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哺乳瓶はなくても子は育つ


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:一宮ルミ(ライティング・ゼミ日曜コース)

 
 
「私、今夜は映画に行くから。あとはお願い」
 
その年の4月に生まれた長男が、4ヶ月を過ぎたころだった。
家族で買い物に出かけた帰りの車の中で、私は夫に宣言した。
 
予定日より4日早く、2455グラムとちょっと小さめで生まれた息子は、とにかくよく泣く子だった。
とにかく四六時中泣いている。おっぱいが足りないのか、抱き方が悪いのか、どこか体の調子が悪いのか全く分からない。
育児が初めての私たち夫婦は戸惑った。
唯一、泣き止ませる方法は、抱っこしておっぱいを飲ませることだった。
 
出産前は、育児雑誌を定期購読して、予習した。
そこには「新生児は、一日の大半を寝て過ごします」と書いてあった。
それから、「おっぱいが足りてない時はミルクを足しましょう」とも。
 
しかし、息子は、その「どっちでもない」赤ちゃんだった。
とにかく、眠らない。おっぱいを飲ませていて、しばらくすると、だんだんと吸う力が弱くなり、うとうとし始める。そのうち、自然とおっぱいから息子の口が離れ、完全に眠ったように見える。そこで、ベビーベッドへ寝かせようとして、ベッドに背中が触れた瞬間、「ギャー!!」という泣き声と共に、息子が起きる。
1日に何度もこれを繰り返す羽目になるのだ。
一体いつぐっすり眠っているのかわからない。
それに、おっぱいを吸っていないと泣くので、誰にも抱っこを代わってもらえない。
 
そしてミルクを飲まない。
これだけ泣くのは、母乳が足りないからだろうかと思い、ミルクを足してみた。
哺乳瓶にミルクを入れ、息子の口に近づける。
すると、パクッと哺乳瓶の乳首をくわえた。
そのまま飲むかと思いきや、なんと舌で、哺乳瓶の乳首を押し出したのだ。
そしていつものように「ギャー!!」泣き出した。
たった生後数週間の赤ちゃんが、哺乳瓶の乳首と母親のおっぱいを区別したのだろうか。ミルクが熱かったのだろうか。まずかったのだろうか。
 
それから、私たち夫婦と息子との攻防は始まった。
ミルクの種類を変えてみた。哺乳瓶のメーカーを変えてみた。
しかし効果は全くなかった。
息子は哺乳瓶の乳首を舌で押し出し、おっぱいに取って代わるまで泣き続ける。
おっぱいならば、母乳が出ても出ていなくても、静かに吸っていてくれる。
私は、すっかり息子の「おしゃぶり」だった。
 
息子が生まれて4ヶ月が過ぎた。やはり母乳しか飲まない。
 
私は、息子の「おしゃぶり」生活に飽きていた。
その時、ちょうど、好きな俳優さんが出ている映画が封切りになった。
行きたかったが迷っていた。
「もし、私が出かけて泣き出したら夫はすごく困るだろうし、もう二度と出かけないでくれって言われるかもしれない」
「こんなことくらい我慢できないで、母親失格だろうか」
 
それでもやっぱり、我慢できなかった。
思い切って、夫に今夜、映画に行きたいと言ってみた。
夫も、そろそろ私が限界にきていることは分かっていたのだろう。
「おっぱいで眠らせてくれたら、あとはずっと抱っこしていたら大丈夫だろ」
やや不安げではあったが、「いいよ」と言ってくれた。
 
その晩、できる限りたくさん母乳を飲ませて、息子が眠ったところで、夫にそっと息子の抱っこを代わってもらい、家を出た。
 
家に帰るまで4時間ほど、夫からの連絡はなかった。
「予定通りうまく行ったかな」
帰ってきて、そうではなかったと分かった。
 
帰ると、部屋が真っ暗だった。
「一体、どこへ!?」
外は小雨が降っているのに?!
慌てて、夫の携帯に電話する。
「今、どこ?!」
「あ、帰ってきた? 僕も帰るよ」
ホッとしたような声で、夫が答えた。しばらくして、息子を抱いた夫が帰ってきた。
 
夫から息子を預かり、おっぱいを飲ませながら、事の顛末を聞いた。
私が出かけてすぐに息子の目が覚めてしまった。
息子にしてみれば、ママのおっぱいを飲んで気持ちよく眠っていたはずなのに、目が覚めたら、パパに変わっていて、おっぱいもない。息子は案の定泣き出した。
 
困った夫は、私を呼び戻そうとも思ったが、せっかく楽しみにしていた映画を諦めさせるのもかわいそうに思い、どうにか一人でこのピンチを切り抜けようと頑張った。
哺乳瓶でミルクを作り飲ませてみたが、失敗。息子を抱いてあやしながら、家中をグルグル回ってみたが、泣き止まない。
マンションの中では、泣き声があまりに大きく、近所迷惑になると思い、抱っこ紐に息子を入れ、外に出た。
夜風に当たったのと、抱っこ紐に揺られたのがよかったのか、息子は泣き止んだ。
よし、このまま、外を散歩していたらそのうち眠るかもしれないと、歩き続けていたら、雨が降ってきた。
家に帰ってまた泣かれるとまずいので、仕方なく、近所の市民ホールの軒先で雨宿りしていたら、私が帰ってきた、ということだった。
 
ダイニングテープルには、これまで息子に試してきた哺乳瓶と哺乳瓶の乳首がずらりと並んでいた。
「家にあるの全部試したけどダメだった」
がっかりしたように夫は言った。
「でも、まあ、どうにかなったよ」
 
夫の苦労する姿が、ありがたくもあり、なんだかおかしくもあった。
 
でも、その時何か吹っ切れた気がした。
誰にも育児を代わって貰えないことは、母として優越感もあったけど、やっぱりずっとはしんどい。
でも、私がいなくても、なんとかなるんだ。
夫は大変だろうけど、しんどい時は、また代わってもらえばいい。
それが保険のようにあることで、また頑張れる気がした。
それに大人に個性があるように、赤ちゃんにだって個性があって当たり前。うちの子は、どうして育児雑誌や噂に聞く「普通の赤ちゃん」とは全然違うんだろうと思うこともあったが、「普通」なんて、そもそもないのかもしれない。
仕方ない、これがうちの息子だ。当分、息子の好きなようにさせてあげよう。
 
とうとう息子は哺乳瓶を使わないまま大きくなり、今では、「おっぱいなんて飲んだことありません」というスカした顔をして、中学に通っている。
 
 
***

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2017-10-20 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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