プロフェッショナル・ゼミ

数千人が見つめる中でブツの回収に成功した話。《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【2月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《平日コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:源五朗丸(ライティング・ゼミ プロフェッショナルコース)

あなたなら、どう切り抜けるだろうか。
目の前に広がる、60メートル×40メートルほどの、何もない、まっさらな空間。
その真ん中に、針で突いたシミのようにポツンと目立つブツが落ちている。
空間を取り囲むのは数千人の観客。ひとり、また一人とブツの存在に気づいた彼らが、ヒソヒソと囁き始めている。
いけない、早く回収しなくては。ブツの正体に気づかれるとまずい。ブツの落とし主が私だとバレるのは、もっとまずい。そんなことになったら私の青春、ひいては私の人生が終わる。
なんとしてでも、数千人の観客の視線をかいくぐって、ひそかにブツを回収しなくては。

そもそも、あんな危険なブツを安易にポケットに入れていたのが間違いだった。
普段はそんなこと、絶対にしないのに。
普段は、うっかり落としたりしないように、教室の机の横にひっかけている通学カバンの一番底に忍ばせたポーチに厳重に保管している。取り出すのは、トイレに立つ休み時間だけ。周囲の目をサッと確認してから、素知らぬ顔でブツを取り出し、ポケットに忍ばせる。トイレに直行すると速やかに事を終える。
当初は利便性を優先して常にスカートのポケットに入れていたが、あるときハンカチやリップクリームを取り出すのと一緒に、こぼれ出てしまいそうになった。それ以来、取り扱いは慎重に行うようにしている。
だが、今日はいつもと状況が違った。
今日は体育祭だ。最初から体操服で登校し、教室にカバンを置いたら、その後は夕方の閉会式まで、ほとんど一日中、グラウンドにいることになる。
主な待機場所は赤組の応援席、スチール製のひな壇である。本当なら自分の席に、他の私物に紛れ込ませてブツを隠しておければベストだった。しかし体育祭では、プログラムに沿って、選手や係の生徒が頻繁にひな壇から出たり入ったりする。そのたびに残った生徒が隙間を詰めたり、上の段や下の段に移動したりするから、私物を特定の場所に置いておくことができない。私物はひな壇の裏、階段下のような場所に、クラスごとに固めて置くこととされている。狭い場所に200人以上の私物を置くため、スペースの都合上、必需品である水筒やタオル以外は置くことが許されない。小ぶりのポーチすらNGだ。そんなところにブツを隠せるものか。結局、ブツの保管場所は体操服のハーフパンツのポケット以外になかった。

よりによって体育祭の当日に、ブツが必要になるなんて。
ブツを交換する頻度には個人差があるが、私の場合は数時間おきには取り替える必要があった。さもないと許容量をオーバーしてしまう。
この学校が女子校なら、まだマシだったのに。グラウンドの中央にブツを落としても、見ているのが事情を汲んでくれる女子だらけなら。
しかし生憎、ここは共学だ。しかも男子のほうが少し多い。そのうえ今日は、本校の生徒や保護者に加え、他校の生徒や、ここを受験しようと考えている中学生、近隣住民の皆様までもが集まっている。少なく見積もっても三千人はいるだろう。
時刻は昼休憩前。午前の部の目玉である、女子全員での創作ダンスのプログラムの真っ最中だ。ラスト1チームを残すのみとなり、会場全体の視線が、ブツが鎮座するグラウンドに注がれている。
さらに悪いことに、プロのカメラマンがグラウンドの様子を録画している。体育祭のすべてのプログラムは、業者に依頼して録画、編集してもらい、市販品のようなDVDに仕立ててもらって、後日販売されることになっている。DVDは人気商品で、ほぼすべての生徒が買い求める。彼らはそのDVDを思い出に浸りながら何度も見たり、盆暮れに親戚の家で披露したりするのだ。学校の資料室にも、もちろん大切に保存される。翌年の体育祭の準備が始まる頃には、三年生のリーダーを中心に、繰り返し鑑賞され、研究されることとなる。
今年の創作ダンスの練習が始まった日も、まずは昨年度のDVDの鑑賞会が行われた。

「まずは去年のDVDをみんなで見ていきます。今年が初めての一年生は、これを見て雰囲気をつかんでください。二年生、三年生は、それぞれのチームの演技を見ながら、どんなところが優勝に結び付いたのか、考えてください」
マイクを握るダンス長の三年生は、まだぎこちない様子だった。100人以上のメンバーを前に一人で立ち、緊張しているのだろう。しかしDVDが再生されると、その口調はほぐれ、熱っぽくなっていった。
「まずは白ブロック。……この、出だしの動きが、きれいに揃ってるね」
「青ブロックのこの振り付けは、かっこよかったね」
「ここ! このウェーブが、すごくきれいに決まった! ちなみに、このブロックが去年、優勝してます」
すべてのブロックの演技を見終えると、ダンス長はキリッとしてメンバーに向き直った。
「去年は、個人での演技を揃えるよりも、全員が集まって大きな演技をしたほうが、高く評価されていたみたいです。なので今年の赤ブロックのダンスでは、全員で集まって行う演技をたくさん取り入れていきたいと思います」
ダンス長の目配せで、六人のダンスリーダーがプリントを配り始める。A4を横にした用紙には、変化に富んだフォーメーションがびっしりと書き込まれていた。
「じゃあ早速、チームに分かれて練習を始めます! それぞれのダンスリーダーのところに集まってください」
私たちは全員、必死になって練習した。特にダンスリーダーやダンス長は、すべてを投げ打つような熱の入れようだった。高校三年生の夏という、人生でも超貴重な青春真っ盛りの数か月を、大学受験のための夏期講習と睡眠時間の他は殆ど全てダンスのために費やしていた様子だった。
「じゃあ今日は、次の場面の動きを教えます!」
「そこのステップは、そうじゃなくて、こう! わかる?」
「今から10分休憩します! 気分の悪い子、いない?」
ダンスリーダーもダンス長も、声を張り上げて指示をとばした。彼女たちの声が枯れていくのを聴きながら、赤とんぼが飛ぶようになり、9月を迎えた。

「いよいよ本番になりました! 正直、私も緊張してる。でもみんな、この夏、練習いっぱい頑張った! 私たち赤組のダンスは、本当にすごいって、他のブロックの人も、先生たちも言ってた。みんな本番でも今までの練習どおりに、精いっぱい力を出しつくしましょう!」
入場門の裏で、ダンス長がガラガラの声を張り上げる。入場の隊形に、6列に並んだ私たちは、息ぴったりに頷いた。

「赤組入場!」
アナウンスが流れると、「やーっ!」と叫びながら走って入場し、地面に伏せる。曲が流れるのに合わせ、ゆっくりと大きく上半身を回しながら起き上がる。
本番も、全て練習の通りに、つつがなく進んだ。
グラウンドの中は、まさしく息をのむといった状態だった。緊張の糸が張り巡らされ、誰にも犯せないような独特の空気が充満していた。
100人を超えるメンバーが、集まったり、離れたり、グルグル回ったりを幾度も繰り返す。ラスト、正面の審査員席の前に集まって、一斉にポーズを決めた。
わっと大きな歓声と拍手が沸き起こる。
数秒間、静止した後、ピッという笛に合わせて直立する。続くピッピッという音に合わせて退場門へと走った。
「赤ブロックのダンスでした」
というアナウンスが、はるか後ろで聞こえた。

「やったね!」
同じチームの、あまり話したこともない三年生に肩を叩かれた。隣ではクラスメイトが涙ぐんでいる。演技を無事に終えた安心感や達成感に包まれて、私たちは二人ずつ、三人ずつ集まり、抱き合い、手を握ってジャンプしあった。
しばらくキャーキャー言い合った後で、
「はい、退場口にいつまでも溜まってたら邪魔になるから、応援席に戻るよー!」
「急いで戻らないと、次の黄色ブロックのダンス、見られないよ!」
というダンスリーダーたちの声にハッと我に返ると、やっと応援席へと戻った。

応援席の端から順に、詰めるようにして座る。まだ先ほどの興奮が冷めやらず、口々に「やったね」「よかったー」「あー、ほっとした」とつぶやきながらグラウンドを見やる。先ほどまで自分たちがそこで演技していたなんて、夢のようだった。
ふと「あそこ、何か落ちていない?」という声が耳に飛び込んだ。
「えっ、どこ?」
「あそこ、グラウンドの中央。ほら」
「ほんとだ。何かあるね。なんだろう?」
つられて私もそちらを見る。
(げっ!)
見覚えのあるそれは、まさか、そんなはずない。
そう祈りながらハーフパンツのポケットに手を伸ばす。やばい、ブツがない。
座ったまま、両隣のメンバーに不審がられないように気を付けて、ゴソゴソとポケットをまさぐる。やっぱり無い。
「なんだろうね、あれ」
(やらかした、ダンスに夢中になって、大きく動きすぎたから、落としたんだ……)
ダンスをやり遂げた興奮がサーッと引いていく。
幸いなことに、ちょうどグラウンドの真ん中に落ちたブツは、応援席からも周囲の観客からも距離がありすぎて、今はまだその正体が生理用ナプキンであるとは気づかれていないようだった。
でも観客の中には双眼鏡を持っている人もいる。生徒にだって、視力が2.0とか出るような人には分かるかもしれない。
やばい! グラウンドの真ん中に生理用ナプキンが落ちていると気づかれないうちに、早く回収しないと。
ナプキンを落としたら、こんなに恥ずかしいなんて。まだパンツを落としたほうがマシだ。

「さあ、次は黄色ブロックのダンスです」
アナウンスが始まる。三千人の視線が一斉にグラウンドに向けられる。そのグラウンド真ん中で、白い砂の上にポツリと目立っている、ピンクのパッケージのナプキン。
(あああ、見ないでください……!)
頭を抱える。どうしよう、どうにかしてナプキンをあの場から回収しなくては。
いや、回収できなくても、亡き者にできればいい。夏休みの自由研究の定番、虫眼鏡で太陽光を集めて発火させるように、集められた三千人の視線でナプキンがジュッと蒸発してしまえばいいのに。
もしくは、急に巻き起こったつむじ風がグラウンド中を走り回って、ナプキンをどこかに散らしてくれたらいいのに。
いっそ、急にグラウンドが割れて、中からガンダムか何かが発進しないだろうか。そしたら割れた地面にナプキンが落ちていってしまうだろうに。

「みんな、精いっぱい出し切るよ!」
入場門から黄色ブロックのダンス長の声が聞こえる。それに呼応して、黄色ブロックの100人ちょっとのメンバーの声が「ハイ!」と響く。
(私は、なんてことをしてしまったんだ……)
あの人たちが今から出ていく舞台、彼女らがこの夏の全てを捧げたダンスを披露する神聖な場所に、あんなものを落としてきてしまった。
ブツの場所に立ってしまった人が、ぎょっとして、演技に集中できないんじゃないか。
あと数秒で黄色ブロックのダンスが始まる。残念だけれど、どう考えてもブツの回収は間に合わない。黄色の人、本当にごめんなさい。
このダンスが終わったら、昼休憩だ。
そのすきに、ターッと走って行って、ブツを回収しようか。うまいこと、みんながグラウンドから目を離してくれたらラッキーだけれど、目撃される危険性も高い。万が一、目撃されたら、もう恥ずかしくて恥ずかしくて学校に出てこられなくなる。そんなことになったら、私の青春、私の人生は終わりだ。でも昼休憩に回収しなかったら、午後のプログラムが始まってもブツはそこに鎮座し続けるだろう。どうしよう。

「やーっ!」
叫び声とともに、黄色のハチマキをつけた集団がグラウンドに飛び込んでいった。
ああ、黄色ブロックのダンスが始まってしまった。
彼女たちは入り乱れて、あっちで手をヒラヒラさせたと思ったら、こっちで団子状に集まって開いたり閉じたりしている。
必死にグラウンド中央のブツを目で追おうとするが、チラチラと動き回る彼女たちの体に阻まれて、見失ってしまった。

「ありがとうございました!!」
そろって一礼をし、黄色ブロックのメンバーが走って退場する。
「ん?」
がら空きになったグラウンドに目を凝らす。彼女たちが去ったあとには、何もなかった。ブツが消えていた。
(えっ!? ほんとに?)
眼をこすっても、瞬きしても、なんど見てもまっさらなグラウンドの真ん中には、本当になにもなかった。
(……助かった)
思わずはぁっと深い息をつく。全身から一気に緊張が抜けた。
「これで午前の部を終わります。午後の部は、一時半からの開始となります……」
アナウンスが流れ、グラウンドを取り囲んでいた観客も三々五々と散らばっていった。

「ダンス、大成功だったね」
「ほかのブロックのダンスも、きれいだったね」
「あの黄色ブロックの最後のところ、すごくなかった?」
教室で弁当を広げるクラスメイトは、純粋にダンスの余韻にうっとりしていた。
私はブツを大勢の観客に晒したというショックを引きずりながらも、彼女たちに相槌を打っていくうちに、徐々に気分が回復してきた。遅ればせながら、ダンスが成功した喜びや、他のチームの素晴らしさも味わえるようになった。
クラスの誰も、校庭の真ん中に落ちていたピンク色の異物のことは忘れてしまったようだった。トイレの水を流すように、最後の黄色ブロックの素晴らしい演技が、みんなの記憶からブツのことを洗い流してくれたようだった。
(いや、本当に助かった。あの場からブツを回収するなんて、絶対無理だと思ったけれど、誰がやってくれたんだろう)
友人とダンスの感想を語り合いながら、頭の片隅で考える。
きっと、回収してくれたのは黄色ブロックの誰かだ。
やーっと叫びながら入場して、練習した通り、所定の位置についた彼女は、近くにあったブツに気づいた。女子として事情を察知した彼女は、勇敢にもサッとブツを回収し、そしらぬ顔で演技を続けたのだろう。
なんという勇気と行動力だ。だって、もしも回収する姿を目撃されたら、大勢の観客から生理中だと思われ、彼女自身のナプキンを拾っていると誤解される危険があった。しかもその姿はDVDに保存され、何度も何度も再生される。そんなことになったら、彼女の青春、彼女の人生が台無しになる。
それでも勇気と機転のある彼女は、数千人の観客が見つめる中で、大胆不敵にもブツを回収して見せた。小説の中の怪盗だって、これほど鮮やかな手口では盗めないだろう。
彼女のおかげで私の青春、私の人生は台無しにならずに済んだ。
(どこの誰か知らないけれど、本当に助かった。ありがたや)
心の中で拝み倒して感謝しまくった。あれから十年が経つけれど、時折思い出しては、やっぱり拝み倒している。

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