プロフェッショナル・ゼミ

あなたとは違う生き方《プロフェッショナル・ゼミ》


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記事:河原千恵子(ライティングゼミ・プロフェッショナルコース)

つい先日、伯父のお通夜に出席した。伯父は私の伯母の夫で私と血のつながりはないが、伯母の家に遊びに行くといつも穏やかに迎えてくれた。口数は少ないけれど、常にニコニコして、ゆったりとソファにすわっていた和服姿をよく覚えている。

お焼香をすませ、通夜ぶるまいの席で親戚と話している最中に、私はふと最後に伯父に会ったときのことを思い出した。
もう15年くらい前のことになる。
伯父の家に行くのは久しぶりだった。当時私は離婚してまだまもなく、6歳の娘と二人暮らしを始めたばかりで、とても心細い思いをしていた。
伯父の家は海のそばにあるので、海を見せれば少しは気晴らしになるかと思い、娘を連れて砂浜に行った。伯父もついてきてくれた。
砂浜を歩いているうちに、私は突然方足がつってしまった。砂浜に片ひざをついて治るのを待とうとしたが、今度はもう片方もつってしまった。私は両手を砂について、這いつくばった。

怖かった。

足がつるなんて、たいしたことじゃない。
それはわかっていたけれど、私にとってそのとき、地面に這いつくばって立ち上がれないという状況が、進退窮まった自分の人生を象徴しているように感じられたのかもしれない。
少し先を一人で歩いていた娘が振り返った。
こんな格好をしていたら、娘が心配する。母親のこんな姿を見せたら、心細いだろう。
そう思い、手をついたまま、私はわざと「立てなくなっちゃった」と言って笑った。
ふざけたつもりだったのに、娘の顔がくもった。
「しまった」と思ったとき、少し後ろからついてきていた伯父がのんびりと「どうしたの?」と声をかけてくれた。
「足がつっちゃったんです」と言うと、伯父は落ち着いた口調で「足の甲を持って伸ばすといいよ」と教えてくれた。
言われた通りに足の甲をギュッと伸ばすと、まず片足のつったのが治り、すぐにもう片方も治って、私は立ち上がった。
覚えているのはそれだけだ。短い会話だったし、特に劇的なことがあったわけではないのに、なぜこのやりとりが深く心に残っていた。
思い出すたびに、ふと、泣きそうな気持になるのが、ずっと不思議だった。
けれども、お通夜の席で伯父の棺のそばで話しているとき、私はその理由に思い当たった。
あのとき伯父は、私が精神的にも立ち上がるきっかけを作ってくれたのだと。おそらく伯父自身も意識しないままに。

私は足がつったときのエピソードを(伯父の子である)いとこに話そうかと思った。
でも結局話さなかった。

あの日、あの砂浜に満ちていた午後の光や、穏やかな風や海水の冷たさ、私の心細さや不安、這いつくばった私を、特に心配そうにでもなく当たり前に話しかけてくれた伯父の声。全部が、私の記憶のなかで短編映画のように構成されていて、どれかひとつの断片だけを切り取っても、うまく伝えられない気がしたから。
そしてまた、よくわかっていたから。
このお通夜の席に集う一人一人の心のなかに、その人のとっての伯父がいるのだと。

人はみな様々な顔を持っている。
相手との関係性によって、その顔を使い分ける。あるときは意識的に、あるときは無意識に。たとえ家族やパートナーであろうと、一人の人のすべての顔を知ることなど誰もできないし、たぶんその必要もない。

この1月に、82歳になった母をホームに入れた。
家族の顔はちゃんとわかるけれども、加齢性の認知症がすすんだ母は、もうかつての母ではない。
面会に行くと、母は日当たりのよい広いダイニングルームの椅子にすわり、お習字や計算をしていることが多い。私の顔を見ると「よく来たわね」と笑い、他の入居者に「二女です」と紹介してくれる。
ときどきトンチンカンになって成立しない会話も、どこかユーモラスで楽しい。

でも、今になって思う。
私は母のことを何も知らない。母が本当は何を思い、何を夢見て、何を望んで生きてきたのか。
私が知っていた母の顔は「世話をしてくれる人」の顔だった。ご飯を作ってもらうのも、洗濯をしてもらうのも、掃除をしてもらうのも当たり前だった。
結婚してからも、出産のときも実家に居候し、子供もしょっちゅう預かってもらった。
いくつになっても母はどこか心理的に「甘える」相手だった。
そうして気がつくと、いつのまにか年を取った母は、今度は「世話の焼ける人」の顔になっていた。
だから母を一人の人として見た記憶があまりない。

こんなことを思い出す。
中学生のころだったろうか。学校で友人関係に悩んでいた私は、掃除機をかけている母のそばで「私も早く結婚したいなー。結婚したらずっとうちにいられるのに」と何気なく言った。すると突然「主婦が楽だと思ったら大間違いよ」と、ものすごい剣幕で言われたのだ。母は穏やかで、あまり怒らない人だった。その母が怒ったのでビックリしたのが印象に残っている。

当時、母は同じマンションの別の部屋に住む姑(私の祖母)に朝昼晩と食事を作って持っていっていた。介護ではない。祖母はまだとても元気で、祖母宅にはキッチンもあり、家政婦さんまで雇っていた。その気になれば家政婦さんに買ってきてもらうとか、作ってもらうとかもできたはずなのに、潔癖症の祖母は「家政婦には掃除に専念してもらいたい、キッチンを汚されるのはいやだからママ(私の母)の家で料理は作ってきてもらいたい、昼は家政婦さんの分まで二人分持ってきてほしい」と譲らなかった。

母は何年もほぼ毎日、朝昼晩(昼は二人分)食事を用意して運ぶという仕事をしていたのだ。祖母の食事があるからと自分のお稽古事や友人付き合いも制限し、やむをえない用事で出かけるときも、気を遣ってあらかじめ作って届けたり、出前の手配をしたりしていた。そんな母に向かって「主婦は気楽でうらやましい」的な発言をしたら、切れられるのは当然だ。
そんなこともわからないくらい、私は母の気持ちに無関心だった。

母はそれでも文句を言わなかった。「誰も私の気持ちをわかってくれない」とか「感謝してくれない」などと言ったこともない。
いつも私や姉を気遣い、温かくしなさいとか、気を付けて帰りなさいとか、人のことばかり心配していた。
母は自分の人生に、満足していたのだろうか。
何かほかに、自分のためにやりたいことはなかったのだろうか。

そういえば母は、常に向上心を持っていた。
70歳を過ぎてから運転免許を取ったし、テレビで新しいレシピを見ると熱心にメモを取って挑戦していた。英会話ができるようになって、海外旅行に行きたいと、英語の通信教育の教材を買ったりもしていた。
もうすこし若いうちに、もっとあちこち一緒に旅行すればよかった。
海外にも、連れて行ってあげたかった。
どうしてもっと積極的に誘わなかったんだろう。自分の忙しさを言い訳にして、いつか時間ができたらヨーロッパに行こうね、などと夢物語のように話していたけど、もう無理だ……。

待てよ。
感傷的になった私の脳裏に、手厳しい娘の一言が浮かんだ。
やはり娘が中学生のころだ。
「私はママのような生き方はしない」
前後の話の文脈は覚えていないけれども、おそらく離婚したことや、実家の世話になっていたことを指していたのだと思う。
それとも整理整頓のできない性質や、仕事を始めても長続きしないダメなところだろうか。
なんにしてもショックだった。
自分の生き方全般を否定されたような気がした。

アンタにアタシの何がわかるのさ。

そう思った。
でも、わかるはずなんか、ない。
娘に母親の気持ちなんか、わかるわけがないのだ。
生まれた時代も家庭の状況も違う。
顔かたちも体つきも体質も違う。
通った学校も先生も友達も、興味も性格も、みんなみんな違う。

共通点といえば、女であることくらい?

同じように、私にも娘の気持ちなんかわからない。本当は何を考えているのか。親子だってそういう意味ではまったくの他人なのだ。

しかし、そもそも私は、娘に自分を理解してほしいのだろうか?
ノーである。
理解してほしいなんて、みじんも思っていない。
そう気づいたとき、笑えてきた。
母親に興味なんかなくたっていい。もちろん、適度に優しくはしてほしいけど、関心なんか持たなくていい。
何を思って生きてきたか、生きているか、何を望み、何を恐れて生きているか。
そんなこと、娘に知ってほしいなんて思わない。
むしろ、自分自身の気持ちや本当の望みを大切にしてほしい。そして自分につながる人々に心を開いていってほしい。振り返らずに進んでほしい。それをただ応援したい。
私がそう思うのはきっと、母もそうだったからだ。
母は私の生き方にほとんど口を出すことはなかったし、自分の考えを押しつけることもなかった。
母はおそらく、子供が自分とは違う生き方をしてもかまわないと思っていたのだろう。そして黙って応援してくれていた。ならば私が母に対して罪悪感を抱くのは、彼女の本意ではない。

生物としての私たちは、生まれ落ちた環境に、より適応するように変化していく。
時代ごとに、環境は変わる。
親世代の生き方は、子供にとってはとっくに時代遅れだ。「あなたのような生き方はしない」という娘の言葉は何の宣言でもなく、ただ事実を述べたにすぎない。

先日参加した天狼院書店のリーディングの講義で、講師の三浦さんは基本的な本の読み方を教えてくれた後で、最終的にはその手法にアレンジを加えて、自分なりの読み方を編み出すことが必要だという趣旨のことをおっしゃった。
思えば今まで出会った一流といわれる先生方はみな、基本を押さえたうえで、自分に合うやり方を見つけなさいと言っていた。

生き方も同じなのだろう。どんなに素晴らしいメンターに出会ったとしても、結局はすべて自分で模索しながら見つけていくしかない。運転席にすわれるのは、自分だけなのだ。

母、私、そして娘。
私たちの生き方は確かに違う。
だけど、どれひとつ間違ってはいない。
今を生きる自分にとってより心地よい、人生の目的にかなった生き方を、私は今日も模索している。

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