育児の煙に巻かれた私にパンツから光が差しこんできた《プロフェッショナル・ゼミ》
*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:たいらまり(プロフェッショナル・ゼミ)
「おかあしゃーん。このパンツかわいいよー」
ショッピングモールのランジェリーショップに4歳の娘のモモと来ている。
できれば、こんな人目につくところで下着は買いたくない。
店員さんに声をかけられるのも苦手だし、知り合いに会って、あら以外とそういう趣味なのね、なんて想像されるのもとっても恥ずかしい。
でも、今日は大切なミッションをクリアするために意を決してやってきた。
「お母しゃん! これ! これがかわいいよ!」
モモは黄色の花柄のブラジャーを握っている。
「え?! それ? あーちょっと小さいかなー。お母さんのおっぱい、今、赤ちゃんのご飯が入ってるからボヨヨーンって大きいからなー」
「ぼよよーん。ぼよよーん」
下ネタが楽しいお年頃。モモはきゃっきゃっと笑っている。色とりどりの神秘的な大人の女性用下着に囲まれて、テーマパークさながらに興奮している。
端から見たら、母と娘の微笑ましいお買い物に見える光景。
でも、本当は違う。
私は、モモに愛情を感じることができなくなっていた。
1年前に弟が生まれ、モモはお姉ちゃんになった。
出産で入院した数日間は、モモと離れて眠ることが初めてだったので、会いたくて仕方がなかった。お見舞いに来てくれた時は、ぎゅううううっと、壊れんばかりに強く、強く抱きしめた。
そう。この時は、大切な愛しい私の娘だった。
それが、退院後、この娘への愛情は全く違う色に変わっていった。
モモを愛しいと思う気持ちに灰色の煙がかかってきたかと思うと、みるみるとモモの存在自体が鉛の塊のように重く感じるようになってしまったのだ。
「赤ちゃんが産まれたら、上のお姉ちゃんをしっかり抱っこしてあげなさい」
このアドバイスは多くの先輩お母さんたちからも言われていた。
いわゆる「赤ちゃんがえり」という状態を少しでも和らげるために。
弟や妹が生まれると、上の子に、寂しさや自我などの感情が生まれ、情緒が不安定になる。私も、頭ではちゃんと理解し、第2子出産後は、4歳のモモに寄り添う心構えをしっかり持っていたつもりだった。
なのに、どうしてだか、それができない
これ以上書くと、ひどい母親だと思われてしまうかもしれない。
でも、どこかで悩んでいるお母さんの力になれるなら、そう思い隠さず書きたいと思う。
第2子が産まれて、最初の半月ぐらいはよかった。
モモも赤ちゃんがやってきたことを嬉しそうにしていたし、赤ちゃんもよく眠ってくれていた。
「赤ちゃんがえり」をしない子もいると聞いたことがあったので、モモもそのタイプかもしれない、余裕の育児ができるかも、とも思っていた。
しかし、半月が過ぎたぐらいから、みるみる様子が変わり始めた。
モモが、とにかくダメだということをする。赤ちゃんの周りで飛んだり跳ねたりする。ご飯を食べない、泣きわめく、遅くまで寝ない。
全てが裏目に出始めた。
特に、夜が苦痛だった。
赤ちゃんにおっぱいをあげながら寝かしつけている時に限って邪魔をしてくる。
最初は優しく、「ちょっと待っててね」となだめても上手くいかず、だんだん語調が強くなり、怒り散らしてしまう。
寝ている時にモモと肌が触れることにさえイライラするようになってきていた。
うるさい。
いやだ。
どこかに行って欲しい。
あんなに可愛かったモモに対してそう思うようになっていた。
どうしてだろう。
以前は、いつもくっついて寝ていたのに。
あんなに可愛く愛おしかったのに。
私は、モモが可愛くない。
モモが悪くないのはわかっている。
「今日は、今日こそは笑顔でいよう。落ち着いてモモと向き合おう」
朝一番に心に誓っても、守れる日などなかった。
この鉛のように重い「可愛くない」と思う感情をどうしていいか分からなかった。
旦那さんや両親に相談したら、モモをかわいそうだと心を痛めると思い、相談もできなかった。
いや、本当は自分が、愛情のない母親だと言われるのが嫌だったのかも知れない。私は、表向きは、ちゃんと愛情いっぱいの育児ができてるように装っていた。
ある夜も、散々言い合いをした挙句に眠ってしまったモモの寝顔を見て、自己嫌悪に落ちていた。
この寝顔をずっと抱きしめて寝ていたのに、どうして今はできないのだろう。
赤ちゃんのことは愛おしく思えるのに、どうしてお姉ちゃんになったモモを可愛いと思えないのだろう。
私はどうしてしまったのだろう。
『上の子 可愛くない』
こんなこと思う母親はいないだろうし、私はもしかしたら精神的な虐待をしているのかも知れない。
『上の子 可愛くない』
眠れず、インターネットで検索をしてみた。
こんなキーワードでヒットする内容は、恐ろしいものだと思っていた。
すると、拍子抜けするほど、多くの普通の育児サイトにヒットした。
『上の子可愛くない症候群』
まさに自分と同じような体験をしているお母さんがたくさんいた。
原因は、やはり上の子の自我の目覚めや寂しさであったり、産後の母体のホルモンバランスの変化の影響であったり。
『時間が経てば必ず解決します。愛がない母親だと自分を責めないようにしましょう』
時間が経てば……、どのくらいの時間が必要なのだろう。
私は、今すぐにでもモモへの愛情を取り戻したい、そう強く思いながらも、やはり愛せない日々を過ごし続けていた。
「ちょっと赤ちゃんの顔見に来たよー」
ある日、モモが保育園に行っている間に母が突然訪ねてきた。
モモとうまくいかなくなってから、あまり実家にも遊びにいかなくなっていた。母は何かを案じてはいるのだろう。
しかし、母はモモのことには何も触れず、ただ、赤ちゃんと遊び、家事を手伝ってくれただけだった。
「あらー。あんたまだこのパンツ履いてるの? 辛抱してるねー」
山盛りになっていた洗濯物の中から私の年代物のパンツをつまみあげる。
母が覚えているぐらいだからまだ実家に住んでいた頃、15年以上前から私の下半身を守り続けてくれていたパンツだ。
「あんた、なんでも自分で勝手に決めてたけど、下着だけはお母さん任せだったよねー」
そう。進学も就職も引っ越しも結婚も全て相談せずに、事後報告で決めてきた。
いいや、そうできる土壌を両親が作ってくれていた。そもそも、反対意見に耳を貸すような素直な娘ではなかった。
でも、なぜか、下着を買いに行くのは、Hな本を見る以上に恥ずかしく感じ、自分で買いに行くことができなかった。これだけは母任せ。
大人になってからも、女としての勝負どころに必要な下着も揃えないといけなかったが、やはり店頭に行くことが恥ずかしく、勇気を出して購入した数回も通販。
だから購入頻度もかなり少なく、いつまでも同じ下着をヘトヘトになるまで愛用していた。
「モモのパンツも、もう小さくなってるんじゃない?」
そういえば、最近よくお尻の辺りをもぞもぞしていた。
私は、その仕草にもイライラしてしまい、「やめなさい」とだけ言い放ち、なぜモゾモゾしているのかも考えていなかった。
「じゃあ、帰るね」
母は、ちゃちゃっと洗濯物をたたみ終えると、帰り支度を始めた。
「あと、これヒマな時に読んで。モモは元気な子だから今は大変かもしれないけど、のびのびさせてあげなさいね」
「……」
やっぱり母は、心配して来てくれたんだ。
でも、私は、今、モモをのびのびと育てる方法が分からない。できない。
母に「大丈夫よ」とも「うん」とも返事をすることができず、ただ、母が持ってきてくれた数冊の育児書を黙って受け取るだけだった。
「モモはモモ。あんたはあんたよ」
「……?」
「親子でも女同士。人間同士なんだから」
「……!」
モモを可愛くない、と思っていた灰色の闇に少し光が差した気がした。
「新しいパンツ買いなさい」
そう言い残し、母はさっさと帰って行った。
「モモはモモ。あんたはあんたよ」
母が照らしてくれた光の効果は絶大だった。
私は、自分の中に、突破口が見え始めた。
「上の子可愛くない症候群」の正体は「上の子だからお母さんの気持ち分かってよ症候群」だったのだ、と。
まず、決めたこと。
『モモを1人の女性として接する』
それは、隣人に笑顔で挨拶をするように丁寧に配慮をもって。
お客様と商談をするときのように慎重に心を込めて。
「私の娘」と、位置付けているうちは、どこか娘をコントロールしようとする力が作用している。
「〜しなさい」という言葉にも違和感を覚えるようになった。
危ないことは伝えないといけないが、「早くしなさい」「こうしなさい」など、ほとんどの「〜しなさい」が大人の都合だ。
今まで親の言うことなんて聞かずに生きてきた私が、偉そうに4歳の女性に対して指示をするなんておかしな話しだ。
私もモモも1人の女。この距離感で接していこう。
突破口が見えてきた私は、明らかな行動に移そうと、1つのミッションを企てた。
その夜、保育園から帰ってきたモモに提案した。
「明日、一緒にパンツ買いに行こう」
「ふたりで? お母しゃんとモモと?」
「うん」
「じゃあね、モモがお母しゃんのパンツえらぶね。あ、ブラジャーもね」
「わかった! じゃあ、モモのパンツはお母さんが選ぶね」
「うん!」
下着売り場は大の苦手だ。できれば行きたくない。
でも、この壁を超えたら、モモと女同士で楽しむことができたら、また何かが開けるような気がした。
その夜は、明日のパンツ選びにワクワクする、穏やかで楽しい寝室だった。
「きめたよー。お母しゃんのブラジャーとパンツこれね」
アンパンマンのショッピングカートに乗りながら、真剣に品定めしていたモモが私のパンツとブラジャーを選び終えた。
とっても、いや、超ラブリーなタイプだった。フリフリがたっぷりついたピンク。
しかも、今時のデザインなのかパンツがとても小さく、私のお尻がおさまらない気がした。
これは20代前半のフェミニン系の女子向けではないだろうか。
とっさに「もっと地味なので」と言いたくなったが、ここでまたモモの気持ちをコントロールしてしまっては今日のミッションは失敗だ。
モモの感性と一生懸命に選んでくれた気持ちを尊重しようと思い「ありがとう」と受け取った。いい機会だ。小尻も目指してみよう。
モモには、モモが好きなキャラクターものではなく、大人っぽい花柄のデザインを選んだ。いつもなら「プリキュアがいい」とか「お姫様がいい」とか駄々をこねる。でも、この時は一切そんなことは言わなかった。あまりにもあっさりと花柄のパンツを受けとってくれた。
モモが幼児用のアンパンマンのショッピングカートに乗っている以外は、女同士の楽しい買い物だった。
モモはこんなにしっかりした女性だったのだと、とても頼もしく美しく感じた。
ミッションは成功した。
理想の中で自分は優しくて穏やかなお母さんになれると思っていた。
でも、実際にお母さんになったら怒ってばかりだった。
いろんな育児論にも右往左往し、「お母さん」ってどうあるべきだろうと悩んだ。
情報やヒントは本の中にもSNSの中にたくさんあった。
しかし答えは自分で見つけないといけない。
今回、産後に襲ってきた出来事から、母親の私がまずモモから自立していくことを決めた。
もし、どこかで「上の子可愛くない」という気持ちに苦しんでいるお母さんがどこかにいたら、少しだけ視点を外してリラックスしてほしい。
SNSで炎上した育児論争に影響されなくてもいい。関係ない。
お母さんとお子さんのことなのだ。お母さんとお子さんのペースで、ゆっくりと2人にとって良い距離を見つけてほしい。
そういう私が正しいわけでもない。
ただ、娘のモモを愛しいと思う気持ちは、間違いなく脈々と私の心の川を流れている。
でも、この川をモモは泳がない。
モモはモモの川を泳いでいくのだ。
家に帰り、お互いの下着を早速着てみた。
ピンクのフリフリパンツからはみ出た私のお尻を見てモモが言う。
「お母しゃん、ダイエットしておしり小さくしないとねー」
本当に、モモはしっかりしている。
「わかってるよ!」
37歳の私は4歳のモモに対してむきになっていた。
あふれたあなたへの愛もお尻のお肉もちゃんと整えるわよ!
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