憧れのおばちゃん
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記事:荒野万純(ライティング・ゼミ平日コース)
おばちゃんは字が書けないし、読むこともできなかった。
夜、玄関脇のおばちゃんの一間の部屋に遊びに行くと、サッと何かをしまいこんで、笑顔で迎えてくれたものだが、それは昔の手帳の背に刺してあったような細い小さな鉛筆とカタカナが書かれた紙片だった。
おばちゃんは実家の住み込みのお手伝いさんだった。母は私を含め4人の子供を産み、しかも上3人は年子で、母方の祖父も同居していたものだから、両親子供総勢7人家族で、とても手が足りずに、私が物心ついた頃には家にはおばちゃんがいて母を手伝っていた。
私は長女で、その頃は、手がかかる妹たちに母を取られたような気持ちになっていたのだろう、酷く乱暴で、ひねくれた子供だった。
妹とお風呂に入ると、母が目を離したすきに妹を湯船に頭から沈めたり、伝い歩きしかできない妹を壁に触るなと突き飛ばしたりのやりたい放題。その上、幼稚園の登園拒否児で、もし今、自分のところにそんな子供がいたら放り出したくなるに違いない。そんな私を見て、おばちゃんは母に言ったのだった。
「私がお姉ちゃまを可愛がります」と。
おばちゃんの朝は早い。5時には起きて身支度をして家事を始める。背筋が伸びた小さく細い体でテキパキと時には小走りで動き、面白いことがあると大きな声で笑う。祖父はそんなおばちゃんを「騒々しくてかなわん」と言ったようだ。毎朝、ニンニクの粉を飲んでいて、だから元気だったのかもしれない。後から知ったことだが、履歴書に10歳若く年齢を書いていたらしいから強者だ。
おばちゃんはその言葉どおりに何かと「お姉ちゃまは良い子ね」と頭を撫ででくれた。お仕置きで外に出された私をそっと家の中に入れてくれたり、母に一緒に謝ってくれたり、母をなだめてくれたりもした。そう、おばちゃんは私のオアシスだった。週に1日の休みに、確か水曜日だったと思うが、おばちゃんが自宅に帰ってしまうとその日は心許なくて、帰りを心待ちにした。
おばちゃんが字が書けないと知ったのはいつだったのか定かではない。あまりに自然に知らされたし、子供だったので「あ、そう」ぐらいで、特に何の感想もなかったように思う。その後、幾度となく本人から「字が書けませんので」とか「字が読めませんので」という言葉を耳にしたことは覚えている。一度、小学生の時に軽井沢でおばちゃんとらくやき屋に行って一緒に絵付けをしたことがある。焼く前に作品には自分の名前を書かなければいけなくて、おばちゃんが名前を書けるかどうかハラハラしたが、おばちゃんは作品を少し高めに掲げて、その底に筆で立派にカタカナで名前を書いた。その姿が今でも鮮やかに蘇ってくる。
「字が書けませんので」とか「字が読めませんので」というおばちゃんはいつもより少し小さな声で遠慮がちではあったが、そこには卑屈な響きがなくて何か堂々した宣言のようでもあった。
識字率99.0%の日本で(その当時はもう少し低かったのかもしれないが)、文字を使えない生活がどういうものかを想像することはとても難しい。おばちゃんの出自は詳しくは知らないが、北海道の貧しい家に生まれ、幼い時から子守に出されたと聞いた。多分、小学校もちゃんと出ていなくて字を学ぶ機会を持てなかったのかもしれない。文字を介したコミュニケーションが当たり前とされる社会で、字を知らずに生きていくことには大変な苦労があったに違いない。
けれども、おばちゃんの生きていく姿は、高い教養や知識を身につけた人達に負けない品格と潔さがあった。
晩年、おばちゃんは老人ホームに入所した。何度か訪ねて行ったことがある。
ショートカットにしたおばちゃんは、冬はきちんと着物を着て、夏はブラウスとスカート姿で。
4人部屋で一人一人にベッドとテレビと作り付けの棚があって、カーテンで仕切りをするような空間だったが、おばちゃんの場所だけは他の人達とは違っていた。ベッドは少しのしわもなく整えられていて、棚の中は必要最低限の物が整然と片付けられている。いつもその棚から缶を取り出して、黒砂糖のかりんとうをご馳走してくれた。90歳を過ぎているのに、背筋を伸ばし小走りで私にお茶を出してくれようとするおばちゃんの背中に、老人ホームのスタッフから「ほら、走らない!」と声が飛ぶ。
一度、おばちゃんに尋ねたことがある。「どうしたらおばちゃんのように生きられるの?」と。おばちゃんの答えはこうだ。「きちんと生活することよ」
最近、テレビで有名大学の学生を招いたクイズ番組などが花盛りだ。すごいね、よく知っているね、と称賛の声が上がる。確かに、生きて行くのに物事を知っているに越したことはない。難しい漢字、難しい言葉、政治、経済、世界情勢などなど。しかし、知っているから、教養があるからといって人としての品格を持って生きられるかどうかは全く別の話だ。おばちゃんは難しい言葉も知らないし書けないし読めなかった。しかし、その生き様は背骨がまっすぐに通っていて、凛としていた。おばちゃんのように生きたい、心からそう思うのである。
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