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友達へのマウンティングは、孤独の放棄だ


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記事:ユウキビート(ライティング・ゼミ平日コース)

 
 
またやってしまった……。
煮込みハンバーグといっしょに自己嫌悪をビールで流し込む。後味はよくない。
「語り癖」は一定のラインを超えるとハラスメントになる。そしてそれは「マウンティング」である。友達へのマウンティングは、孤独の放棄だ。僕は「悪い癖」を何回繰り返せば気がすむのだろう。
 
ある日の昼休みにかかってきた親友からの電話。
いつもの雑談はいつものように心地よく滞りなく行き交い、お互いの気分は晴れ空のまま終盤へと流れてゆく。
 
雲行きを変えてしまうのはいつも僕の方。
そろそろ話題も尽きたので最近読んで面白かった漫画をささやかにおすすめしてこの日のトークを結ぶはずだった。
 
「そういえば最近読んだ『僕達がやりました』と『BEASTERS』、めちゃくちゃヤバい作品だった! 本当におすすめだよ」
「へえ、はじめて聞いた。そんなに面白いんだ?」
友人は僕の唐突なパスにも自然なリアクションを返してくれた。
 
このあたりで僕の悪い癖が顔を出す。もはや発作といえる「人に良いものをおすすめしたい病」である。僕は自分が良いと思った本や映画、音楽などを過剰におすすめしたくなる、という病の患者なのだ。
 
良いものを薦めたいという感覚は誰もが抱くものと思うが、僕の場合スイッチが入ると行き過ぎてしまうことがある。おすすめするだけにとどまらず、作品の魅力や考察結果、うんちくを延々語ってしまうのだ。
 
この日も「『僕達がやりました』の作者は他にこんな漫画を描いてるんだけど……」やら「BEASTERSは人間が登場しない作品なんだけど、表現しているのは人間の性なんだよ」などと、時間にしておそらく10分以上は語りまくってしまったはずだ。口調は得意気、顔面はドヤ顔の3乗みたいな表情をしていたことだろう。
「ずっと俺のターン」状態である。
 
会話はキャッチボールというが、このとき僕は春のキャンプで投げ込みを行うピッチャーと化していた。たとえ善意で行ったとしても、節度を守らない押し付けは「おすすめハラスメント」になってしまう。レコメンドハラスメント、略してレコハラだ。
 
いやネーミングはどうでもいい。とにかく行き過ぎた語り癖はよくない。とくに友達に行うそれは、彼を疲弊させてしまう。
 
友達の定義はすごく曖昧だ。
本音を打ち明けられる相手。刺激をくれる存在。尊敬する対象。SNSでフォローしあう関係。
千差万別、人の数だけ答えはあるだろう。
僕の場合は「マウンティングのない間柄」が友達の定義である。
マウンティング。最近よく見聞きするワードだ。僕はこの言葉を「自分が上だと主張するため、またはイニシアチブを握るために行う順位付け」と解釈している。もともとは動物同士が群れのなかで行うものだが、人間社会も主張と序列の嵐なので言い得て妙な表現だと思う。
 
人は自分を大きく見せるため、あるいは他者をコントロールするため、主張の賛同者を増やすためにマウンティングする。仕事の自慢、ビッグネームとの繋がり、異性関係の充実度、昔の武勇伝などなど。自分は優秀で、あなたより優れていると意図的に誇示する分かりやすいものから、無意識かつ遠回しなものまである。
 
競争社会の産物なのか、生物の本能に根ざしたものなのか、正体は掴みきれないがとにかくマウンティングは厄介なもの。社会にはびこる「ギスギス感」を生む元凶はマウンティングである、というのが僕の持論だ。
 
そして友達に対する過剰な「おすすめハラスメント」もマウンティングのひとつだと思うのである。関心のあることだけでも情報が溢れかえっているこの時代に、聞かれてもないのにさらなる情報を注ぐなんて、かなりめんどくさいマウンティングだ。
10分間おすすめ漫画の魅力をまくし立てられても、「読んでみるよ」以外に逃げ道がない。
 
友達の定義を自分で壊してどうする。
 
なぜマウンティングのない関係性が友達の定義なのかといえば、友達は競争相手じゃないからだ。競争相手だらけのこの世界で、疲れを癒しあい高めあえる、野戦病院みたいな存在が僕にとっての友達なのだ。
 
競争しないためには価値観の尊重が不可欠だ。
32歳ともなると、自分が孤独であることを再認識する。孤独にはネガティブな響きもあるが、「個性」や「世界観」につながるクリエイティブな部屋でもある。
 
10代のときはその部屋に鍵をかけて目を背け、「分かり合えること」ばかりを近くの人たちと共有してつながりを感じようとしていた。けれどいまは互いが抱える「分かり合えない寂しさ」を無言で尊重しあうような、そんな関係性に憧れている。
たくさんのパーティーピープルに囲まれて楽しそうに笑う人も、寡黙で職人カタギな人も、家庭を持っていてもシェアハウスで暮らしていても、一様に孤独を飼っている。だからこそ孤独は全ての大人の共通言語になり得るもので、自他の孤独を尊重すべきだと思うのだ。
 
孤独を見つめ、孤独を愛し、孤独を飼い慣らし、誰かの孤独を想像する。そんなナイスミドルになりたいからこそ、友達へのマウンティングは禁忌なのだ。
 
無理矢理部屋に招き入れて、相手の孤独に自分の孤独をねじ込むのと変わらない野蛮な行為。
友達へのマウンティングは、孤独の放棄だ。孤独を放棄しても孤独は埋まらない。
 
そのあとしばらくして友達からLINEがきた。
「漫画読んだよ! 確かにめちゃくちゃ面白かった。止まらなくなった!」
 
些細なことで悶々としていたところに、優しさが沁みていく。
 
なんて返そうかな。
 
「孤独を放棄してごめんね」
……絶対違う。気持ちが悪い。
 
僕は複雑な心境をビールで流し込み、しばらく考えた末に無難な内容を打ち込んで返信した。
 
 
***

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2018-02-17 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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