向井太一という色気のかたまりのような男について
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記事:本木あさ美(ライティング・ゼミライトコース)
私は一瞬で、その男に心を明け渡してしまった。
懐疑心や警戒心を取り繕う間もないまま、魅了されてしまった。
私は、色気のかたまりのような男に出会った。
普段は聞くことのないラジオを、その日はたまたまBGM代わりにしていた。年末が近かったこともあり、部屋の片付けに追われていた私は、何もないよりはマシだろうというくらいの感覚で聞き流していた。
番組MCの二人は、どちらも歌手なのだろうか。今年最後の放送だと言って、1年を振り返って印象に残ったシーンや、自分の歌手活動について話していた。トークが終わると別のスタジオからライブがはじまった。歌い出したのは、初めて聞く名前のシンガーソングライターだった。
趣味に合わない曲なら切ってしまおうと思い、私はラジオに手を伸ばした。
しかし、曲がはじまった瞬間、その手は止まった。
私は、鳥肌が立った。
音楽を聞いてこんな不思議な感覚を抱いたのは初めてだった。確かに歌詞があるのに、言葉がそこにあるように感じなかったのだ。私の目の前には一瞬のうちに、実直で荒削りな熱量にリードされる時間と空間が広がった。
静かなイントロは、他の誰にも知られない二人の時間のはじまりを告げる、扉が閉まる音を思わせた。
しっとりと絡みつくような歌声は耳元で囁いているようだった。それでいて、夕焼けにも似た優しさもあれば、身を委ねたくなる包容力も感じられた。
はじめの淡々としたメロディーは、会えなかった時間を埋めるように、腕の中の相手の体温を感じている二人が眼に浮かぶようだった。ただ一緒にいられること、となりで過ごせること、この世にこれ以上の幸福があるのかと言わんばかりの、純粋な好意がそこにはあった。駆け引きも打算も、影さえ感じられなかった。
じれったいほどゆっくりと、曲のボルテージは上がっていく。それに伴って加速する息遣いや上がっていく体温、相手に聞こえそうなくらい大きくなっていく鼓動が連想され、自分までドキドキしていることに気づいた。
曲は徐々に盛り上がり、ぶしつけなまでの感情が現れる。その感情は好意であることは間違いないのだが、それだけではないように思えた。独占欲、所有欲、あるいは、こんなに好きなのに同化できない、自分以外の何者かであることへの苛立ちさえ感じられた。いずれにしても、ゾクゾクするほどピュアな気持ちであるので、聞いているだけで胸が苦しくなってしまった。心を占拠されそうなままクライマックスを迎えると、その熱量に飲み込まれ、一瞬すべてを見失ったような感覚を覚えた。
そして、自分と外界が溶け合っているような心地よさと、これ以上ない幸福感という余韻を残して、この曲は静かに終わりを迎えた。
私はまだ、まどろみの中にいた。
これは、向井太一の「君にキスして」という曲だった。
たった数分の間に魅了され、熱量に飲み込まれ、心地よいまどろみの中にひとり取り残されてしまった……
向井太一というひとは、色気のかたまりのようなひとだと思った。
こんな曲がこの世に存在するなんて、未だに信じられない。
少し聞いただけでは、よくあるラブソングと同じだと思われるかもしれない。確かに、男性から女性に向けられた愛情たっぷりの曲はたくさんある。聞くだけで、幸せな満たされた気持ちにさせてくれる音楽は数え切れないほどあるのだ。
でもこの曲は、それだけでは終わらなかった。他の曲とは決定的に違っていた。
イントロから曲が終わった後の余韻に至るまで、心の奥底で眠り続けていた本性が、呼び覚まされるような感覚があるのだ。
そう。
この曲は、女の本来の姿を思い出させてくれるのである。
以前読んだ本に、こう書かれていた。
「女性の本来の状態は、大海原のような至福だ」
私たちはみな、至福から生まれた。頭ごなしに否定しようが、どれだけ年齢を重ねようが、これは変えようのない事実である。
それなのに、私たちは日々の生活の中でこんなことを思い出すことなどほとんどない。利益を上げるために精を出し、納期に追われ、職場と家の往復で疲れ果て、倒れるように眠り込む……ただルーティンをこなす生活を繰り返す中で、自分が女であることさえ忘れていくことも少なくない。
それでも本質は変わらない。すべての女は命の根底に、溢れるほどの幸福感をたたえているのである。
そしてそこに還らせてくれるものがあるとすれば、手当たり次第の欲望でもなく、むず痒いほどの美辞麗句でもなく、泣きたいくらいに愚直な熱量だけである。
この曲は、一切の無駄を省いた静寂の中で、実直で荒削りなほどの情熱だけで、本質を隠していたすべての暗がりを洗い流し、本来の姿を思い出させてくれるのだ。
ただ、たゆたうような至福に還ること。
女にとってこれ以上の幸せがあるだろうか。
「君にキスして」
この曲はすべての女を、飛躍的に美しくしてくれるに違いない。
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