プロフェッショナル・ゼミ

キャリア〜女難の相〜《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【2月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《平日コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:永井聖司(ライティング・ゼミプロフェッショナルコース)

※このお話は、フィクションです

誰かが、僕の名前を呼んでいる。
「清水さん、清水さん! 大丈夫ですか!?」
女性だ。ひどく動揺している。大きな声だ。館内に反響している。それほど多くない来場者の、ざわつく声も聞こえ始めた。
そういったことは認識できていても、不思議と僕は、声の方へと顔を向けることが出来なかった。
「清水さん、体調悪いんですか? すごい汗ですよ!」
『誰か』に言われて、初めて気付く。
整った空調設備の中にいるというのに、ダラダラダラダラ、幾筋もの汗が、僕の顔や首筋を伝っている。息も乱れ、苦しい。酔っ払った時のように頭もクラクラクラクラして、段々と体の力も抜けていく。
それでも僕は、目の前の女性から、目を離すことが出来なかった。
乱れた着物を気にする様子もなく、舞い散る紅葉の中を歩く、一人の女性。花の入った籠を抱え、目は、どこを見ているのか定かではない。
恐ろしい絵だと、見た瞬間に思った。同時に、僕は目を離せなくなった。
足の力が抜けて、膝をつく。体を支えられず、倒れていく。上村松園『花がたみ』という説明書きが、視界の端をよぎる。
「清水さん!」
頭に衝撃が走るのと、誰かが大声で僕を呼ぶ声が聴こえるのは、ほぼ同時だった。
作品の中から僕を見下ろす視線を感じながら、僕はようやく、声の方へと目だけを動かした。
倒れ込んだ僕の体を揺らしながら、必死に僕の名前を呼ぶ、眼鏡を掛けた女性。
ゴメン、安達さん。
言葉は浮かんでも、頭に走った衝撃のせいで、口には出来なかった。
せっかく良い感じになってきた頃のデートで、こんなことになるなんて、僕にはやっぱり。
彼の、言うとおりになるなんて。
自然と、自分の表情が歪むのを感じたところで、僕の意識は途切れた。

「女難の相が、出てますね」
常盤橋明(ときわばしあきら)くんは、面白いものでも見るような笑顔を浮かべながら、僕にそう言った。初対面だった。3月のことだった。
『は?』
反射的に言いかけて、僕は慌てて口を噤む。常盤橋くんの隣にいる人物の存在を、思い出したからだ。
いかにも高級そうな調度品ばかりが並ぶ大広間の中央。リクルートスーツに身を包み、超高級なのだろうソファーに腰掛けた僕は、2人と向き合っていた。
常盤橋くんとその祖父、獅堂氏だった。テレビで見かけることも多い、日本を代表する常盤橋グループの名誉会長であり、医者であり、僕が面接を受けに来た常盤橋学園の理事長であり、今現在は僕の面接官でもある。……目を閉じて、寝ているようだけど。
僕の戸惑いと緊張を置いてけぼりにして、中等部のシャツの上から白衣を身にまとった常盤橋くんは、手元に置かれた履歴書には目もくれず、続けて質問をする。
「何か、思い当たることはありますか?」
白衣の影響もあるのかもしれないけれど、大きく澄んだ瞳で、血筋なのか凛とした雰囲気をまとって質問をされると、どうして中学生に面接をされているのだろうか、という疑問も薄れてくるのだから、不思議だ。
「女難、についてですか?」
「ええ」
僕が質問の意味を図りかねて聞き返せば、爽やかな笑みに実によく合う、上品な相づちが返ってくる。
「えーと」
しかしそこで僕は、常盤橋くんから目を逸らす。思い当たることが、ないわけではないけれど、
「今まで、まともに女性とお付き合いされたことがないようですけど?」
「……は?」
答えようかどうか迷っていたことを言い当てられてしまえば、僕は常盤橋くんの目をしっかりと見返して、さきほど我慢したばかりの言葉を漏らしてしまう。
「ああ! すいません!」
そしてすぐさま、中学生相手に頭を下げるという失態を演じることになり、恥ずかしいのと屈辱をないまぜにしたような気持ちのままで顔を上げれば、僕をからかような笑みを浮かべた、常盤橋くんと目が合った。
「……どうして、そのことを?」
当然の疑問に、常盤橋くんは横で眠るおじいさまの方をちらりと見て、また僕に笑いかける。
「情報は、お金で買えますからね」
圧倒的な格差を感じさせる発言と、まるで王が平民に向けるような、上下関係を一気に叩き込むその視線に、僕は本能の赴くままに観念し、常盤橋くんの望むがままに答えることにした。
「……いつも、良い感じのところまではいくんです。でも、いざ付き合おうとすると、相手が転校しちゃったり別の男性から告白されたり、芸能界デビューしてしまって異性交際禁止になってしまった人もいました」
「その原因について、思い当たることはありますか?」
「原因? ……ないですね」
どうして中学生相手にこんなことを答えなければいけないのだろう。そう思う気持ちがないわけではないけれど、自然と口が、動いてしまう。常盤橋くんへの恐れが半分、不思議と、安心できるような気持ちが半分。
「ですよね」
「ですよね?」
「いえ、清水さんのことを調べさせてもらったんですけど、家庭環境や人間性、過去の交友関係を見てみても、今のあなたに原因があるようには思えない」
前言撤回、恐ろしさ100%だった。平然と言ってのける中学生の顔を、僕は阿呆のように口を開けて、見つめてしまう。
「……現代ではないところに、問題があるのかもしれませんね」
ニヤリと、今まで見せたのとは違う、邪悪さを含んだ目に、僕は捉えられる。
「清水さんは、面白い『キャリア』ですね」
そうして、僕の面接は終わった。

「あれ……?」
ゆっくりと目を開けて見えたのは、たしかに見覚えはあるのに、すぐにどこかは思い出せない、高い天井だった。視線だけを動かして見えた、壁にかけられた剥製や、馬鹿でかい花瓶に生けられた花や、これまた馬鹿でかいテレビ画面にも見覚えがあり、背中に感じる感触にも、覚えがあった。
「お目覚めですか?」
どこだったっけと、ゆっくりと思考を始めた僕の視界に1つの顔が飛び込んでくれば、僕は白衣姿の相手の名前を呼ぶ。
「常盤橋、くん?」
ついさっきまで見ていた夢、というよりも回想の中に登場した彼の姿を確認し、僕はもう一度、周りを見る。間違いなく、僕が2ヶ月前に面接を受けた常盤橋家の大広間で、僕は今、ソファーの上に横になっていた。あの頃と変わらない、フカフカで、沈みすぎるぐらいのソファーの感触を感じれば、僕は大きく息を吐く。とても穏やかで、気持ちが和む。ずっと、このソファーで、横になっていたい……。
ん? と、僕はそこで思い直す。もう一度常盤橋くんの顔を見て、背中の、ソファーの感触を認識する。
間違いない、夢じゃない。
「常盤橋くん!? あでっ!」
勢い良く起き上がろうとした僕は、ものの見事にバランスを崩して顔から床に落ち、その痛みで、改めて今の状況が現実であることを再確認する。
「大丈夫ですか、清水さん?」
そんな僕の上の方から、心配そうに、というよりも楽しそうな雰囲気の常盤橋くんの声が聞こえれば、僕はたまらず聞き返す。
「常盤橋くん。僕はどうしてここに?」
「うちの美術館で倒れた人が出たって聞いたんでよくよく聞いたら清水さんだって言うし。大した怪我でもないようだったから、家まで運んでもらったんです」
そう言えばそうだった。安達さんの持ってきたチケットには確かに、常盤橋美術館、と書かれていたっけ。
そして体勢を立て直そうとして頭に違和感を感じたので手を伸ばしてみれば、包帯が巻かれていることに気付く。
「この包帯は、常盤橋くんが?」
うつ伏せだった体勢をまずは仰向けにしながら、ペットを見るような目で僕を見下ろす常盤橋くんに、尋ねてみる。
「ええ。医者の家系ですから、それぐらいは」
こともなげに言う常盤橋くんは、僕に手を差し伸べてくれれば起き上がるのを手伝ってくれ、そして僕をソファーに座らせてくれた。
「でもビックリしましたよ。清水さんと安達先生が、まさか」
「い、いや! まだ、正式にお付き合いしているわけじゃ……!」
慌てて言いながら常盤橋くんの顔を見れば、いつか見たことのある常盤橋くんのいやらしい笑顔に見つめられてしまい、僕はガックリと肩を落とした。常盤橋くんの優しさに油断し、カマをかけられて易々とノッてしまう自分の性格が、恨めしいことこの上ない。
あの謎の面接後、常盤橋学園の事務員として働くことになった僕と、4月から常盤橋学園中等部で国語を教えることになった安達さんは、年齢も近く、お互い常盤橋学園にまだまだ不慣れなこともあって、自然と仲良くなった。最初は、年齢の近い先生や職員の人と一緒に行っていたごはんの人数も徐々に減り、最近では2人でご飯に行ったり、休みの日に遊びに行ったりということも起こり始め、雰囲気さえ良ければ今日にでも正式なお付き合いの話を、と思っていたところがこの有様だ。と、自分でも顔が赤くなっているのを感じながら話したと言うのに、常盤橋くんはまるで興味がない様子で聞き流しているのが見えた。
「常盤橋くん!」
苛立ちと恥ずかしさと、両方の気持ちを込めて常盤橋くんの肩を掴んでこちらを向かせれば、僕の顔の前にズイと、スマホ画面が向けられた。
「そんな話はどうでも良いんですけど」
と前置いて、常盤橋君は僕の顔に、スマホ画面を更に近づける。その画面には、紅葉の中を歩く、あの女性が映っていた。
「明治から昭和にかけて活躍した絵師、上村松園の『花がたみ』という作品です」
倒れたときのことが思い出されてきて、ゴクリと唾を飲む。自分でも、眉間にシワが寄るのを感じる。そしてスマホ画面の向こうから、真剣な眼差しでこちらを見つめてくる、常盤橋くんの大きくて強い視線が、突き刺さる。
「これ、恋に狂った女性を描いた作品なんですよ」
言われてみれば、定かではない視線や乱れた着物、そしてまとう雰囲気から、その女性が、普通の状態ではないことがわかる。
「この絵自体は、それ以上でもそれ以下でもない存在です。ただ問題は、この絵を見た清水さんが、倒れるぐらいに体調を悪くした、という事実です」
不思議と喉が渇いてくれば、目だけで、常盤橋くんに先を促す。
「恋に狂った女性の絵を見て気分を悪くするなんて、なにかやましいことがあるんじゃないかな、と思って」
体の辛さと、回りくどい言い回しに、抑えきれずに舌打ちが出てしまう。
「だから、面接の時も言った通り」
イラ立ち混じりの僕の言葉を、常盤橋くんは遮る。
「そう、現代の清水さんには何も問題がない。なら、前世に問題があって、それが影響してるんじゃないかなって思うんですよね」
あまりにも突飛すぎる話に、思わず鼻で笑ってしまう。
「前世って……医者の家系でそんな、非論理的なことを言って良いの?」
「現代にその理由が見当たらないんだから、前世にその理由があると考える。これの方が、まだ論理的だと思いますけど?」
言い返したいことは、山ほど浮かんでいた。
それでも、口から出るのは粗い息ばかりで、汗が、頬を流れる。目が霞んで、たまらず僕は、常盤橋くんが持つスマホに手を伸ばす。しかし常盤橋くんは、ヒョイとスマホの位置をずらせば、もう一度僕の目の前に突き出してくる。
「や、やめろ……!」
ドラキュラが十字架を見せられたら、こんな感じなんだろうか。苦しいはずなのに、そんなふざけた想像が、浮かんでくる。また、頭がフラフラしてきて、身体が揺れるのを感じる。倒れる。
そう思った瞬間、襟元を掴まれて、グイと引き寄せられる。
「実際に、清水さんの前世にどんなことがあったのかはわかりませんが。あなたが、『女難の相』というウイルスを保持するキャリアであることは、どうやら間違いないらしい」
常盤橋くんの息が、顔に掛かる。
「そして、『花がたみ』の絵が引き金になって、あなたは発症した。体調を崩すほどにその影響は甚大で、その内に周りの人にも感染し、影響を及ぼす可能性がある。今、処置するしかない」
段々と視界がおぼろげになっていき、息が乱れるのを感じる。そして曖昧になっていく世界の中で、僕の目の前に、常盤橋くんが何かを掲げるのが見えた。
「か……刀?」
「小太刀、常盤橋」
白衣に小太刀とは、なんと似合わぬ取り合わせだろう。霞んでいく視界の中で、僕はやっぱりほとんどのことを現実だと受け入れることなど出来ずにいて、そんなことを考えていた。
小太刀が振り上げられ、刃が光る。
「はあっ!」
聞いたことのない、ドスのきいた常盤橋くんの声が、耳を貫く。
左胸に打ちつけられる衝撃に、思わず声が漏れる。ジンジンと、胸が痛む。血が、噴き出しているのを想像して、目を向ける。
「え……?」
こんなに、血というのは、黒いものなんだろうか。霧の中に飛び込んでしまったかのように白く霞む視界の中で、僕の胸の前で、刀に貫かれた黒い塊が、蠢いているのが見えた。
心臓だろうか? そんな考えがよぎるけれど、みるみる小さくなっていくのを見れば、恐らく違うのだろう、ということだけはわかる。
目蓋が、重い。目を、開けていられない。
その瞬間に、襟元を掴む手の感触がなくなれば、僕の身体はまた、僕の家のベッド以上にフカフカなソファーに、受け止められる。
「常盤橋は、あらゆる次元を超えていく、不思議な刀」
子守唄のような、常盤橋君の声が、聞こえてくる。
「常盤橋によって、清水さんの、『女難の相』というウイルスは取り除かれたはずですが、ごくまれに再発の可能性もあるので、気をつけてくださいね」
今までに聞いた、どの常盤橋くんの声とも違う穏やかな声で、常盤橋くんはまるで本物のお医者さんのように、語りかける。
ピコーン。
そこでLINEの通知音がすれば、容赦なく、ポケットからスマホが抜き出される。
「ん? 安達先生から?」
常盤橋くんの声がして、今度は、指にスマホを押し当てられていくのを感じる。そして何本目かの後によしっと小さく声が聞こえれば、少しの間が空く。
勝手に人のLINE、見るんじゃないよ。
薄れていく意識の中でも、その抗議だけは、しっかりと頭に浮かんできていた。
「お幸せに」
でも耳元で、常盤橋くんのそんな声がすれば、僕の口角は自然と上がり、そして意識を手放した。

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