メディアグランプリ

人の心の傷は癒えない


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記事:橋爪朝寿(ライティング・ゼミライトコース)
 
「あっ、やばい」
 あなたは、心に強いトラウマを持っているだろうか。思い出したくもない過去、誰にも触れてほしくない記憶、時折、思い出してしまう、つらい経験。多かれ少なかれ、ほとんどの人がそういったものを持っている気がする。
「え? なに?」
 母は、突然そう口走った僕を呆気にとられてみていた。僕たちはいつものように兄、母、祖母の四人で食卓を囲んでいた。
 手の震えがひどく震えて、箸を取り落としてしまった。僕は床から転げ落ちるようにして床に座りこみ、体を丸めた。
 「やばい、やばい。なんか怖い」
 「なにが怖いの?」
 戸惑う家族の声が遠く聞こえて、体の感覚が、麻酔を打ったように遠くなっていく。頭をかきむしると、床に髪の毛が数本抜け落ちた。
 それが、最初の発作だった。
 当時19歳で、フリーターだった僕は、怪我の手術による入院によって、職を失っていた。体はまだ思うようには動かず、それでも日々は変わらないスピードで過ぎて、貯金の残高は確実にすり減っていく。そこから生じる焦りが、僕の心と体を蝕んだ。
 後日、病院に行くと、パニック障害と診断された。応急処置で抗うつ剤と、発作が起きた時のための精神安定剤が処方され、治療が始まった。
 その日から、自分が何かそれまでとは別の生き物になってしまったような感覚が芽生えた。思わぬタイミングで自分の奥底から恐怖が沸き上がり、理性を奪っていく。そして、多くのパニック障害の患者に共通することなのだが、カフェインが接種できなくなった。カフェインが脳と体の興奮させて、発作を起こすのだった。それまでほとんどカフェイン依存症で、一日に何杯もコーヒーや紅茶を飲んでいた僕にとって、それは大きなことだった。
 生活のリズムを整えることから始めた。それまでは将来や生活に対する不安でいてもたってもいられず、2時、3時まで起きていたのだが、11時には布団に入るようにした。よく寝るといい、と担当医から言われたのだった。そして、朝起きると、すぐにベランダに出て太陽の光を浴びるようにした。
 突発的な恐怖や、めまいなどの体の不調、ストレスによる抜け毛、またそこから生じるストレスと闘いながら日々を過ごした。朝起きて、近くを散歩したり、本を読んだりして、夜早くに眠る。無職の生活だった。それ自体がストレスだった。
 そんな中で、一つ決めたことがあった。
 大学を受験することを決めたのだった。
 僕は18歳で大きな事故に遭い、進学した専門学校を中退していた。そのころ、その専門学校か、近所の大学に進むか迷っていた。受験することを決めたのは、その大学だった。
 高校は芸術系の高校で、三年生にもなると、普通教科の授業は少なくなっていた。僕はほとんど3年ぶりに、普通教科の勉強を始めた。芸術や、それについての知識は少しながらあったが、普通教科の勉強はからきしだった。
 中学レベルの文系の問題を解くことから初めて、大学の赤本を解き始めた。最初はなんのことやらわからなかった参考書も、一か月、二か月と勉強していくうちに、少しずつ理解できるようになっていった。
 気づくと、初めて発作を起こした夏の日から、半年の時間が経っていた。試験の日は目前だった。
 20歳を目前にした、初めての受験だった。
 赤本で解いた問題も出てきた。それまでの努力は無駄ではなかった。試験を終えると、近くの喫茶店で母と、カフェインレスのコーヒーを飲んだ。半年ぶりに飲むコーヒーだった。
 一週間としないうちに合否は発表された。メールで送られてきたURLに受験番号を入力すると、画面に桜の花が開き、合格の文字が表示された。
 4月から、大学生になることが決まった。
 それから、そこそこに楽しい大学生活を送った。しかし、それでも病気が治ったわけでない。トラウマが癒えたわけではない。今でもしばしば発作は起きるし、人が多く集まるところに来ると息苦しくなる。
 人の心の傷は、きっと簡単に癒えるものではない。おそらく、それを覚えている限り、一生を通して付き合っていくものだろう。僕の病気もきっとそうで、これから先も長く付き合っていくのだろうと思う。
 しかし、それでも、その傷を恥じたり、必要以上に痛がるようなことをしようとは思わないのだ。自分の苦しみを誰かにたれ流したり、自分の病気を必死になって隠そうとすることもしようとは思わない。
 それはもはや、僕は一部なのだ。心臓があるように、僕には傷がある。目と耳があり、顔の形があるように、人には心の傷がある。
 それならば、それはそれとして、堂々としていようと思うのだ。
 人の心の傷が消えることはない。それでも、これが自分の顔なのだ、自分の姿なのだと胸を張って生きることはできる。
 そう思うと、感じてきた苦しみも病も、恥じるべきものではないと思えるのだった。
 
 
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2018-05-11 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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