気持ちいい、の向こう側
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:木佐美乃里(ライティング・ゼミ平日コース)
「どうや、気持ちよかったか? すっきりしたか?」
彼に真剣な表情で問われたわたしは、少し恥ずかしいような気がしたが、
「すごく気持ちよかったです」
と、正直に答えた。昨日、夫とささいなことで口げんかになって、モヤモヤしていたことも、まるでなかったことのよう。やっぱり今日も、来てよかった。
しかし、彼はやれやれ、とでも言うように目を落として首を振ると、
「気持ちいいうちはまだあかん。やっぱりまだ、やめられへん」
とつぶやいた。
「なんでですか……!」
とわたしは追いすがるかのように、彼を見上げた。
「気持ちいいということは、やる前とやった後に、身体が変わっとるということや。やる前もやった後も、特に何にも変わらんな、というところまできてやっと、よくなってきてるということや」
「そんなあ……」
整体院に通いだして1年が過ぎた。
学生の頃から肩こり、腰痛もちで、なにしろひどい猫背だった。いつも腰をさすっているわたしを見かねて、職場の先輩が整体院通いをすすめてくれたのだった。
はじめは3日に1回だったのが、1週間に1回になり、2週間に1回になった。しかし、そこから期間が延びていかない。
本当は1か月に1回くらいの調整でよくなるのが理想らしい。しかも、それは、施術前後で、自分自身では変化を感じないくらいなのが、いちばんいいという。
施術を受けてすっきりした、気持ちいい、ということは、前回施術で調整されたあとから、普段の姿勢のクセなどで、徐々にゆがみがでてきてしまっている証拠なのだそうだ。
初めて施術を受けるまで、整体とは、身体のゆがみからくるトラブルなどを、整体師の先生が、魔法のようにすっかり楽にしてくれるようなものだと想像していた。
しかし、わたしの通う整体院の先生いわく、整体はあくまでも、調整であるべきで、日ごろの姿勢や身体の動かし方がなにより重要、自分で正しいクセをつけて、その日のゆがみは、その日のうちに自分で調整できるようになるのが目標だという。
だいぶ姿勢はよくなったと思うし、腰痛もよくなってきたが、まだ先生から、月1回でいいというお許しは出ない。
実は、先生には黙っているが、本当は、毎日やるように言われているストレッチ、忙しさにかまけて、ずっとサボっている。やってはいけないといわれている脚を組む座り方を、こっそりたまにやってしまっているのだ。
あなどりがたし、整体……心のなかでつぶやきながら、先ほどの先生とのやりとりから、すっかり忘れたことにしていた、昨日の夫とのケンカを思い出していた。
夫とわたしは普段から仲がいいほうだと思う。
二人とも争いごとが嫌いだし、できれば毎日機嫌よく暮らしていたい。だけど、なのか、だから、なのか、時々大きなケンカをする。きっかけはささいなことのはずなのに、普段小さく我慢していた、あんなことやこんなことまで思い出して、わたしが爆発してしまう。そしてそんなわたしに夫もいらだつ。
大きなケンカは、仲直りの仕方もおおげさだ。「ごめんね」、「ごめんね」と言い合って、一緒にアイス半分こしながら食べたりして、お互いまた分かり合えたような、仲が深まったように感じる。すっきりして、しばらくはケンカしたことも忘れる。そしてまた、小さく不満や我慢を繰り返す日々がはじまる。
これは、整体を受けてもなかなかよくならない、わたしの身体と同じじゃないか?
普段の小さな行き違いも、面倒くさいから見ないふりをして、そうしたらだんだん空気が重くなって、堪えきれなくなって、ささいなことでケンカして、仲直りしたつもりになって。それですっきりして、それでまたゆがんでいく。わたしたち二人みたいじゃないか。
毎日でゆがみをとって、身体を整えるためには普段の姿勢とストレッチが必要不可欠だとしたら、わたしたち二人には、いったい何が必要なんだろう。
整体が、からだのゆがみをなおしてくれる魔法じゃないように、わたしたちにとってのケンカは、二人の仲を深めてくれる術ではないはずだ。
きっと、日ごろのメンテナンスを怠ってはいけないのだ。不満がたまる前に、違うと思ったら、怒らずに、ただ「わたしは違うと思う」と伝える。夫の言い分もちゃんと聞こう。無理はしないけれど、毎日少しずつだけ優しくし合おう。一時的な感情のぶつけ合いに頼って、分かりあった気になっていてはいけないのだ。少しずつ、相手に伝わるやり方で、分かりあおう。そんな日々の積み重ねが、ほんとうの意味での、おだやかな、わたしたちにしかできない家庭をつくることにつながるんじゃないだろうか。
「わたしはそう思うけど、あなたはどう思う?」
今日夫が帰ってきたら、まずはそう聞いてみよう。
「先生、わたし今日、すごい発見をしたような気がします。ありがとうございました」
「そうか? まあなんでもええけど。ちゃんと毎日ストレッチするんやで。さぼったらあかんで」
あ、やっぱりばれていた。
先生は、わたしの話をいつもあんまり聞いていない。だけど、わたしのしていることはいつもお見通しだ。そういうところが夫に似ている。そして、そういうところが好きだといつも思う。これからも、一緒にいたいと思う。
「ちゃんとストレッチ、毎日やります! また再来週、さようなら!」
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