メディアグランプリ

肺に穴空いたら大声で笑えるようになった話


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【4月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:草戸 コウ(ライティング・ゼミ平日コース)

 
 
「おう、ボウズ、おまえは何しにこんなとこおるとや」
 
声は向かいのベッドからだった。まわりのベッドには白髪混じりの男性ばかりだったので、すぐに自分に向けられている言葉だと分かった。「ボウズ」などと呼ばれるとしたら、まもなく高校の卒業式を迎える予定の僕しかいなかった。
 
「はい?」と気の抜けた返事をした僕に、真正面にこちらに視線を向ける無精髭を生やしたオジサンは、週刊誌を片手に質問を繰り返した。
 
「だから、何でボウズみたいな若いのが入院なんかしとるんか聞きよるったい」
 
3月頭の昼下がり、南向きの窓辺で向かい合ったベッドで陽の光だけで照らされた真っ白な病室は、なんだか現実離れした感じがしていた。
 
「あぁ……肺に穴が空いてるんですよ……」
 
まだ受け止めきれていない事実を、今日知り合ったばかりの相手に答えていた。
 
「おぉ! そうか俺も同じばい! 肋骨が折れとるんよ!」
 
全然違いますよ、と言いたかったが、オジサンにとっては似たようなものだというのが、ガハハ、という豪快な笑いと一緒に伝わってきた。この人と話すの苦手だな、と思ったのを覚えている。
 
オジサンには笑い飛ばされてしまったが、肺に穴が空いているのは大げさに言っているのではなく、僕はこのときハイキキョウ(肺気胸)というものを発症していた。実際に肺の一部に穴が空いた状態で、肺から身体のなかに漏れた空気が逃げ場もなく延々と溜まり、心臓を圧迫して死に至ることもあるのだそうだ。そんな危うい状況から溜まった空気を体から抜く手術をして、一命を取り留めて一夜明かした僕は、たまたま同室になったオジサンに絡まれているというわけだ。
 
正直なところ死んでしまってもいいような気持ちでいた。第一志望の大学に不合格となり、滑り止めで合格した見知らぬ土地の大学へ行くことが決まっていたからだ。屈辱と不安で押しつぶされてしまいたかった。
 
地元でも有名な進学校で3年間、ひたすら受験勉強漬けで三度の飯も寝る間も惜しんで勉強をしたというのに、周りは志望校へ進学し、自分だけが受験に失敗したのだ。大学には受かっているのだから失敗ではない、という声もかけられたのだが、それは当時の僕にとって、進学校特有の有名大学の合格実績を求められるあの空気では、まったく救いにならなかったのだ。そうしてそれまで勉強のことしか考えていなかったわけなので、全ての試験が終わり、あとは卒業式を待つだけの燃えカスになった僕に、トドメを刺すように肺気胸を発症したのだ。
 
あぁ……もうどうでもいい。何も考えたくないな、という僕の想いが顔に出ていたせいなのかどうか分からないが、オジサンが窓の外を見ながら声を掛けてきた。入院して二日が経っていた。
 
「ボウズ、今いくつね?」
 
「18です。高3です」
 
「カーッ! 高3ね! 今からもっと楽しくなるばい!」
 
そうなんですか? と僕はオジサンの勢いに無意識に飲まれていた。
 
「そーやろうもん。4月から大学行くんか、働くんか知らんけど、どっちにしたってこれからゼッタイ面白いヤツに出会うとぜ。楽しみやろーが!」
 
オジサンの真意は分からなかったのだが、生きてればこれから良いことあるよ、ということなのだろうと脳内変換していた。と同時に、オジサンはやっぱり僕の全力で不安そうな顔を見て心配していたのだ、と気づかされた。それをきっかけに勝手に作っていたオジサンへの心の壁はなくなっていった。
 
それからというもの、暇を持て余すしかない入院生活で、オジサンとは僕のことについて色々な相談をするようになった。
 
4月には地方の大学に通い始めること、まったく知らない土地なので不安で仕方ないこと、将来どんな仕事をするか決まってないのに何しに大学で勉強を続けていけばいいのか分からなくなっていること……とにかくとりとめのない話ばかりしていた。
 
そんななかオジサンの返事で印象に残っているものがある。
 
「今のボウズのソレが楽しくなるったい」
 
「どういうことですか?」
 
もうオジサンのペースに慣れているので、素直に聞き返していた。
 
「いま一生懸命ボウズは考えよろうが。それはな、新しいことが分かる直前まで来とるってことたい。いままで勉強頑張ってきたから知らんかったこといっぱい覚えたとやろう? だけん今も同じち思わんね。一生懸命になるってことは、知らんかったことに出会う連続ぜ」
 
いま自分が一生懸命である、と言われたことにも驚いたが、ぼくが苦しいと思っていた勉強にこそ楽しむヒントがあることはまったく考えてもみなかった。これから先、そんな楽しい出会いがあるのかオジサンに言われてもピンとこなかったのだが、これまでやってきた勉強で、たしかに自分は多くのことを知った。これから進もうとしている大学を受けるときに選んだ英語学科もそうだ。英語がわかると、ジョンレノンが世界に向けて何を歌っているのかわかるのだ。それだけで英語を習い始めた僕には衝撃だった。が、オジサンのその話を聞くまで、その思い出をすっかり忘れてしまっていた。自分が出会ったこれまでのことが「苦しい」に埋もれていた……。
 
 
そのオジサンの話を聞いた翌日には僕は退院し、なんとか高校の卒業式を終えることができた。あの病室では「オジサン」「ボウズ」と呼び合っていたので、お互いの名前を聞いていなかった。だけれども今、大学を卒業し社会人になって仲間と楽しく仕事の話をしているとき、いつのまにか「ガハハ」と笑うようになった自分の声に、どこかで聞いたことあるなぁと思いながら「オジサン」との会話をぼんやりと思い出すのだ。
 
 

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2018-04-19 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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