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たった一人の女性のために作る鯛の蕪蒸し《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:小山 眞司(プロフェッショナル・ゼミ)

料理教室に通いだしてもう10年になる。通い始めた頃は、こんなに長い間続けることになるとは想像していなかった。
きっかけは「だしのとり方を知りたい」という単純な理由だった。洋食などではなく、和食の料理教室を探した。そして、京料理の教室を見つけた。
誤解のないように言っておくが、決して出会いを求めて、などの不純な理由から通っている訳ではない。いや、厳密に言えば、当初は少し不純な動機があったかもしれない。生徒がみんな若い女子で、教室はキラキラしていて、授業の後にみんなで「お茶でもしましょ」という展開に憧れを抱いていたことは否めない。ところが期待に胸を膨らませて通い出してみると、その妄想は脆くも崩れ去った。

10人ほどの生徒の中で男性は一人。

こう聞くと、狙いが当たったように聞こえるが、生徒はみんなベテランの主婦ばかりで、僕が最年少だった。当時40歳の僕が、である。驚愕の事実を目の当たりにして、早々に邪な気持ちを捨て去り、「だしのとり方」を学ぶことに専念すると頭を切り替えた。

いざ始まってみると、唯一の男で最年少ということもあって、周りの生徒全員が僕のことを甘やかしてくれた。料理が出来上がってみんなで食べる時も、「たくさん食べなさい」と大盛りにしてくれた。40歳の僕に向かってである。10代ならともかく、40歳だった僕の食欲は全盛期から比べると陰りをみせていて、あまりに「おかわりは?」などと聞かれると苦しかった。
洗い物も「しなくていいよ」と言ってくれた。以来10年間、一度も洗い物をしたことがない。通い出す前に思っていた「キラキラ感、キャピキャピ感」とはイメージがかけ離れていたが、意外と居心地が良く、結果今でも辞められずにいる。

では、なぜ「だしを取れるようになりたい」と思い立ったのか?
京料理は「だしの文化」といわれるように、多くの料理のベースが「だし」の味で成り立っている。「だしのとり方」さえマスターできれば京料理を会得したも同然だと思った。あながち間違ってはいないが、あり得ないくらい浅はかな考えである。おまけに、その時点で僕は料理がそんなに出来たわけでもない。せいぜいサッポロ一番塩ラーメンを作れるくらいの腕前だった。あっ、あとギリギリでご飯の炊き方くらいは知っていた。その程度の腕前の僕が京料理を学ぶのは、小学生が高校生に混ざってサッカーをするようなものであった。
では、そんな場違いの場所に入ったにもかかわらず、今でも続けられている理由はなんだろうか? 理由は二つある。まず一つ目は、教えてくれる料理の先生だった。

先生はもう70歳近い女性。京料理の先生と聞いてイメージするのは、おそらく着物姿で割烹着を着ていて、物静かにゆったりと話すような、はんなりとした上品なおばあさんだろう。ところがこの先生は全く違った。とにかくよく喋る。料理の作り方の説明中に、すぐ脱線する。ただ、この脱線が実に面白い。

なぜ、サーモンと鮭とマスは呼び名が違うか? 
「さつまいも」は「ヒルガオ科」なのになぜ芋なのか? 

など、ついつい聞きたくなるような興味深い話が多い。
僕はすぐに先生の人柄に魅了された。
全くと言って良いほど料理ができない僕に先生は、包丁の持ち方や切る時の姿勢から教えてくれた。本来は初心者クラスに行くべき僕だったが、先生の特別なはからいで上級者コースにとどまらせてくれた。
初めての授業が終わった時、居残りで特別に「だしのとり方」を教えてくれた。
昆布だしを取った後に、ふわっとカツオを鍋に入れてだしをとる。

「カツオを入れたら絶対沸騰させたらあかんよ」

そう言われながら、先生の横で、「だし」をとってみた。先生も僕の横で一緒に「だし」をとって見せてくれた。
同じ分量、同じタイミング、同じ手順でとったはずが、出来上がりは全く違うものになった。先生の取った「だし」は金色に透き通って美しい輝きをはなっていたのに対し、僕のとった「だし」は茶色に濁っていた。
いや、料理は見栄えじゃない! 味だ! と思いながら味見をしてみると、そこには見た目以上の違いがあった。先生の「だし」はすっきり飲みやすく、それでいて濃厚で、飲んだ後、舌の両側面にいつまでも旨味が残った。
一方僕のとった「だし」は角が立っていて味に雑味が多く、後味も旨味がなく、代わりにエグみと臭みが残った。
僕は圧倒的な差を見せつけられてショックを受け、「よし! 絶対これをマスターしよう!」と心に決めた。
ここでも先生の脱線は健在で、
「京都は軟水だから昆布のだしがとれるけど、東京は硬水で昆布のだしがとれない。だから京料理は、だしの文化になった」
と教えてくれた。

生徒全員が僕を甘やかしてくれたが、先生も例外ではなかった。
教室では毎回京懐石を10品ほど作る。何人かのグループに別れて、協力しながら作るのだが、先生はいつも

「小山くん、この料理はお酒のつまみになるから一人で作ってごらん」

という風に、僕一人だけグループにせず数品をまかせてくれる。毎回僕は1品〜2品京料理のレパートリーが増えていった。
また、料理のレパートリーだけでなく、毎回先生の脱線授業によって料理に関する知識も増えていった。ある日、授業中に先生がいつもの通り、
「京料理を食べに行った時、コースのお品書きの中に「椀もの」と書いてある時と「碗もの」と書いてある時があるでしょ? この違いは何だと思う?」
と問題を出してきた。
言われてみれば、店によって書き方が違う気がするが、そこまで意識をしたことが無い。ところがそこには明確な理由があった。答えは単純に器が塗り物だと「椀」で、陶器だと「碗」と記すらしい。
ふーん、とは思ったが、どうして先生がその話を始めたのかわからなかった。
実は、先生が伝えたかったのはその後である。
京料理では、椀物がいわゆる「メインディッシュ」で、ここが料理人の腕の見せどころらしい。しかも、ちゃんとルールがあると先生は言う。

「椀物は5種類の素材で構成されます」
僕には5種類が何なのか見当がつかなかった。

「まず、動物性のタンパク質が入ります」
これは想像がついた。大抵魚やエビやカニなどが入っている。

「次に『添え』と呼ばれる植物性のもの。松茸などがこれに当たりますね」
そういえば、タケノコなどの野菜がよく入ってるが、たまたまだと思っていた。
魚も野菜も両方なければならないルールが存在するとは知らなかった。

「そして『吸口』と呼ばれる香りのもの、木の芽やゆずなどはこれに当たります」
あぁ、確かに、蓋を開けた時、上にちょこんと乗っている。これもたまたまだと思っていた。欠かしてはならないルールだったとは知らなかった。

「そして『おつゆ』です。おすましや銀あんなど色々種類があります」
これは予想が着いた。「椀物」という限りは「だし」が入っているのは当然である。

「最後に器です」
確かに器が大事なのはぼんやりわかるが、素材の一つとして数えられる理由がこの時点ではわからなかった。しかし、説明を続けて聞くと納得した。

「この5要素を使って季節を表します。この表し方が料理人の腕の見せ所となります」
なるほど。確かに京料理を食べに行くと、煮物を食べる時、蓋を開けた瞬間に「うわぁ、春ですね」とか知らず知らずに言ってしまっている。料理人が表現している季節感が客に伝わっているということだろう。僕は感動を覚え、すぐ誰かに言いたくなった。
先生のウンチクはその後も延々と続いた。
こんな話をするから、10時に教室が始まって、料理を食べだすのがいつも3時過ぎなってしまう。ただ、教室で料理に関するウンチクを学ぶことによって、外食の楽しみが2倍にも3倍にもなった。

そしてある日、ついに僕にもメインディッシュを手がける日がやってくる。
通い出して1年が過ぎた頃、いよいよ椀物を手がけるチャンスがやって来た。その日僕が担当になったのが「鯛の蕪蒸し」だった。これは秋の「松茸と鱧の土瓶蒸し」と並んで、京都の秋から冬にかけての定番料理だ。
作り方はこうだ。
器に昆布を敷き、その上に甘鯛の切り身を並べる。そしてその上に聖護院かぶらを細かく卸して、卵白と銀杏、エビ、百合根、三つ葉を混ぜたものをかけて10分ほど蒸す。蒸しあがったものに葛粉でとろみをつけた銀あんをかけて、上にわさびを置いて出来上がり。
簡単に聞こえるが、実は意外と時間と手間のかかる料理だ。
初めて自分で作った「椀物」を食べてみると、口の中が一気に優しさに包まれたような感覚になった。蒸しあがった鯛も身が柔らかく、銀杏と百合根のほのかな苦味がエビの甘さと良く合い、最後に三つ葉の香りが鼻に抜ける。葛粉でつくる銀あんのとろみは、片栗粉で作ったとろみと違い、とても上品でいつまでも口の中に旨味が残った。底冷えの京都で、体が芯からあたたまる一品だ。
この蕪蒸しを完全にマスターしたことがきっかけで今でも料理教室に通うことになる。これが二つ目にして最大の10年間通い続けている理由だ。

僕には今年97歳になる祖母がいる。彼女は今車椅子での生活を余儀なくされている。和食がとても好きな大正生まれの彼女は、実はもう何年も京料理を食べていなかった。
京都の和食屋さんは、雰囲気も食事の一つという考え方からか、建物自体が古いところが多い。僕達からすれば、古い建物で食べる食事は情緒があって良いものではあるが、車椅子生活の者にとっては少し不便である。建物が古いあまり、バリアフリーであるところが極端に少ないのだ。
特に名の通った料理屋となると、皆無となる。必ず階段や段差がある。決して不可能なわけではないのだが、お店に色々面倒をかけることになるので、どうしても避けてしまう。

「鯛の蕪蒸し」をマスターした日、僕は実家に行って、祖母に作ってあげた。
その時、祖母は涙を流して喜んでくれた。
「おいしい、おいしい。久しぶりにこんな料理を食べることができた」
と車椅子に座りながら泣きながら食べてくれた。
料理に感動したのか、孫に作ってもらったことに感動したのかは定かではないが、あまりに喜んでくれたので、それ以来、料理教室の後は必ず実家に寄ってその日作ったものを祖母に食べてもらっている。毎回彼女も楽しみにしている。今では毎年冬になると、祖母が「また今年も蕪蒸しが食べたい」と言ってくる。
その度僕は彼女に喜んでもらうために蕪蒸しを作る。
彼女が生きつづけるかぎり、彼女の笑顔をみるために、僕は料理教室を辞めるわけに行かない、そして毎冬、「鯛の蕪蒸し」を作り続けることだろう。 ***

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2018-05-24 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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