お金の恐ろしさを理解していたならば、私はあの輪を壊さずに済んだのだろうか《プロフェッショナル・ゼミ》
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記事:高浜 裕太郎(プロフェッショナル・ゼミ)
※このお話はフィクションです。
「みんな、今日は来てくれてありがとう!」
ボーカルを務めていたナミが、高らかにこう叫んだ。ナミの声は、本当によく通る、ほどよく高い声だった。その声が会場に届いた瞬間、オーディエンスはまるで、1つの生き物のように返事をした。
会場は、日本武道館だった。スタンド席にもアリーナ席にも、人が溢れかえっていた。1万人を超えるオーディエンスが押し寄せ、会場は熱気に包まれていた。そして、熱を帯びたその「生き物」は、ナミが呼びかけると、波のようにうねるのだった。
「あたし達が、4人でみんなの前に現れるのは、ひょっとすると今日が最後になるかもしれない……」
ナミは、少し俯きながらこう言った。さっきの高らかな声とか反対に、細い息のような声だった。オーディエンスも、先程の熱気はどこへ行ったのだろうかと疑うくらい、しょんぼりとしてしまっていた。まるで、ナミという人間の感情を表す鏡のような存在だと、私は思った。
私はこういう時、どんな顔をすればいいのか、分からなかった。だから、ナミと同じように、少し俯いていた。ちらっと横と後ろを見ると、ベースのアキも、ドラムのユウコも、同じように俯いていた。どんな顔をすればいいのか分からないのか、それとも何か別の感情を抱いているのか、察することが出来なかった。それほど、私と彼女達の心の距離は、離れてしまっていた。
「でも!」
ナミがふと顔を上げて、真正面から、その「生き物」を見つめた。
「あたし達がやってきた音楽が消えるわけじゃないから……」
そして、はっきりとこう言った。
「みんなも、あたし達のことを、忘れないでください!」
そうして、ナミはラストナンバーを宣言した。ドラムの合図から、全員が演奏を始める。そんな時に私は、私のせいでバラバラになってしまった、このバンドのことを思っていた。
「もし私が、もっと早く気付いていれば、このバンドを、メンバーを、守ることが出来たのかもしれない……」
そんなことを思いながら、私は演奏を始めた。
私達は、高校の同級生だった。
幼馴染だったわけでも、中学校の時からの知り合いだったわけでもない。高校のクラスも全く別だった。
けれども、私達は、まるで導かれるようにして、軽音部に集まった。そして、すぐに意気投合した。
ドラムがユウコ、ベースがアキ、ボーカルがナミ、そしてギターが私。自分で言うのも変な話だが、4人共、楽器の腕は確かだった。それは、1年生の頃から、先輩に一目置かれるほどだった。
「ナミちゃん達さぁ、そのまま4人でバンド組んじゃえば?」
先輩の1人がこう言った。軽音部では、1年生の2学期頃から、バンドを組まされ、11月の文化祭に向けて、曲の練習をすることが習わしになっていた。当然、私達もバンドを組み必要があった。
先輩に言われるまでも無く、私は、この4人以外と組むなんてあり得ないと思っていた。楽器の腕もそうだが、こんなに息の合う人達はいないと思ったのだ。まるで、前世で繋がっていなのではないかと思うほどに合う息、そして1人の人間として見ても、私は彼女達のことが好きだった。
おそらく彼女達も、そう思っていたと思う。ナミだって、「この4人なら、絶対1番になれるよね!」と言っていた。私も同じことを思っていた。この4人だったら、不可能なことは無い。きっと学校で1番のバンドになれる。そう思っていた。
私達の前には、壁なんか存在しないように思えた。例え存在したとしても、この4人なら、どんな壁でも乗り越えられるような気がしていた。私達の前には、広大な草原が広がっていて、どこへでも行けるような、そんな気分だった。
「ねぇ、みんなは進路、どうするの?」
ベースのアキが、昼休みに、こんなことを言った。
気付けば、私達は3年生になっていた。引退公演となる、3年生の11月の文化祭を終え、私達は宙ぶらりんになっていた。私達は、「バンド」という支え棒が無いと、自分たちで立っていることさえ難しいんだなと、私は引退してから気付いた。
そんな心境の中、アキがこんなことを言ったのだ。
「別にー。このままだと、適当な大学に進学するか、働くか、どっちかだね」
ドラムのユウコが、能天気に、こんなことを言った。彼女はいつもこんな感じだった。大変なことも、「まぁ、何とかなるでしょ」と思っている節がある。アキのこの問いかけに対しても、真剣に答えているのかどうか微妙だった。
その答えを聞いて、アキが何だかニヤニヤしていた。まるで、何か悪いことを思いついた子供のような笑みだ。
「なぁに? アキ。そんなに含み笑いしちゃって」
まるでお母さんのように、おっとりした性格のナミが、優しい語調で、アキにこう言った。アキが子供で、ナミがお母さんのような関係だった。今日もナミは、子供の相手をするかのように、アキと接していた。
けれども、今回に関しては、いつもの戯言とは違っていた。アキは真剣な眼差しでこう言った。
「ねぇ、私達、プロ目指さない?」
これには、いつも能天気なユウコも、目を見開いてビックリしていた。もちろん私も、ナミも驚いていた。「この子は何を言い出すんだろう」と私は思った。
「たぶんね、この4人ならね、どこまでも行けるよ」
アキは、少し笑みを浮かべながら、こう言った。確かに私も、「この4人なら、どこまででも行ける」と思っていた。予感通り、学校で1番のバンドになったし、もしかしたらプロにだってなれるかもしれない。私達の目の前にある草原の、もっと遠いところまで行けるかもしれない。そんなことを私は感じていた。
多分ナミもユウコも、同じことを感じていたのだろう。ユウコは、「それいいね! 絶対上手くいくよ!」なんて言って、すぐ話に乗ったが、ナミはその点慎重で、「ちょっと考えさせて……親にも相談したいし」と言っていた。
そして卒業後、私達は本格的にバンド活動を始めた。
音楽で食べていくという道は、私が思っている以上に過酷なものだった。「これからは、楽しいだけじゃないんだろうな」と覚悟はしてきたものの、音楽だけで生きていくというのは、まるで身体が削られるかのように、痛みを伴うものだった。
まず、私達は全くお金が無かった。娘に対して執着が無かった、ユウコやアキは、親に行先も告げずに、出てきてしまっている。親に反対された私やナミも、ほぼ家出同然の形で、家を出てきてしまった。「帰る家」という依るべき柱は無く、私達は自分の力で立たなくてはならなかった。けれど、自分の力で立つ為に必要な、お金が全く足りていなかった。
けれども、私達はまだ夢を抱いていた。「この4人ならば、どこへだって行ける」と私達は思い込んでいた。どんなに生活が苦しくても、例え全員の所持金の合計が1000円を切って、お腹を空かせていても、私達は抱いている夢だけで、いつもお腹一杯だった。
そうして、地道な活動が功を奏し、大きめのライブハウスを満員にすることが出来始めたこと、私達にメジャーデビューの話が舞い降りてきた。
「これで正真正銘のプロだ!」
私達はそう思った。これでもう、お金の問題に悩まなくても済む。自分達の足だけで立っていける。そう思った。
けれども、メジャーデビューを果たした私達には、さらなる問題が待ち受けていた。
出したシングルも、アルバムも、そこそこ売れ始めていた。全国ツアーも成功させ、憧れだった日本武道館でもライブをすることが出来た。
その武道館ライブでの打ち上げで、アキが私に向かってこんなことを言った。
「ねぇ、アンタさぁ、CDが売れてるってことは、印税がっぽり入ってるんだろ? いいなぁ」
アキは酔って、口調が少し荒くなっていた。そして、その話に乗っかるように、ユウコもこんなことを言った。
「そーそー。あたし達のもとには、ほとんどお金なんて入ってこないんだからね!」
からかっているのか、本気で言っているのか分からなかった。しかし、私には、彼女達の心の底に眠っている、黒い感情が、少しだけ見えたような気がした。
私達のバンドの曲は、ほぼ全て私が作詞・作曲をしている。それは、高校の軽音部の頃からの習わしだった。
「お、作曲できるんじゃん! やってよ!」
なんてメンバーに言われたのが始まりだった。それ以来ずっと、このバンドの曲は、私1人で書いている。
アマチュアの頃、私は「親切心」で作曲をしていた。「皆が出来ないなら、私がやるしかない」といった感情が、私を動かしていたのだった。
けれども、プロになると、「親切心」が「お金」に変わってしまった。見返り、報酬といった形で、作詞・作曲にもお金が発生する。だから、私の取り分は、他のメンバーよりも多かったのだ。
ユウコもアキも、大人になって、印税の仕組みが分かってきた。分かってきたから、私にこんなことを言うのだろう。何も言わないナミも、おそらく腹の底で、そう思っているに違いない。
その頃から、私の頭の中には、常に「お金」があった。私は、自分しか作詞・作曲が出来ない以上、私が取り分を多くもらうのは当然だと考えていた。以前は、親切心で作詞・作曲をしていたが、大人になった私は、「仕事をしたんだから、お金を貰うのは当然でしょ」と思っていた。だから、私がずっと曲を作っていたし、この問題を解決させる気もなかった。
けれども、その問題は、まるで病気のように、日に日に症状が悪化していってしまった。
全国ツアー中のホテルで、ふとアキが、こんなことを言った。
「あたし達さぁ、もう無理じゃない?」
これを聞いた私は、アキの言った言葉の意味が分からなかった。いつもの冗談かと聞き流すつもりでいたが、目を見る限り、どうやら冗談ではないらしい。
「無理って……何が?」
私はアキに聞き返した。すると、アキは、まるで怒りの防御線がプツンと切れたかのように、感情をあらわにした。
「もう無理なんだよ! こんなさ、複雑な気持ちで、バンドなんてやっていけないよ! なんでアンタだけ楽ができんの? なんでアンタだけ金が貰えるの? 才能に溢れているから? その才能があったら、私達よりも多くお金貰っていいの? ふざけないでよ!」
アキは泣きながらこんなことを言った。普段子供のように明るく振る舞う彼女が、こんな風に怒るのを、私は初めて見た。まるで、滝のように、怒りがとめどなく流れていくようだった。そんな「流れ」を受け止めて、私は自分の過ちに初めて気付いた。
「私がお金を多く貰っていることで、他のメンバーは嫉妬していたのだ」
見ると、ナミも、ユウコも、俯いたまま涙を流している。その涙が、このバンドの幕引きを物語っていた。
武道館の打ち上げの時に、アキが言ったあの言葉は、本気だったのだ。その頃に、メンバーの心境の変化に気付いていれば、こんな事態は避けられたのかもしれない。けれども、それはもう、末期のガンのように、処置の施しようが無いものになっていた。武道館の時に見つかった「病気」が、時間を経て、こんなに悪化してしまったのだ。
そして、私達の冒険は、あっけなく終わってしまった。「4人ならどこまでも行ける!」という思いが、まさかこんな結末を迎えるとは、私は思ってもいなかった。もちろん、他のメンバーも。
今、私はステージに立っている。私のバンドは、「ギター以外のメンバーが、全員脱退」という形で残った。バンドそのものを失くしてしまうことも考えたが、「いつかまた、4人でステージに立つ」という夢を叶える為に、彼女達が帰ってくる「家」を残しておこうと思ったのだ。
これは自分勝手な願いかもしれない。けれども、私はこの4人が、本当に大好きだった。いつまでも、活動を続けられると思った。多分それは、アキも、ナミも、ユウコも思っていたと思う。
「お金」という、軍人の階級章のように、その人の価値を決めてしまうものの恐ろしさを、私は知らなかった。ただ、自分の仕事の見返りとして、お金を受け取っていたに過ぎなかった。私が受けた、「見返り」によって、周りがどんな思いをしているのか、知らなかった。
そして、その「階級章」の存在を知った今、私は昔のような過ちは犯さないだろう。願わくば、彼女達ともう一度一緒に音楽をしたい。「階級章」に縛られずに、共に音を奏でたい。
そんな日が来るのを待ちながら、私は今日も1人でステージに立ち続けている。
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