私は管、もしくはちくわ
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
【12月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:木村なほこ(ライティング・ゼミ 平日コース)
私に限らず、人は管のようなものだ。
もしくは、ちくわだって構わない。
こんな表現をすると、なんてこと言うんだと怒られそうだけど、これは仕方がないこと。
口から食べ物を入れて、食道を通って胃、消化器官へ、そして肛門から出す。
身もフタもないけれど、構造上、それは誰であっても変わらない。
どんなに美しい人でも、どんなに頭のいい人でも。
消化器官の管の中は、身体の中とはいえ、まだ消化していないものは異物のままだ。
けなげな内臓で一生懸命に消化作業をして、必要なもの、不要なものに分ける。
不要なものを口に放り込んでしまうことを、私たちはよくやってしまう。
必要と判断されたものだけが吸収され、晴れてちくわの身となれるのだ。
まあ、必要以上に身になってしまうことも、よくある。
お腹の周りがうっすらと、身が厚くなってしまったり。
それは脳みその判断で、必要以上と思うだけであって、身体の判断はいつも間違えていない。
ちくわの身は、ちくわの穴に入れたもので出来ている。
そう、私たちは自分が食べたもので出来ているのだ。
私たちは、いろんなものを身体の外から取り入れている。
空気や水、食べ物以外にも。
テレビを見たり、本を読んだり、人と話をしたりして、ひっきりなしに情報を集めて取り込んでいる。
一生懸命働いて、お金を稼いで、できれば手元にたくさん集めておこうとする。
そしてやる気や元気、人を惹きつける魅力。そんなエネルギーもたくさんためておきたい。
そうなのだ。
本当は、私たちは、食べ物だけでなく、身体の外から取り入れた、全てのもので出来ているのだ。
そういった外から集めたものによって、考え方は影響され、そして行動にも影響を与える。
何を見たり聞いたりするかというのは、あんまり甘く見てはいけない。
ぼんやりと深夜のテレビ番組やくだらないバラエティを見ているということは、それが自分の身になっている。くだらないな、なんて思いながら、あえてそれを自分で選択しているということだ。
食べものと同様、情報も、取り入れるものはちゃんと考えた方がいい。
全てが、自分の身体を通って、そして出ていくもの。
インプットとアウトプット、と言い換えることもできる。
インプットと同様、アウトプットもとても大事。
入れたものをちゃんと吟味して消化し、ちゃんと出す。
食べるだけ食べて出さなければ、便秘になるのと同じだ。
流れを止めないことが大事。
食べものが管の中を流れていくように、全ては流れていくもの。
情報は伝わらなければ価値がない。
お金も使わなければ紙幣はただの紙だし、
習ったことも、外で使って役立てていかなければ意味がないのだ。
私は長いこと、アウトプットがとても苦手だった。
「自分を表現する」なんてどうしたらいいかわからなかったし、第一表現するほどの物も持ってない、そんなの見せても恥ずかしいだけだと思ってきた。
もちろん、社会人になって長いから、仕事ではちゃんとアウトプットは出来る。
報告、接客、プレゼンテーション。特にすべて問題なくこなす。
だけど、自分自身の個人的なことは本当に恥ずかしかったのだ。
私なんて、たいしたもの持ってませんから。
だけど今思えば、謙遜していたつもりが、自意識過剰なだけだった。
表舞台に自分が立つなんて無理、と思っていたけど、もうとっくに出ている。
この世界に生まれ落ちたときから、もう表に出ている。ずっと前から出ている。とっくに始まっているのだ。
だって、いつだって日常生活そのものが自分を表現するということだから。
表現が下手だからって、恥ずかしがってもしょうがないのだ。もう、これが自分なのだ。この顔はずっと人様にお見せしてきたし、この声も、聴いてもらってきた。
そんなことに、最近ようやく気が付いたのだ。
同じ理由だと思うけど、感情を表に出すことも、あまり得意じゃなかった。
怒ったり、泣いたりするのは、恥ずかしいことだと思って、出来るだけ出さないようにしてきた。
誰に強制されたわけでもないことを我慢したりしていた。
我慢する、ということは、感情の流れを止めること。
何か大事な情報や、貴重な品物、お金もそうだけど、自分のところにとどめて置いて独り占めしようとすることと、我慢をする、ということは、一見全く反対のことのように見えるかもしれない。
我慢は自己犠牲的。
独り占めは自分さえ良ければいい、という考え。
でも、根本的には、どちらも便秘と変わらない。身体に非常に悪いのだ。
流れを止めて、澱みを作ってしまう。
それに気が付いてから、私は出来るだけ出すことを心がけている。
せっかく出すのだから、役に立つもの、良いものを出したい。
今は下手かもしれないが、一生懸命伝わるように言葉を紡いでいきたい。
感情も、出来るだけ堂々と、出す。
もちろん、出来るだけ美しく、人に迷惑にならないように加工して。
湧き上がってくる感情や思いは、訳があって自分から出てきたものだから。
出す必要があって、湧き出るものだと思うから。
そして、自分が苦手なことは、それを発表することで誰かの助けをもらえるかもしれない。
とにかく流れを止めないこと。
私は管、もしくはちくわに過ぎない。
でも、入れたものを分解、消化して、自分仕様で出すことが出来る。
それが自己表現であり、アウトプット。
難しく考えて恥ずかしがる必要なんてないのだ。
ただし、人に伝わるように工夫して。
***
この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。
「ライティング・ゼミ」のメンバーになり直近のイベントに参加していただけると、記事を寄稿していただき、WEB天狼院編集部のOKが出ればWEB天狼院の記事として掲載することができます。
http://tenro-in.com/zemi/42175
天狼院書店「東京天狼院」
〒171-0022 東京都豊島区南池袋3-24-16 2F
東京天狼院への行き方詳細はこちら
天狼院書店「福岡天狼院」
〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
天狼院書店「京都天狼院」
〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
【天狼院書店へのお問い合わせ】
【天狼院公式Facebookページ】
天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。