最初はスライムしか倒せなくても《プロフェッショナル・ゼミ》
*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:久保明日香(プロフェッショナル・ゼミ)
「久保さん、ありがとう。頑張って耐えてたんだけど、気づいたら寝ちゃったわ」
少し照れながら笑顔でこう言ってきたのが印象的だった。
私はある洋菓子メーカーに就職し、同期の一人としてすみちゃんこと住谷さんと知り合った。彼女と私は新入社員研修の席が前後だった。研修中に名指しで当てられたときに、浅い眠りについていた彼女をつついて起こしたのが彼女と話すことになった最初のきっかけだった。正直なところ、いくら座学がつまらないからといって、一応給料は発生しているのだし、寝るのは社会人としてどうなのだろう、そしてそれを堂々と言い放つのはいかがなものか、と私は思っていた。だけど、彼女はそのことを気にしている様子もなく、いつも天真爛漫だった。当時、新社会人として頑張るぞ! と毎日気合を入れていた私と温度差を感じてしまうことが何度もあった。
二週間の研修を終えた後、私達はまず「現場を知る」という意味から店舗に配属されることになっていた。大型店に配属になれば、休み返上で働かなければならないし、厳しい店長がいる店に配属になれば精神的にきつい毎日を送らなければならない。中でも、関西売上ナンバーワンのとある店舗はその2つの要素が揃っているともっぱらの噂で、誰もがその店だけには配属になりませんように……と願っていた。
そして迎えた運命の日。みんなが恐れている店舗に配属になったのは、すみちゃんだった。
「もしかしたら一週間かそこらでいなくなってるかもしないわ。そうなったら何かやらかしたんだなと思って笑ってほしいな」
研修の最後の日、そう言い残したすみちゃんはその時も笑顔だった。
私はというと、中型店舗に配属になった。店長の虫の居所を探りながら言われた仕事をこなしていれば特に怒られることもない、そんな店で働いていた。
ある日、
「久保ちゃんの同期の住谷さん、とっても優秀らしいね」
と店長に話をふられた。
予想外のその言葉に私は思わず聞き返してしまった。
あのすみちゃんが? 優秀だって?
「あそこの後藤店長、なかなか人を褒めないのに、今度入ってきた新入社員は吸収もいいし、思ったことがちゃんと言えるし、自主的に色々考えるし……って重宝してるみたいだったよ。7月から3ヶ月続く夏の催事も彼女一人に全部任せてやってるんだって」
私の知っているすみちゃんはそんな人じゃなかった。研修中は寝ていたし課題もいつも途中までしかやっていなかった。その変貌ぶりが気になった私は仕事が休みの日、すみちゃんが働く店舗を覗きに行ってみることにした。
お昼前、人で賑わう催事場の一角にすみちゃんの姿があった。
お客様に丁寧に対応を行い、アルバイトに指示を出し、発注書を片手に在庫の確認をする……。研修で寝ていた彼女は数ヶ月前とは別人になっていた。
全ての中心が彼女で、同心円状に人々が動いている。全方向に向かって発せられるパワーが人を動かし、人を吸い寄せているように見えた。活気ある催事場を目の当たりにした私は、すみちゃんに声をかけて帰ることができなかった。自分の働きぶりと比較して、ショックだったのかもしれない。
彼女はその催事で、3ヶ月連続で前年比100%を軽く越える売上を叩き出したと聞いた。
できる新入社員があの店に入った! と社内ではもっぱらの噂となり、すみちゃんは一躍有名になった。
「住谷さん、すごいねぇ。毎日売上持って帰ってシュミレーションしてるらしいよ」
「後藤店長が住谷さんのおかげでゆっくり休みが取れるようになったって喜んでたわ」
私の店の店長がそう言ってくる度、息が詰まるような思いがした。
どうして久保さんは同じことができないの? うちに来た新入社員が住谷さんだったらよかったのに、そう言われているような気がして、辛く、悔しかった。
だけどそんな私にもチャンスが巡ってきた。
バレンタインの時期に、2週間、催事場の運営を任されることになったのである。
「1年目の子は催事場、この時期からやってる子が多いのよ。だから久保ちゃんも是非」
そう言われたものの、何をすればよいのかわからなかった。私は今まで言われた仕事をただひたすらこなしていただけで、自分が催事場を運営するなんて思ったこともなかった。今まで自主的に動かなかったツケが回ってきたのかもしれない。だけど、せっかくチャンスをもらったのに「できません」なんて言いたくなかった。
どうしたものかと考えを巡らせているとき、ふと、すみちゃんの存在を思い出した。
彼女はもう既に夏に催事を経験している。その後も私より多くの仕事をこなしている。何かとっかかりがつかめるかもしれないと思って私は悔しさを心の奥に封じ込めて、すみちゃんを飲みに誘った。
「2人で飲むのなんて初めてだね。最近バレンタインの催事の準備で忙しくて、頭、爆発しそうだったから、誘ってくれてありがとう」
この時点ですみちゃんは私よりも一歩先で動き始めていることに驚いた。
「日別の売上予定とか、バイトさんのシフトどうしたらいいかなーとか。親売り場の後藤店長はもちろん、パートさんとも上手くやっていかないといけないし、考えることいっぱいで」
すみちゃんは「忙しい」と言いながらもあの夏に見た催事のときのように満面の笑みを浮かべながらにビールを飲んでいる。
「でもさ、久保ちゃん。最近私、みんなに社畜って言われるの。それが嫌でね。私は会社に飼われた覚えはない!」
そう言ってすみちゃんは大きな声で笑った。
だけど、私も「みんな」と同じように思っていた。
催事場の運営だってきっと大変だったろうし、毎日大型店で働く中で辛いと感じる仕事も沢山あるはずだ。それを笑顔でこなしていく彼女のモチベーションは何処から来るのか、正直私にはわからなかった。
だからこの日、いい機会だし思い切って聞いてみることにした。
「ごめん、正直に言うと、私にもそう思う時がある。辛い仕事も文句一つ言わずにこなしてるけど、何がモチベーションになってるの?」
すると、予想外の答えが返ってきた。
「ちょっとやだ、久保ちゃんまで! 私だって辛いなぁって思うことはあるんだよ? だけど辛いときこそ、“これはRPGのゲームだ”って思い込ませて働くことにしてるの。もしかしたらそのゲーム感覚が全面に出てしまってるだけかもしれないなぁ」
仕事とロールプレイングゲームは私の頭の中では結びつかなかった。
その様子を感じ取ったのか、彼女はその点を詳しく説明してくれた。
「例えばずっとレベル1で、草むらにいるスライムしか倒せないのってゲームの主人公としては全く面白くないでしょ。でも、レベルが上がったら新しいことができるようになるし、敵だった人が気づいたら味方に加わってくれていたりすることもある。仕事もそんな感じじゃない? やったことがレベルアップとして自分に返ってくるのが楽しくて、また頑張れる」
そんな彼女は今、入社してからお世話になっている後藤店長を目標にしているそうだ。
「最初は怒られまくって鬼のように怖かったけど、それは売場全体を守るためだってことがわかってからは怖くなくなったんだ。今は後藤さんみたいになりたいし、少しでも後藤さんの役に立ちたいって思う。だから少しでも近づけるように後藤さんの仕事をさせてくださいって言ってみたり、無駄な仕事があれば何のためにする必要があるのか聞いてみたりしてる」
そんなすみちゃんに対し後藤さんは一つ一つ、ポイントを抑えて教えてくれるのだという。
RPGでもそうだ。例えば、聖剣を手に入れるためにどこに行って何をしたら良いかわからないとき、村の人や長老に話しかけるところから冒険は始まる。みんなからもらったヒントを辿っていくことで気づけば目的を達成することができているものだ。
「仕事もその冒険の繰り返しだと思えば、ちょっと楽しい」
すみちゃんは笑顔でこう語った。彼女は仕事という決められた範囲の中を主人公として楽しく冒険していた。毎日、聞き込みをし、アイテムを入手し、敵を倒しながら一歩ずつ前へ進んでいたのだ。それがひいては店長の評価や会社の評価に繋がっていたのである。
「私にその発想はなかったわ。ありがとう、すみちゃん」
「こんな話でよければいつでも! それにね……」
とすみちゃんは少しためてからこう言った。
「RPGに、バッドエンドは無いんだよ」
にこっと笑いながらそう語るすみちゃんを見て、私はこの同期に一生、かなわないと思った。
私はこの時まだレベル1だった。草むらのスライムしか倒せなかった。
だけど、この日、目の前でビールを飲むすみちゃんに遭遇できたことで、私を主人公とするRPGは動き出したのだ。毎日少しずつレベル上げを行うことでバレンタインの催事運営をなんとか乗り切ることができたのも、そのことを皮切りに私と店長の関係がより一層、良好になっていったことも全ては彼女の考えに触れたからだと思っている。彼女なくして今の私は存在していない。彼女には感謝してもしきれない。
入社して数年たった今はお互いに現場のお店から離れ、企画と経営というそれぞれのフィールドで冒険を繰り広げているけれど、いつか仕事上で巡り会い、仲間として冒険できる日を楽しみにしている。その日が来るまで私の冒険は決して終わらない。
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