ライティングゼミ受講のきっかけは思春期のやり直しだった
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記事:蒼山明記子(ライティング・ゼミ平日コース)
私の夢は何だったんだろう。
遠い目をして思い出す。
あぁ、そうだった。
4、5歳くらいの頃、歌手になりたかったんだ。
ラジオのアンテナを長く伸ばしてマイク代わりにして歌っている写真が残っている。
じゃあ今は、その名残でさぞかし歌がうまいのかと思いきや、絶望的にヘタクソなんです、すみません。
憧れ、だったんだろうなぁ。
小学生の頃の作文には、洋服のデザイナーになりたいと書いたものがあった。
オシャレが好きだったから、そう書きたかったんだろう。
その後、洋裁をやったかというと、学校の授業の域から出ることはなかったな。
看護婦、幼稚園の先生などと書いたものもあったように思ったけど、どれも誰かからの受け売りのような夢だった。
心からこれになりたい!と思ったものはなかった。
小学生までの夢など、そんなものなのかもしれない。
少なくとも私は、そんな子供だった。
中学生以降、私の夢は、私の夢のようで周りの大人の思惑に影響を受けていた。
保健室の先生とか、学校の事務員とか、なぜか私が思う夢は、夢というよりやたらと現実的なものだった。
両親ともに職人で、その職業柄、経済的に不安定な中で暮らしてきたため、親は私にボーナスのある職業についてほしがっていたのは、ひしひしと感じていた。
親もそんな気なく、そして私も自覚なく、洗脳されていたのかもしれない。
そんな中で、絵が好きだったこともあり、密かに「イラストレーター」に憧れた時期があった。
好きなイラストレーターがいて、その人を紹介している雑誌をたまたま見て、あぁこんなふうに仕事ができたらどんなに楽しいだろうと思った。
でもその夢は、早い段階で打ち砕かれた。
私などとは比べ物にならないほど絵がとても上手な子がいて、恥ずかしくてイラストレーターになりたいなんて言えなくなった。
学校は比較と順位の場所だ。
私は自分の才能のなさを受け入れた。
結局、私はただの会社員になった。
正社員、朝9時から5時半までの事務職、時々残業、ボーナスあり。
こんな仕事に就けたことはラッキーだったと思う。
でもこれは、自分の望みだったんだろうか。
社会人になってさえ自分の意志が見えていないことが、幸せなはずの私の心に影を落とした。
そしてその影を払拭することは、結局できなかった。
両親の介護でしばらく仕事から離れることになり、約20年、紆余曲折の長いトンネルを抜けて、今またなんとか落ち着いて会社員をしている。
そして改めて思う。
私の夢は何だったんだろう。
何を達成できたら満足したんだろうか。
……なんていうような話を、私は中学くらいの時からノートに書き連ねてきた。
霧がかかったような自分の心を見つめるために、あるいはその時々の感情をぶつけるために、感じていることを書きたいと思った時に書き続けた。
そしてそのノートたちはすべて、数ページたまるごとにビリビリに破り捨てた。
感情のはけ口のようなノートだったので、こんなの残して万が一事故とかでこの世を去るようなことになったら、死んでも死にきれないような内容で。
危険因子は早めに処分をするように心掛けたため、それらのノートは今、1冊も残っていない。
書くという行為は長い間、すべて自分のためのみだった。
それに私は日本語しか知らないので、言葉の表現として日本語を書くことは当たり前で、書くこと自体に憧れも夢もなかったし、学ぶ必要性も感じていなかった。
その意識が変わったのは、ブログが普及して、思いを綴るものがノートからネットに変わってからだった。
人に読まれるかもしれないという意識は、文章にも多少気を使わせたと同時に面白さも知った。
ライティングゼミを知ったのは友人を通してだった。
面白そう! と心がざわついた。
でも、気になりながらも葛藤した。
学んで、そしてどうするつもりなのだ。
今こそ勉強するなら、もっと別の現実的なことを学ぶべきだともう一人の自分は言う。
でも、好奇心が止まらない。
これはきっと反動だ。
子供の頃の、人の受け売りや、なんだかやたらと現実的な将来を周りに影響されて考えてきたことによる反動だ。
自分がやりたいと思ったことを自分に思いっきりやらせて、経済的にも時間的にも許されなかった自由を今、自分に与えているのかもしれない。
向かっている先など、後から考えればいい。
この考え方、ほとんど思春期のやり直しのよう……。
私はライティングゼミの受講を決意した。
そして今に至る。
受講してみて分かったのは、ライティングゼミの受講生は私くらいのアラフィフ世代も結構多そうだったこと。
受講の理由は、報告書や企画書など仕事に生かす人、ブログに生かす人、プロを目指している人など、それぞれということ。
さすがに思春期のやり直しのような人はいなそうだけれど。
私にとって、この講座の一番の受講ポイントは、ライティングは技術だという言葉だった。
誰もが身につけることができるという。
才能だったなら、早々に切り上げただろう。
イラストレーターを封印した時のように。
いや、逆に才能なら、あきらめがついて良かったのかもしれない。
でも技術ならば知りたい、この先を。
だから今も受講の意志が途切れずにいる。
受講が終わった時、私に何が残るのか。
今、確実に言えるのは、自分に好きなことをやらせた達成感だろう。
メソッドをすべて知って目からうろこが落ちているのかもしれない。
意外と仕事に役立てているのかもしれない。
子供の頃はいろいろなものに憧れをもつ。
でも、今の私には憧れも目標もいらない。
私が楽しむものに、私以外の誰かを目標としたり、いつまでにどうなりたいといった計画は必要ない。
今、私は思春期のやり直しをしているのだ。
無鉄砲に、バカみたいに今の自分を楽しみたい。
それでなくても、本当にやり直すには体力も気力も当時と違い過ぎるのだ。
自分を無理に縛りたくない。
ライティングゼミの終わりは来る。
でも、思春期のやり直しに終わりは来るのだろうか。
このままだと一生続くような気がしてならない。
それも悪くないと思い始めていることが、楽しいような何だか心配なような今日この頃なのだ。
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