、そばの代金はしっかり取られた。
 
これが私の、ソーキそばとの出会いである。
初体験の味がどんなだったかなどまったく覚えていない。覚えているのは、ソーキとは名ばかりのただの骨付き豚バラ肉しか入っていなかったこと。
味を確かめるために、その店には二度と足を運ぼうとも思わない。
この痛い体験からしばらくの間、私はソーキの黒光りを見るとゴキブリの羽根を連想してしまうようになった。
おかげで大好きだったスペアリブはおろか、豚の角煮さえいっとき食べられなくなった。
ようやく食べられるようになったのはここ最近の話である。
 
それもやっぱり石垣島。
食い道楽の上司が、地元情報を駆使して見つけた店である。
事務所から30分以上車を飛ばしたところに、それはあった。
「ここのソーキそばはすごくてさ」
私ともう1人の同伴者に熱く語る上司を横目に、ハンドルを握る私の手は汗ばんでいた。
ご、ゴキブリ・・・・・・。
いざとなったら、他のメニューをチョイスすればよい。他人の丼の中身を見なければよい。
若干の動悸を覚えながらも、店先の列に私たちは並んだ。
 
結論から申し上げると、私はソーキそばをこれでもかと堪能することができたのである。
「ここのソーキはデカすぎるから、お腹いっぱいになるんよ」
上司の評価など、どうせ盛っている、とまるっきり信じていなかった私は、言われるままにソーキそばを注文した。
食べられないなら、もう1人の同伴者に具は全部任せればよかった。
が、出てきたものを見たとき納得した。そして、
「こんな大きさのゴキブリはいねえ」
頭の片隅をコソコソ這い回っていたゴキブリは、その肉を見た瞬間どこかへ消えてしまったのである。
ビバ! ソーキ!
そばの上に盛られたスペアリブは圧倒的存在感をもって、丼の右端から左端を橋渡ししていた。
これは単に、肉の開き方にすぎないのだが、私にはそれで十分だった。
要は、肉のスケールがゴキブリサイズだったから食べられなかっただけなのだ。
何という嬉しい気づき!
あとはもう、味わうだけである。沖縄らしい濃厚な黒砂糖の甘みを絡めた肉をほおばりながら、このときだけは上司の顔が仏に見えた。
 
おかげさまで、私は以前のスペアリブ大好きオヤジに戻ることができた。
もうあの黒光りを見て、ゴキブリを連想することはない。
そいつの姿を思い浮かべるのは、別の機会だけでよいのである。
 
にしても、落として上げる、この一連の演出、この島は私をどうしようというのか?
さらなる魅力を探してもらおうと手招きしているのだろうか? 果たして?
 
 
***

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