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メディアグランプリ

父への詫び状


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:渡邊壽美子(ライティング・ゼミ日曜コース)
 

「来なくていいからね」
「うん……」
電話が切れて、私はしばらく呆然としていた。そして、父の通夜にも告別式にも行けなかった。どんな理由にせよ、私は父に最後のお別れができなかったのだ。今でも時々、申し訳ない気持ちが押し寄せる。
 
ふと、向田邦子さんの「父の詫び状」が読み直したくなった。本棚を探したが、見つからないので、電子ブックをKindleストアで買って読んだ。やっぱり向田邦子さんが好きだ。人間に対する鋭い観察力と愛情が、文章に表れている。「父の詫び状」というエッセイには、保険会社に勤めている彼女の父親の亭主関白ぶりや、しっかりしているがお茶目な母親の様子が描かれている。若い頃は気づかなかったが、彼女の父親に対する愛情が伝わってくる。
 
私の父も、保険会社に勤めていて、亭主関白だった。転勤が多く、私達3人の子供は幼少期に転校を繰り返した。父は無口で、「めし」「ハンカチ」「靴下」と単語で話し、母が「はい」と明るく言いながら、「めし」「ハンカチ」「靴下」を持って行く、というのが日常だった。
 
私が3歳のときだ。母が私の妹を出産するために入院した際、私は妹に母をとられるような気がして、家の階段で長い間「ママー ママー」と泣いていた。応援に来ていた祖母も困っていたのだろう。父は私を慰めもせず、「うるさい」といって、私を押入れに閉じ込めたのだ。私は余計泣いて、押入れの扉を足で思い切り蹴り、ふすま紙を破った。そして、さらに父に怒られた。このときの記憶が鮮明で、父はずっと怖い存在だった。と同時に、反発していた。物心ついたときから、父と私のコミュニケーションは、いつも母親経由で、父ときちんと話をした記憶がない。が、私は、父が嫌いなわけではなかった。いや、むしろ無口でハンサムな父が好きだったと思う。しかし、父は子供には関心がないと、私は思い込んでいた。
 
それが、誤解だとわかるには長い年月がかかった。妹が就職してしばらくたったある日、父は、就職した子供達の名刺を3枚、テーブルにきれいに並べて、見つめていた。定年後も一家の大黒柱として働いた父。家庭はほとんど母に任せていたが、3人の子供が一人前になるのを、父なりに気にかけていたのだろう。満足そうに3枚の名刺を眺める父の後ろ姿を見て、私は少し驚いた。私は父には愛されていないと思っていたが、そうではなかったのだ。何か話しかけたかったが、言葉が見つからない。こういうとき、言葉が出ないのは父親に似ているのかもしれない。
 
しばらく経ったある日、仕事中に母から突然連絡があった。
「お父さんが倒れて、救急車で運ばれたの。脳梗塞だって」
「えっ。仕事終わったら、そっちへ行く」
 
血管がつまった場所が悪かったようだ。父はその日を境に、ほぼ全ての運動能力を失ってしまった。無口で威厳のあった父が、力なくベッドに横たわっている姿を見るのは辛かった。自分では話すことも、食べることもできず、まばたきしかできない。そんな状態で、絶望せずに生きていくことができるだろうか?
「無口で、テレビばっかり見る人だから大丈夫じゃない?」
と母は冗談っぽく言ったが、私が父なら、すぐにでも死にたい気持ちだ。
 
父が入院している病院は、交通の不便な場所だったが、母は足しげく病院に通った。孫の顔を見て元気になるようにと、兄と妹は子供を連れていき、独身だった私も、教習所に通い直して、週末、車で病院通いをした。
 
そんな生活が日常になった頃、私を嫁にもらってくれるという人があらわれ、一緒に父の病院に挨拶に行った。
「壽美子さんと結婚したいので、お許しをもらいに来ました」
というような夫の言葉に、父はパチッパチッと、とまばたきで返事をした。私はなんだかほっとして、「育ててくれてありがとう」という類のことを、言いそびれてしまった。
 
それから、数年経ち私は妊娠した。もう高齢だから半ば諦めていたが、父にも孫の顔が見せられるかもしれないと思い、飛び上がるほど嬉しかったのを覚えている。しかし、喜んだのも束の間で、流産してしまった。
その夜、寝ていると、身体が鉛のように重い。がっかりして疲れたのかな、などと思っていたら、翌朝、電話があって、父が亡くなったという連絡をもらった。私は霊感の強いタイプではないが、父の魂が最後のお別れに来たのかもしれないと思った。
 
流産の手術をした次の日が、父の通夜になった。通夜と告別式は父の故郷で行われることになった。手術を担当した医師に
「実は父が亡くなって、明日通夜で、明後日告別式なんですが、行ってもいいでしょうか? 電車で2時間くらいです……」
と聞いたが、
「次の妊娠のことも考えて、安静にしていてください」
と諭された。
電話で母にも相談したが、来ない方がいいと言われた。
「きっとお腹の子は弱い子だったから、お父さんが天国に連れてってくれたんだよ」と、母は言った。あきれるほど前向きな言葉に、少し救われた。
 
二つの命を亡くした喪失感で、しばらく落胆していたが、忙しく仕事をする日常が悲しみを癒してくれた。こういうとき、仕事で忙しいというのはありがたいものだ。
平気な顔をして生きている人でも、色々抱えていることがあるかもしれないということを知った。そして、人生には、悲しいことがあれば、うれしいこともある。その後、幸運にも私達夫婦には娘が生まれ、もう7歳になった。少しは親の気持ちが理解できるようになった。
 
父の最期にも立ち会えず、葬式にも行けなかったことは、今でも心にひっかかっている。できることなら父にお詫びを伝えたいとずっと思っていた。
 
しかし、本当に父に伝えたかったのはお詫びではなく、お礼だと気づいた。
そうか。「父への詫び状」は、「父への礼状」だったのだ。
 
 
お父さん、全国各地、時には単身赴任で働いて、3人の子供を大学まで出してくれてありがとう。身体が動かせない絶望のなかで、頑張って生きてくれてありがとう。
 
私はあなたの子供に生まれて幸せでした。育ててくれてありがとう。
 
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2018-02-08 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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