引きずられるな、引きずれ人生(人名は仮称です)《プロフェッショナル・ゼミ》
*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:近藤頌(プロフェッショナル・ゼミ)
〈就職のことで相談したいことがあります〉
実の父親からメールが届いた時、何かを背負わされる気がして、ぐっと身を構えた。
最後に会ったのは4年前だったか。
4年前。あれは、いい思い出になっている。なにせ、その時まで謎として自分が引きずってきたことを直接聞き納得することができて、そしてもう二度と会う必要もないと思っていたからだ。
時間が経つと、思い出は美化されていく。たまには食事くらいならいいかなと、思う時もあった。実際に母親や兄との中継としての役目を果たしてきた実績に悪い気は起きていなかった。
しかしいざ実際に会おうという連絡が来てみると、しかもその理由が〈就職〉というなにやら重たげな内容ということもあってか、もうこれがまた駄目で早速目の前が粘液じみた歪みでぼやけはじめる。
でもなあ。
この前の母親への中継の時に、重要そうなら対話はしてあげてください、と父親に言ってしまっている。そう言った手前、自分が父親との対話を拒否するのはいかがなものだろうか、とさらに気が重くなる。
仕方がない、と割り切り、空いている日を送り返した。
1週間ほど経って会う日取りが決まった。
やたらと気が重い。
どれだけ父親に対してアレルギーがあるのかを体感することとなった。
そして職場で割と仲の良い下村さんに、ついうっかりそのことを口走ってしまった。そのことというのはつまり、実の父親と明日会う、ということを。
ぼくはただ、今のこの気分の重さが少しでも解消されればとの軽い気持ちだった。そしてただなんとなく、大丈夫、と背中を押してもらいたかったのだ。
そうすれば、父親と会っても取り乱さずに済む。冷静に対処できる。変な感情に流される事もなく、事実だけを追えるはず、と。
ところが、普段のちょっとした仲の良さが凶と出た。
下村さんは、何を思ったのか、ずばずばと、ずけずけと、詳細を事細かに探り出したのだ。
誘導尋問さながら、次々に解き明かされるぼくの過去。下村さんは、若干楽しんでいるように見えた。その調子に、ぼくは乗せられていった。
ぼくも止めておけばいいものを、最初の決壊が起きると投げやりになってしまうようだった。もうとことん話せるところまで話してしまえ。そんな気持ちだった。
だいたいの経緯を話し終えると下村さんは言ったのだった。
「近藤家、マジやばいっすね」
軽い。あまりにも軽いその言葉が、思ってもみない新しい重さをこの身に叩きつけてくれた。
仕事を終え、家に帰ると、いつも以上にぐったりしていた。
いつだったか身に覚えのある重さ。
その昔、中学3年の卒業間際。ぼくは担任の先生に頼んで、1時間、学級活動の時間を分けてもらった。その1時間でぼくは、3年目にしてやっと仲の良くなりかけていたクラスメイト達に、ぼくの経験してきたことを大げさに語り尽くした。1時間では足りなかった。それでもとにかく言っておきたいことを言い尽くした気になっていた。今思えば馬鹿なことをしたと思う。どこぞの悲劇のヒロインですかと嘲りたくなる。
けれど当時は、必要なことだと思っていた。
隣で笑って過ごしている人は、実は何か重いものを引きずって生きているのかもしれない。それを意識できるのとできないのとでは、これからの人との接し方で大きく違いが生まれるかもしれない。確か、そんなことが建前だった。
もちろん根っこは自分の為。自分の気持ちを整理するためにあえてクラスメイトと先生を巻き込んでみたかったのだ。どうして自分だけがひどい目にあっているのか、当時は納得ができなかったのだ。
どうなるのか。楽しみ半分、怖さ半分。
結果としてぼくは、成人した今となっても、そのクラスメイト達との距離を埋めることができなくなってしまった。
同じ過ちは繰り返される。
成人後。小学6年時の友人のいる町への帰郷。久々の飲み会。昔話に咲く花が萎れる瞬間。ぼくはまたしても、昔話に乗じて、話してしまったのだ。どうしてこの町に来ることになったのかの経緯を。
お酒が入ると、どうやら口が軽くなるらしい。
話したあと、やはり、反応は中学の時と同じ。人それぞれだが、それぞれが、同じ。話したあとで、まずいと気づいた。気付いた時には、もう遅かった。
結局それ以来、ぼくは連絡を取らなくなった。もちろんあちらからも、連絡は一切来なくなった。
ぼくにとって、父親が起こした事というのは、重荷以外の何物でもなかった。
人に話せば、その人との関係の歯車が狂い出す、タチの悪いもの。ぼくは、これは人に話さないほうがいいのだと、学習するに至った。
なのにまた、話してしまった。下村さんに。
ちょっと仲が良くなるとすぐこれなのだ。
人と人が仲良くなるために、その人をよく知ろうだなんて大きなお世話なのだ。いや、ひょっとすると、自分は期待していたのかもしれない。過去を知っても変わらずにいてくれる人がいることを。
モヤモヤしたまま目が覚めて、モヤモヤしたまま時間を無駄に過ごす。
待ち合わせの時間と場所はいつでも、どこでもいいというから、東京駅13時を指定した。
いつでも、どこでもいい。ということは、今彼は無職ということだろうか。
なんだかやるせないな、とネットで事前に思い当たるところを調べながら身支度を整える。
服装に、ちょっと困った。
私服で行くのがいいのだろうけれど、何か嫌な予感がした。
戦闘服。そんな意味合いを込めて、いつも出勤で着るワイシャツとスーツパンツをこしらえる。革靴を履いて、いざ出陣。外では湿度の高い空気が出迎えてくれた。
東京駅。約束の場所。
遠い昔、父親とはあまり来たことのない場所を選んだのは、思い出とは無縁のフラットな環境で対話したかったからだろう。
10分前に着いて連絡を取る。
土曜日の昼間だというのに、人の流れは止めどない。
父親の顔は、なんとなく、覚えているけど不安が徐々に押し寄せてくる。
連絡が来た。
改札の外で待っているという。
仕方がない。
外に出て、じっくりと人の顔を見回していく。
どれもこれも、見たことのある気がして困惑した。いない。
日差しのあるところに出る。
不思議なもので、姿は変わっても知っている人というのは、パッと見た瞬間に、そこだけ色が鮮明になっているようで、すぐにわかってしまうのだった。
目の前に立っても、彼は、いまでは少数派のガラケーに目をやり、操作を続けている。
どう声を掛けたものか、3秒ほど迷った挙句、
「お父さん?」
と、口から出て耳に届く前に消え入るはずの小声で発せられた音なのに、彼にはしっかり届いたらしく、バッと顔をあげ、懐かしい顔を、こちらに向けてきた。
あれだけふくよかだった体は痩せ、背も縮んだのか頭ひとつ分ほど、ぼくの方が高い。
そんなことには騙されまいと、ぼくは自分の気持ちを引き締め直して彼と一緒に歩き出した。
彼は、ぼくの近況を色々と聞いてきた。
母親に父親と会うことを事前に連絡した時、母やきょうだいの情報は漏らさないようにと釘を刺されていた。
そのせいだけではないが、ぼくは、あんまり父親と接していたくないのだということを、この時、自覚してしまった。
「何食べたい? 好きなもの選んでいいよ」
食欲は昨日から無い。
蕎麦。こういう時は、蕎麦に限ると思った。
店に入るなり、彼は手の甲を突きつける形で店員さんに2本指を見せつけた。
そういうところが、昔から嫌いだった。
立場や体裁に敏感で、へりくだったり横暴だったりを変幻自在に使いこなすその、器用とでもいえばいいのか、人柄の使い分けが。
ただのざるそばを頼もうとすると、天ぷらとかつけなくて大丈夫かなど、色々と言ってきたが、今回は遠慮しておいた。遠慮という名の壁ではあったが。
蕎麦がきて、やっと本題になるかと思えば、長い話が始まった。
やっぱり、こういうところは血が繋がっているらしいことを実感せざるをえなかった。
ぼくも理解されたかったんだろうな。
ぼくと最後に会った4年前から現在に到るまでの事を話し終えて、そして今、就職活動中だということ。そして今受けている会社に入社するためには、身元保証人が必要で、その保証人になってくれないか、という話だった。
ぼくのあらかじめの予想は当たっていた。
下村さんからは「最悪お金を貸してほしいとかじゃないですかね」と言われていたから、少しホッとした。
ぼくは、サインしてもいいと思っていた。
曲がりなりにも困っているのだし、身元保証人というのはよっぽどのことが無い限りはそこまで責任を追及されることはないということは、調べて知っていたのだ。
ぼくの頬は赤みを取り戻していたと思う。
しかし彼は、まだ話を続けてきた。
束になっている資料は手元に残したまま、一枚だけをぼくに見せつけてきた。
彼曰く、この紙に保証人のサインをするところがないということは、すなわち金銭問題での追求は保証人にはいかないということ。つまりもし何かあっても責任は向かわないから大丈夫だということを、くどくどと説明された。
なんていうか、そういうところなんだよな、お父さん。
ぼくは落胆してしまっていた。
とりあえず言いたいことを言い終わった彼に、資料を全部見せてほしいと頼んでみる。彼の目に、迷いの色が浮かぶ。
半ば渋々手渡されてよくよく読んでみると、目に留まったのは「連帯」という文字だった。
連帯か。
連帯保証人であることと、身元保証人であることとの違いは大きい。
ぼくは素直に言った。それは一言で済んでしまった。
彼は、それでもすんなり受け入れてくれた。それが自分にとっても励ましになってくれた。
連帯。今更、しかもそんなつながり方を誰が望むのだろう。
たぶん彼はわかっていたのだろう。別れる時は、にこやかだった。
ぼくはその足で職場に向かう。
この日は休みなのだが、下村さんは出勤日で、しかもこの日は暇な日だった。
ぼくは、下村さんに何か言ってやりたい気分だった。
ぼくの、大げさに言ってしまえば、人生に興味本位で入り込んできて、笑って散らかしていった下村さんに、何か。
いや本当は、ぼくは下村さんとの友好関係を崩したくなかったのだ。小学6年や中学の級友たちと同じように、このまま過去にとらわれて距離ができてしまうのを避けたいと思った。
だから、職場の事務所に乗り込んでいった。
下村さんは、いた。
靴を脱ぎ捨てて、足を隣の先輩社員の椅子に放り出し、なんとまあグータラな姿態を晒していることか。
ぼくは、「え? どうした?」という声をよそに、どう話を切り出していいか戸惑っていた。戸惑っているうちに、気持ちだけが先行して表に出ようとしているのを察知しそのまま無言でトイレに向かって飛び出してきてしまった。
便座に座りながらシミュレーションする。でもどうシミュレートしたところで結果の予測はできなかった。
とりあえず、結果の報告をとっかかりにしよう。父親と会ってきたことは知っているはずなのだから、そこから話を広げていければ、というはじめの一歩と、下村さんとの関係性再構築を目標として、トイレから射出した。
そして再び事務所の席へ。
不穏な空気。
下村さんに、報告をする。
端的にし終えて、下村さんは喫煙所に行こう、と誘い出してくれた。
下村さんは勘のいい人なのだ。勘がいいからこそ、ぼくの過去を探り当ててしまったのだが。
喫煙所で、とにかくぼくはごちゃごちゃの思考を下村さんに提出した。
下村さんが誘導尋問したことによる苛立ち。そして、過去を知られるのが、あの時は自分でも気づかなかったのだが、嫌だった、ということ。自分の過去を伝えると、同情の目か、辛い思いをしているのはお前だけじゃないという敵意のこもった目ないし何を大げさなという見下しの目を向けられる。その目を向けられること自体は別に構わないのだが、それによって人間関係が今までの平らな地平から一転して高低差が生まれてしまうことに嫌悪しているということ。今までそれが嫌だから言いたくなかったのに、今回言ってしまったということ。言ってしまったのは下村さんのことを信頼しているからではあるけれど、不本意であったこと。下村さんとの友好関係は保っていきたいけれど、今のままでは無理だということ。それでもどうにかしたくて、今ここにいるということ。
大体、そんなことを伝えた。
下村さんが、面白おかしく剥がしたのは、ぼくとの壁ではなく、かさぶただったのだ。しかもまだ、剥がれてしまえば生のままの、10年以上かかってまだ治らない年代物のかさぶただったのだ。
ぼくの哀れな様子を見かねて、下村さんは誰もいない部屋に場所を移してくれた。
そこで下村さんは、別に過去を知ったからといって特に何も思っていないということを、言い方を変えながら説き伏せにくる。
それでひとつ気づいた。
過去を気にしているのは自分自身以外の何者でもないことを。
自分が、自分の過去を知った人からこう思われるだろうなと、思っているだけなのだ。そしてそのことが、何か不平等な感じがして嫌な心地を発生させていたのだということ。
下村さんと話していくうちに少しずつ整理されていく。
しかし、どうしても、今のままでは自分の気持ちが前を向いてくれない。
どうしてそんなに過去にしがみついているのか、といったことを下村さんは言った。俺は、過去は過去としてみんな切り捨てている、と。
確かに、自分は過去にしがみついているのかもしれない。こだわっているのかもしれない。でも切り捨てられないから今困っているのではないのだろうか。
過去を過去として引きずっていく体力と筋力を備えてきたから今までがあったのだ。重いと思っていた過去が軽く感じられるように鍛えてきたからこそ、前を向けてきていたのだ。ぼくの中では切り捨てるというのは、つまり記憶喪失と等しい事になってしまうのだ。
「俺にはわかんねえっすよ。やっぱり」
やっぱり、わからない。いや、それでいいはずなのに、どうしてこう虚しいのかな。
「そういえば、こんさん(ぼく)が過去を話した相手の中で、こんさんが気にしなかった相手って誰かいますか?」
そんなのいるわけな……あ、いた。元恋人が、そういえばそうだった。
何が違うのだろう。そう思いを巡らした時、そういえばぼくは、その人の裏事情もよく知っていたような気がするな。
そんなことを口走ると、下村さんはなぜか椅子の上で正座をしだした。
ぼくは聞いてもいいのだろうか。
いや、なんだか話す気満々なこの人を止めたいとは思えない。むしろ聞けて、喜ばしいではないか。
どうやらひとつ、解決策が見つかったようだった。
お互いの過去を知る。
同じ地層から見る景色は、やっといつもと変わらないように感じて、なんだか可笑しかった。
下村さんに聞いてみた。
「自分、父親の書類にサインするべきでしたかね」
ちょっと真面目な顔になって
「俺だったら、絶対にしません。断ち切りたいものは断ち切るべきです」
やっと、ぼくも少し軽くなれた。
***
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