プロフェッショナル・ゼミ

立たされた私と、空と地面と《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:青木文子(プロフェッショナル・ゼミ)

「もう、いいから廊下に立っていろ!」
あなたは廊下に立たされたことがあるだろうか。廊下に立たされるなんて、今ではマンガの中でしか見ない光景だ。

小学校の頃、よく廊下に立たされていた。今からもう30年以上前の話。ちょうど静岡の田舎から、名古屋の街中の小学校に転校したばかりだった。転校生というのは特別な扱いをうける。物珍しさと歓待と。でもしばらくすればその物珍しさもなくなる。夏休みが終わるころには、私はクラスの中で問題児になっていた。

小学校の先生からみて、確かに私は厄介な子どもだったと思う。宿題はしてこない。授業中、自分の横や後ろに座っている友達とおしゃべりしてしまう。と思えば、授業中に運動場をじっと眺めていたりする。私には私の理由があった。運動場にカラスがやってくるのだ。カラスは「カーカー」と鳴く。私はそんなカラスのくちばしが、上のくちばしが動いているのか、下のくちばしが動いているのか気になってしょうがない。ついつい私は運動場のカラスを凝視してしまう。教壇にたつ先生からは、口をパクパク開けたり閉じたりして運動場を眺めている私の姿が見えるわけだ。

今でいう多動な子。そして外からみれば、廊下に立たされても平気な子どもにみえていたのだと思う。
「今日も立たされちゃった」
そんな感じでへらへらしていた。そんな雰囲気がまた先生を苛立たせていたのだろう。

ある日担任の先生はこう言った。
「おまえは怒っても凹まないからな」
凹んでいないように見えても、実は気持ちは傷ついていた。自分がやりたいようにしていると、なぜいつも怒られてしまうのだろう。先生が求めるようにおしゃべりせずに授業を静かに受けることもできない自分。なんだか自分はいつもその世界のものさしからはみだしてしまう。クラスの中でも友達とおしゃべりはするものの、その世界の中になじめない自分がいた。

「おい、まだしゃべってるのか!」
心の奥で凹んでいても、おしゃべりが無くなるわけではない。廊下に立たされてもまだおしゃべりを止められないのだ。その頃の小学校には冷房はなかった。夏は教室の廊下側の窓はいつも開け放されていた。廊下に立ってみると、その窓は一番廊下側の子の机をのぞき込んでしゃべりかけるのに良い位置だった。廊下に立たされているのに、またおしゃべりをし始めている私をみつけて先生は怒りだした。

「そこじゃなくて、廊下の一番端で立ってろ!」

教室は校舎の西の端の方にあった。階段を挟んでそのさらに西に音楽室があった。私はその廊下の一番どんつき、音楽室の前に立たされることになった。廊下の一番は端に立つと、まっすぐに伸びていく廊下が見えた。どの教室も授業中だ。あちこちの教室から授業の声が漏れ聞こえてくる。音楽室はあまり使われることのない教室だった。なんとなしに、音楽の授業で習った歌を思い浮かべた。知らぬ間にそれが鼻歌になった。歌は嫌いではなかった。まっすぐな廊下を見ながら小さく鼻歌で歌う合唱曲。廊下はよく音が響いた。小さい鼻歌は気持ちよく廊下に響く。べつべつの教室から何回か先生が廊下をのぞいてこちらを見た。廊下から聴こえてくる私の鼻歌を不審に思ったのだろう。

「おい、もういいから、お前は運動場の真ん中だ」
鼻歌を歌っていたことを他の先生たちが、職員室で話題にしたのだろう。とうとう私は運動場の真ん中で立たされることになった。

このことはすぐに親にばれた。ある日家に帰ると、母親が静かな口調でこう言った。
「運動場で立たされていたの?」
学校の懇談会でも「明るいのだけが取り柄です」と言われていた私だった。褒められない子どもであることは分かっていた。まいったなぁ、どこからばれたのだろう。たぶん2学年下の妹だ。おねえちゃんが運動場の真ん中にいたよ、と母親に話したのに違いない。

初めは運動場の真ん中に立つ私を珍しがって、他のクラスの生徒が窓からこちらを指さしたり、笑ったりしていた。何度も立たされているうちにそれにも慣れたのか、誰もこちらを見なくなった。時折、誰かが「あ、またか」という顔で運動場の私をちらりと見るぐらいだった。

運動場の真ん中に立たされるのは、他のクラスが体育の授業がないときと決まっていた。誰もいない授業中の運動場。ある日のこと。今日はカラスもやってこない。その日もまた運動場の真ん中に立たされていた。空を眺めていて、ふとこんな思いが頭をよぎった。

「寝っ転がってみたら、なにが見えるだろう」

なぜ、そんなことを思ったのだろうか。今振り返ってみてもわからない。思いついてしまったら、やってみたくて仕方なくなった。運動上の真ん中で寝っ転がってみる、ただそれだけのことが大冒険のように思えた。授業中おしゃべりして先生に怒られるよりも、立たされたことを親に知られてしまうよりも、ずっとドキドキする、それらとはまったく違う冒険に思えた。
どのクラスも静かに授業が進んでいた。ときおり音楽の授業だろうか、歌声が聞こえてくる。あたりを見回してみた。誰もこちらを見ていなかった。心臓が鼓動を打っていた。思い切って、運動場の真ん中で寝っ転がってみた。

目の前に空が広がった。空は何にも囲まれていなかった。
寝っ転がってみた空は、ただ見上げた空よりもずっと高く感じられた。深く深呼吸をした。さっきまで気がつかなかった鳥の声が聞こえてきた。頬に風があたるのを感じた。大地にぴったりと着いた背中。背中に運動場の土のぬくもりがした。

ふと人の気配がした。慌てて立ち上がった。気のせいだった。背中についた土を払った。長く感じたが、寝っ転がっていたのはきっとほんの数十秒だったのだろ
う。でもその数十秒の間に、全く違う異次元に長い旅をしていたような気がした。しばらくして授業の終わりを知らせるチャイムが鳴った。校舎の中から一斉にがやがやという声が聞こえはじめた。

空は枠に囲われていなかった。あの日私が運動場からみた空には枠がなかった。
小学生の私にとって枠がない世界はあの空が初めてだったのかもしれない。

それからも人生の中で、何度も寝っ転がった。空を見た。ある時は多摩川の川原。ある時は公園の芝生の上。寝っ転がると、空はいつでも、いつもより高くみえる。そして背中が地面にくっついている確かで暖かい感触。

大人になってから、何もかもうまくいかなかったときがあった。近くの公園を散歩した。ふと座り込んだ公園の芝生。そのままごろりと寝っ転がって空をみた。空は高いところにあった。空は何にも囲まれていなかった。背中には芝生と地面の感覚が伝わって来た。その時のことだ。気がついたのだ。地面が私の身体を抱きとってくれている感覚に。
「地球が私を抱きしめてくれている」
大きい地球が精いっぱいの力で小さい私を抱き寄せてくれている。大きい地球と、それに比べてずっと小さい私。地球の重力と引力。地球と私は引力で引きあっているのだ。抱き寄せられている感覚に、ふと気がつくと涙が止まらなくなっていた。

人生にはいろいろな枠がある。例えば学校という枠、クラスという枠。生徒としてこうあるべきという枠、子どもとして、こうあるべきという枠。枠は四方八方を囲う。枠は人が人を囲うためのものだ。枠の中でその枠のルールが合っているひとは生きやすいが、時にその規定に合わない人がいる。その人にとってその枠の中は息苦しい。

もし、人生の中にいくつもある枠の中で息苦しくなったときは、寝っ転がってみるといい。そこに空は広がっている。どこまでも空は広がって続いている。そしてあなたの背中を地球は黙って抱きしめてくれる。
その空はあなたに教えてくれるはずだ。その枠は人為的なものでしかないことを。今はその枠から出られないかもしれない。でもいつか、あなたがその枠から出る日がくる。囲われている水平方向でなく、ひろがっている空に向かって。あなたが決めさえすれば、その枠から外に出ることができる。その枠の上にある空は、ひらりとその枠の外に出るあなたを待っているはずなのだから。

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