「非生産的」とフラれた私が、助産師になったワケ
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記事:木佐美乃里(ライティングゼミ平日コース)
「こう言っちゃなんだけど、お前、非生産的だと思うんだよ」
足元を川がざあざあ流れるのが聞こえた。たしか少し蒸し暑くて、月が明るかった、気がする。そこから、どうやって一人暮らしの部屋まで帰ってきたのか、よく覚えていない。気がついたら、午前1時すぎに号泣しながら親友に電話をかけていた。
「非生産的」
それなのに、その言葉の響きだけは、妙にはっきりと耳に残っていた。
こうしてあっさりと、わたしは当時付き合っていた恋人に振られたのだった。
もっと料理上手な子がよかったとか、痩せているほうがよかったとか、わがままなところが嫌だとか、そんな理由でフラれたのだったら、どれだけマシだっただろう。料理は繰り返せばうまくなるし、ダイエットだってしたし、わがまま言わないようにきっとがんばった。
けれど、当時のわたしにとって、それは生き方の問題だった。生き方を否定されたと思った。
20歳そこそこの、過剰な自意識とプライドと自信のなさにまみれていた頃。それでなくとも足元は常にぐらぐらとしていた。そんなわたしがひどく打ちのめされてしまったのも、仕方のないことだと思う。
バイトに行く以外は、家に閉じこもるか、数少ない友人と飲んだくれる日々を過ごした。
折しもそれは、就職活動が本格的に始まる秋を控えた、夏の初めのことだった。
うつろな目でなんとか就職課まで行って、面接のためのレクチャーを受けるも、
「端的に言って、木佐さんには、熱意が感じられない」と言われた。
当たり前だ、わたしは非生産的な人間なのだから。非生産的なわたしには、できる仕事なんかないのかもしれない。目の前が真っ暗だった。
このままでは卒業も危うくなると、足りない単位を補うため、なんとなく出席したある授業。講義のなかで、教授のおばあさんが助産師だったという話を聞いた。
助産師。言葉は知っていたけれど、自分の人生には関係のない職業だと思っていた。
だってわたし、文学部だし。血とか苦手だし。
でも、そのときなぜだろう、これだ、と思った。
助産師、新しい命が生み出されるのを手助けするひと。わたしが非生産的だというのなら、逆に、思いっきり生産的な場で働いてみてやろうじゃないの。あたらしい命が生まれ出てくる。これ以上生産的な仕事もないに違いない。ほとんどヤケだった。
それらしい理由をつけて、親を説得して地元に戻り、看護学校を経て助産学校に進んだ。
「非生産的」だと言ったあいつを見返してやりたい。わたしにだって、生産的なことができるって、証明したい。最初はそんな気持ちが原動力だった。
けれど、がむしゃらに勉強をつづけるうち、気がつくと、そんなことはどうでもよくなっていた。お母さんになろうとするひとの顔、新しい命を抱いたときの美しさ、家族が増えるよろこびにふれ、ほんとうに、助産師になりたいと思った。
あっという間に4年が過ぎ、わたしは助産師になった。そして今も、助産師として出産の現場で働いている。
それでわたしは生産的な人間になれたのだろうか。いや、そうでもない。出産というこれ以上ないクリエイティブな場にいれば、生産的になれるかと思っていたが、それは勘違いだったみたいだ。
わたしは今でも「非生産的」な人間だと思う。
新しく、何かを生み出そうとすることはずっと苦手なままだ。
例えば、いま目の前に陣痛に苦しむひとがいる。この人は何をしてほしがっている? 今わたしができることはなんだ? そう、相手のアクションを受けてからでないと、思考や行動はいつもスタートしない。このひとが、この家族が、「自分たちががんばった」と思えるために、わたしに何ができるかと、ひたすら黒子に徹する。「助産師さん? そんな人、いたっけな?」くらいがちょうどいい。自分では何も生み出せなくても、生み出すひとのサポートは、どうもできるみたいだ。だとすると、「非生産的」なわたしの性質も、そんなに悪くはないかもな、と最近は思える。
今なら、あのときわたしと恋人が別れたのは、ただ二人が違っていたからだとわかる。
学生ながら、ベンチャー企業のインターンをやり、バイトとサークルにも追われ、現状に満足せず、常に高みを目指していた彼。一方、受け身でぼんやりしていて、それなりに毎日楽しくて、友人たちが楽しそうにしているのを、少し離れたところから眺めているのが好きだったわたし。
違うところに惹かれあったけれど、すぐに違いが苦しくなった。
あの頃わたしも子どもだったけれど、彼も彼で、将来への不安に押しつぶされそうだったのかもしれない。「非生産的」という言葉も、彼が自分自身に向かっていった言葉だったのかもしれないし、ただ単に、わたしと別れたくて、とっさに出ただけの言葉だったかもしれない。どちらが悪かったのでもなくて、ただ、合わなかっただけだ。
それでも、あの言葉がなかったら、わたしは助産師にはなっていなかっただろう。
だからわたしは、かつての恋人に感謝している。この仕事に出会わせてくれたことに。これからも、非生産的なままで、生きていこうと思う。
ありがとう、かつての恋人よ。あのときわたしをフッてくれて。
だけどもし、いまあなたにものすごく素敵な彼女や奥さんがいたら? ちょっとばかり、いじわるを言ってしまわない保証はないけれど。
「だからって、あれはちょっと言い過ぎだったと思わない?」と。
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