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父親の存在を知らない父親だからできること。


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記事:unai makotoki(ライティング・ゼミ書塾)
 
「パパって、パパじゃないっていうか、
どっちかというとお友達みたいなんだよね。
お友達のパパと比べても全然違うし」
 
授業参観からの帰り道。
息子は、一人ごとのようにつぶやいた。
 
秋晴れの空を見つめながら。
友達の父親を思い出しているのかもしれない。
 
「友達みたいなパパじゃ嫌なの?」
 
息子の発言を聞いて、
自分の秘め事を見透かされたような
気持ちになった。
 
何とも言えず、でも何か聞き返したくて
そのまま問い直す。
 
「嫌じゃないよ。楽しいから」
息子はカラカラと笑っている。
 
ぼくはほっと胸をなでおろした。
 
ぼくには、父親の記憶が無い。
幼い頃、といっても0歳で、
母親の両親に預けられた。
 
当時、母は美容室を経営しており、
父親は働いていなかったらしい。
 
商売が忙しい上、父とは仲が良くなかった。
父は自分の趣味の車に没頭していた。
 
毎週末はサーキットに改造した車を持ち込んで
普段の日は、峠で腕を磨いていたと聞いている。
 
物心がついた時にはすでに離婚していた。
だから、ぼくは父親の記憶が無い。
 
ただ、それをコンプレックスに感じたことはない。
強がりではない。ぼくにとっては生まれてから
一度もその存在に触れたことがないのだから
いないことがむしろ自然なのだ。
 
小学生の頃、父親がいない、ということに対して
周囲の大人からかわいそうな目で見られていた。
 
父親がいないことで唯一辛い経験だった。
可愛そうな子としての視線が
ぼくを傷つけた。
 
でも、それもすぐに慣れた。
 
大人がぼくを見るときのデフォルトの反応はそれだ。
そして、そんな大人たちだって、ぼくと
親しくなるにつれて、だんだんそんな目じゃなく
自然に接してくれるようになった。
 
だから通過儀礼のようなものなのだった。
 
そんなわけで、今思えば物分りが良すぎる
自分の性格と、(この影響は本当に大きかったのだが)
父親がいない寂しさをフォローしてあまりある
母親の愛情のおかげで、まっすぐに育つことができた。
 
20歳を迎えた日、母が言った。
「父親がいなくても、素直に成長できたね」
 
その一言に、ぼくは、心の底から
笑顔で応えることができた。
 
 
 
30歳のときに長男が生まれた。
 
ぼくは、父親という立場になって、
はじめて父親の存在を知らないということが
どういうことを意味するのか知った。
 
どのように子どもに接してい良いか
分からないのだ。
 
息子が赤ちゃんの頃は、妻やママ友、
育児本とか、いわゆる「マニュアル」が効いた。
 
成長していくにつれ、長男に自我が芽生えた。
幼稚園に入園する頃には、
「マニュアル」が役に立つシーンは
ほとんどなくなっていた。
 
子供と遊ぶ時、どんな時間を過ごすべきか?
家で遊ぶもよし、公園で遊ぶもよし、
どんな選択肢だって選ぶことができる。
 
でも、父親から遊んでもらった記憶が無いから
どのように遊んであげれば楽しいのか分からないのだ。
 
ある時、キャッチボールをしていると
息子のフォームがおかしいことに気づいた。
 
そこでフォームのおかしさを指摘して、
何度も何度も投球フォームを繰り返させた。
 
5分、10分、15分……。
最初、息子は懸命に繰り返していた。
でも、時間が過ぎていくと、表情は暗くなり
最後は泣き出してしまった。
 
ぼくは、おかしなフォームのままでは
友達と楽しく野球ができないことを案じていた。
でも、息子はただ楽しく遊べれば良いだけだった。
 
別の日のこと。
近所の小川でザリガニ釣りをしていた。
 
先っぽに餌をつけた割り箸を息子にもたせて
かかるのを待っていた。
 
ザリガニは息子より頭が良く
餌だけ取って逃げることを繰り返した。
 
息子は悔しがっていた。
 
ぼくは、息子にザリガニが釣れる喜びを
知ってほしくて、自分用の竿を用意して
二人でザリガニを追った。
 
何時間くらい経っていたのだろう。
気がつくと周囲は暗くなっていた。
 
心配して迎えにきた妻が
息子を倒れているのを見つけて
悲鳴を上げた。
 
息子は割り箸を握ったまま
眠っていた。
 
6時間が経っていた。
 
「息子が眠っているのもきづかない
父親なんていないよ」
 
 
そんなことがあって以来、
ぼくは、だんだんと父親という存在の
「正解」を探すようになっていった。
 
時間は、遡ることはできない。
子供の頃、父親という見本を見たことが無いのだから
今になってはどうにもならない。
 
いつからか、ぼくは「正解」を知る術が
無いことを認めた。
 
以来、息子と接することが億劫で仕方がなくなった。
 
どんな風に接したとしても所詮、正しい父親を
知らないわけだから。
そんな風に思えて仕方が無かった。
 
ある時、休日に妻が一日外出する日があった。
息子と二人で丸一日過ごさなければならない。
 
午前中、息子はゲームをして過ごし
お昼になると、お腹が空いたと訴えてきた。
 
「ママがいないから、外へ行こう」
 
外食先を探そうとスマホを手にとると
息子が言った。
 
「たまにはパパが作ってよ」
 
ぼくは普段一切の料理をしない。
息子もそれは知っていた。
 
母親がいないという、彼にとって
特殊な状況の中で、父親に料理を作ってもらう
というのが、イベントというか、おもしろい
1日を過ごす、ひとつのエッセンスだったのだろう。
 
ぼくもその場のノリで、料理してみることを決めた。
 
息子は何が食べたいのか?
一緒にクックパッドを見ていると、
豆乳うどん、というメニューを
指差している。
 
なぜ、豆乳うどんなのか、
ちゃんと説明してくれなかったけれど
とにかくそれが食べたいという。
 
冷蔵庫の在庫を見ると、
一応、材料は揃っているようだ。
 
見よう見まねにその豆乳うどんを作ってみた。
 
出来上がった豆乳うどんを見て、
息子は明らかに喜んでいた。
 
一口、すすると、若干表情を曇らせながら
でも、あきらかに「美味しい」と答えた。
 
ぼくも食べてみた。
 
結果は、豆乳うどんとは、ほど遠い、
ただの薄い牛乳に、うどんの麺が
つかっているだけのものだった。
 
でも、息子は二口目を口へ運んだ。
三口、四口と食べ進めると、
そのまま食べきってしまった。
 
お世辞抜きで美味しくないはずだ。
なぜ、食べきったのか、息子に聞いた。
 
「味は美味しくないんだけど
パパが作ってくれたから、
全部食べたいって思ったんだ」
 
息子はお茶で口に残った
豆乳うどんの味をきれいに飲み込んでいた。
 
その裏腹な態度を見て、自分が小さなことに
こだわっていたことに気付かされた。
 
父親としての正しさなんて、
息子は全く気にしていなかった。
 
そばにいてくれることだけで
父親としての存在感を感じているのだ。
 
ぼくは、結局、父親がいないという事実を
悲観的に捉え、勝手に悩んでいるだけだった。
 
肝心の息子の思いに気づかないでいた。
ただ、それだけのことだった。
 
なんだか、気が晴れた思いがした。
 
母親は子どもを宿した瞬間に文字通り
母親になる。でも、父親に実態は存在しない。
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時間をかけて、だんだん父親になっていく
そんなあたり前のことに気付かされた。
 
 
 
「パパのブレーキって、
ギュッと止まらないからいいね」
 
息子は、ぼくの運転をいつも褒めてくれる。
 
息子が生まれたら、運転に慎重になった。
危ないから丁寧に踏んでいる、それが習慣化した
だけで、運転はうまいほうではない。
 
息子のことを考えて、行動することの
積み重ねが、結果として、父親という存在を
カタチづくっていくということを信じている。
 
父親がいるとかいないとか、それはそれで
大切なことかもしれない、でも、ぼくにできる方法で
父親になっていけばそれでいいのではないか。
 
息子と共に成長していければ
それでいいのではないかと
思いながら、過ごせるようになった。
 
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2017-10-21 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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