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こんな人ではなかったはずだ 母は


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:森田裕子(天狼院書塾)

 
 
どうして、もっと優しく話せないのだろう。
同じことを何度も聞きなおす母に、私は少しイライラしながら「だからあ」の一言を付けて同じことを伝える。
そして、この言葉が口から出た途端に、私は後悔してこう思う
覚えられなくて当たり前やん。それで普通やん。もうすぐ九十歳なんだよ。
 
この一年で、母の記憶力は滑り台を転がるボールのように、急に衰えた。
昼食を取りながら二人で決めた午後からの予定も、食べ終わる頃には忘れている。
 
十年前、母は終の住み家として今の老人ホームに住むことを決めた。
実家のある兵庫県から私が住む滋賀県へ電車に乗り、一人で遊びに来ることが出来た頃だ。
私と二人で何か所かのショッピングセンターを歩き、家電やら簡単な台所用品を選ぶだけの体力はあった。
「足が痛い」と言いながら、「正座が出来ひん」と言いながら、スワニーのキャリーバックを杖の代わりにして歩いていた。
 
母は、老人ホームへ移り住んでからも、月に一度は電車を乗り継ぐこと一時間程の実家へ行き、家の中に風を通したり、必要な物を運んだりしていた。
それが、段々と歩けなくなる。
最寄り駅から実家まで、歩いて15分の距離をタクシーで往復する。
ほんの10分の距離の間も、途中の花壇やベンチに座らなければ足が固まって動かないらしい。
もちろん、滋賀の我が家へは一人で来れるはずもなく、夫がレンタカーを借りて送迎してくれた。
だが、我が家はバリアフリーでは無いし、寝るときもベッドではなく布団に寝ることになる。浴室に手摺がある訳もなく、至れり尽くせりの老人ホーム住む母にとって、我が家はもう過ごし難い家となってしまった。
 
私は、母の元へ出掛ける回数を増やすことにした。
母は電話口で、老人ホームでのいろいろなイベントの予定を教えてくれ、誘ってくれる。
人付き合いが苦手な母だから、きっと寂しいのだろう。
昼食を一緒に食べ、母の日常の話を聞く。ここで知り合った友達の話、買い物に行く途中の道が、デコボコとしていてとても歩きにくい話。週に一度だけ行くリハビリセンターの様子。
楽しい話もあるが、どちらかというと文句が多い。そして、大抵は同じ話を聞いているような気がする。
 
そんな母なのだが、今年に入り、口から出る言葉が変わった。
私は、泊まらないようにしていたのだが、今年初めにその近くに用事があった為、老人ホームの母の部屋で一泊した。
寝なれない場所だからか、いつもより早く眼が覚めた。
横を見ると、母が寝ているベッドの布団がモゾモゾと動いた。
「起きてんの?」と声をかけた。
「うん、起きてるよ。最近、子供の時のことをよく思い出すねん」と母。
そして、ポツポツと話し始めた。
 
母が子供の頃の話をするなんて珍しい。
私が子供の頃に、時代の比較としてか、私への戒めとしてか、母は「私が子供の頃は、言うことを聞かなかったらお父さんにげんこつで頭殴られたわ」という話を私にした。
私は、それを母が主役の話として聞いていた訳ではなく、言うことを聞かない私は、そのうち父に殴られるのかなあという恐れを感じながら聞いていた。
 
だが、その時の母の話は、子供の頃に両親から言われた言葉やそのことへの辛さ、母が感じていた他の姉妹への対応の違いといった悲しみが言葉に滲んでいた。
今になっても、その幼き頃の辛さが母の心の奥深くに刺さっていることが私の胸を痛くする。
 
なんで、今こんな話をするのだろう。
私は、幼い女の子が昭和初期の暗い家で、父親に怯える様子を頭の中に想像しながらも、
「それは悲しかったね。辛かったね」としか言えなかった。
 
こんなこともあった。
いつもお盆は、母と、私と妹の二家族が集い、実家で亡き父のお参りをするのだが、今年は予定が合わなかった為に母と二人だけで実家へ行った。
母がお経を読み、その後ろで私は手を合わせる。
お参りが終わり、和室で片づけをしていた私は、仏壇の前で寝転がった母が言った言葉を聞いた。
「パパ、働かせすぎたわ。昼も夜も……。パパ、ごめんね」
 
謝らない母が、謝っている。どうしたんやろ?
 
確かに父は、お昼は現場管理の仕事、夜は建築関係の専門学校で教師をしていた。
でも、私が思うには、父はどちらの仕事も好きでしていた。お昼の現場も旨くこなし、夜の専門学校の生徒には昼の現場を見せて勉強させたりして、二つの仕事を楽しんでいた。
 
だが、母が極端にお金を使わずに貯める人であることも事実だ。だからこそ、今老人ホームで過ごせている。
父に昼も夜も仕事をさせ、必要以上に稼がせたと思っているのだろうか。
 
他にも、母を楽しませよう、喜ばせようと私と妹が集まったり、誕生会を開いたりすると、
「私には何もしてあげられへんから」と言って、商品券を渡してくれたりする。
 
ほんの数年前までは、こんな人ではなかったはずだ。
どちらかというと、してもらって当たり前という考え方で、絶対に友達にはなりたくないタイプの人だったはずだ。
 
それが今、母の心は感謝の気持ちで溢れている。
そうしたんだろうと思ったら、急に寂しくなった。悲しくなった。
 
もしかしたら、母に課せられたこの世での修行が終わりに近づいているのではないだろうか?
 
もうすぐ九十歳なのは分かってはいたが、いなくなることに実感はなかった。
いつまでも親は生きているはずが無いのに。
でも、本当にそのことに気付くのは、大抵の場合、時間切れになってからだろうな。
 
私はよかった。まだ、少し時間はありそうだ。
 
あかんよ。まだ、私は何もしてあげてないよ。
私をこの世に産んでくれたお礼を何もしてないよ。
まだ、いかんといてね。
 
これからは、もっと母と一緒に過ごそう。
「だからあ」なんて言わずに、何度でも同じことを伝えよう。
行きたい所があれば、一緒に行こう。
 
寂しい思いはさせないからね。いっぱい笑おうね。ママ。
 
 
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2017-09-10 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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