プロフェッショナル・ゼミ

父を人生最期の「お風呂」に入れた日《プロフェッショナル・ゼミ》


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記事:牧 美帆(プロフェッショナル・ゼミ)
 
 2015年12月2日10時33分、父がこの世を去った。
 
 前年の10月末に脳出血を起こし、ほぼ寝たきりになった父。
 一時は自宅で生活ができるまでに状態が安定したが、痙攣をおこして再び病院に戻り、肺炎が命取りになった。
 
 父が亡くなる2日前、私は母を連れて近所の小さな葬儀屋を訪れ、費用の見積もりを依頼していた。
 その前に集中治療室で父と面会したが、そのときに悟ったからだ。
 父の死期が迫っている、ということを。
 
「すごくよわっているもうだめかもしれない」
 
 11月30日。
 母からメールをもらった私は、仕事を早退して病院に向かった。
 専用の服を羽織り、手を消毒して集中治療室に入ると、母が涙ぐみながら父の腕をさすっている。
 父の顔は青白く、そして手も、腕も、紫色に変色していた。
 手を握る。皮膚がぶよぶよとしていて、ぞっとするほど冷たい。
 そして、いつもしている点滴が、今日は見当たらない。点滴はやめたのか……?
 いや、違う。足だ。
 足の付根に、太い点滴の針が刺さっている。
 
 私の視線に気がついた母は、
「お父さん、腕に点滴を刺せる場所が、無いんやって……」
 と、泣き崩れた。
「お父さん、泣いてる。痛いんよ。辛いんよ。可哀想に……」
 母の言葉で、改めて父の顔を見る。父の目尻には、うっすらと涙が光っている。
「違うって、お父さんは、お母さんを泣かせてるのが辛いんやって。そういう人やんか。せやから、泣いたらあかんよ」
 
 脳出血の影響で、感情を顔に出したり、言葉を発することができなくなった父が、本当にそう考えているかは、正直なところわからない。
 でも、そう励まして母の肩をポンポン叩くのが精一杯だった。
 
 集中治療室を出たときに、夫に数日前に言われたことを思い出した。
 
「あのな、考えたくないかもしれんけど、葬儀屋はあらかじめ探しておいた方がええで。そうやないと、病院と繋がっている葬儀屋を勝手に紹介される。そしてかなり高額な費用を要求されるケースもあるんや」
 
 私が戸惑っていることに気づくと、夫はこう断言した。
 
「生前に葬儀屋を探すことは、決して薄情やない。お父さんのことを思えばこそや」
 
 確かに、家族優先で自分のことはいつも後回しにし、仕事を終えたあとのワンカップがささやかな楽しみだった父が、豪華な葬式を望むとは到底思えなかった。
 それに、今の病院はあまり良い印象を持てずにいたので、最期に世話になるのはごめんだ、という気持ちもあった。
 
 
 その葬儀屋は、父が入院する病院からも、母の住む家からも近かった。
 お通夜やお葬式の流れについて、母と私に丁寧に説明してくれた。
「お父さんは、どちらの病院にいらっしゃるんですか?」
「H病院です」
「ああ、H病院はね、ここだけの話、A社を紹介するんですよ。そこが高くてうちに駆け込む方もいらっしゃるんです」
「そうなんですか……」
 
 と、私はパンフレットにあった、「湯灌」という文字が気になり、話しかけた。
 
「すみません。このオプションの中にある湯灌ってなんですか?」
「ああ、湯灌はですね、専用の浴槽をご自宅にセッティングさせてもらって、お身体をお湯で洗わせていただくんです。好きな服をお着せすることもできますよ」
「へえ……」
「湯灌は、故人の現世での疲れや汚れを洗い清める意味があります。でも病院でも清拭などの処置はしますから、はっきり言って必ず必要なサービスではないですよ」
 
 パンフレットにもう一度目を落とす。7万8千円。けっして安いとは言えない。
 しかし、私は湯灌を絶対にやりたいと思った。
 
 特に肺炎を患ってからは、ほとんどお風呂に入れなかった父。
 きれい好きだった父。
 元気だった頃の父からは、いつもトニックシャンプーのスウッとする匂いがしていた。
 最期くらい、綺麗にさっぱりさせてあげたい。
 母にそう伝えると、母も「そうやね」と頷いた。
 
 そこの葬儀屋の対応は良い印象だったものの、本当は複数の葬儀屋にあたって見積もりを比較するつもりだった。
 しかし、それをするだけの時間は、残念ながらなかった。
 
 
 病院の霊安室。ベッドの傍らにはマガジンラックが置かれ、A社のパンフレットがずらりと並んでいた。
 白いベッド、顔に白い布を掛けられた父、無機質な部屋。
 そのマガジンラックの一角だけがカラフルで、異質だった。
 もちろんその情報が必要な人もいるのだろうが、私は嫌悪感を覚えた。
 
 ああ、やはり葬儀屋を決めておいてよかった、そう思った。
 
 しばらくして、葬儀屋さんが白いワンボックスカーで現れた。
 今は霊柩車で運ぶケースは少ないらしい。
 事前に決めていたとおり、自宅に連れて帰る。
 布団を敷き、そこに父を寝かせる。
 葬儀屋さんが、周囲にドライアイスを敷き詰めていく。
 そして最後に、
 
「おとーさん、ちょっと重たいし、冷たいけど、ごめんね」
 
 と声をかけてから、お腹に大きなドライアイスを載せた。
 その気遣いに涙が出た。ちょっとした一言だけど、ここにお願いしてよかったと思った。
 
 12月4日。
 湯灌は14時から始まった。親戚一同が集まり、父の周りを取り囲む。
 訪れたのは、女性2名、男性1名、計3名の湯灌師。
 
「お父様に着せる服は、どうしますか?」
 
 湯灌師の一人が、母に話しかける。その言葉を受け、母が1セットの服を湯灌師の女性に渡す。
 それは、塾を経営していた父が、受験生の応援に学校まで駆けつけるときにいつも着ていた、一張羅のスーツ。
 まさに「勝負スーツ」だった。
 
 もうひとりの女性が、母に声をかけた。
「お父様の腕から手にかけて、包帯が巻かれています。病院で処置をしたようですが、このままにいたしますか?」
 
 それは、私が亡くなる2日前に見た、紫色の部分だろう。
 母が困った顔をして私を見た。少し考えて、そのままにしてもらった。
 紫色のぶよぶよの手と腕を、みんなに見てもらうのは気が引けた。
 
 一旦準備をするのでと退室を促され、私たちはぞろぞろと廊下に出る。
 
 次に声をかけられ部屋に入ったとき、父は青いバスタオルをたくさん掛けられた状態で、浴槽に寝かされていた。
 そして、ひとりずつ杓子を持ち、順番にお湯をかけていった。
 これは、逆さ水というそうだ。
 お湯に水を足して温度を調節するのではなく、水にお湯を足して、温度を調節する。
 左前で服を着たり、枕を北向きにしたりするのと同じで、普通と逆のことをすることで、あえて死と生を区別するという、習わしのひとつらしい。
 
「お兄さん、綺麗にしてもらえるって。よかったねぇ」
 
 そんなことを口々に言いながら、ひとりずつ父の身体にお湯をかけていく。
 
 逆さ水が終わった後、ひとりが父の顔を剃り、もうひとりが、タオルがはだけないように注意を払いながら、父の身体を洗っていく。
 
 と、父の足がちらりとのぞいた。小指からかかとにかけて、大小の紫色の染みが、たくさんある。
「ねえ、こうちゃん、お父さんの足さ、あれは床ずれなんかなぁ」
 私は、小声で夫に話しかける。
「ちゃう、あれは死斑や。まあ床ずれも混じってはいるけど……」
「しはん?」
「心臓が止まったから、血液が巡らず重力で下に沈んで、それが皮膚に出てくるんや。でミステリー小説とか漫画でときどき出てくるやろ? 死斑が浮いているから、死亡推定時刻は何時やとか」
「ああ、なるほど」
 そういえば、昔それを悪用したトリックのミステリーを読んだような気がする。うろ覚えだけど。
 
 私は、この死斑を目にして、ようやく「ああ、父は死んだのだ」という実感が湧いた。
 それまでは、眠っているとしか思えなかった。
 長く寝たきりだったから、余計にそう思うのかもしれない。
 
 しかし、父の身体は、確実に「死」に向かって進んでいる。
 たくさんの死斑が、それを物語っていた。
 
 湯灌師が、父の身体を持ち上げた。
 私の方向からはよく見えなかったが、母の位置からは、背中がよく見えてしまったようだ。
 
 その瞬間、それまでは静かだった母が、嗚咽をあげはじめた。
 
「お父さん、お父さんはあんなに背中が真っ赤っ赤になるまで病院に放って置かれたんや。痛かっただろうに……可哀想なお父さん……」
 
 そう言って、肩を震わせる。傍らにいた妹達や、親戚の人たちも一斉に泣き出した。
 
「お義母さん、あの……」
 夫が声をかけようとしたとき、
 
「お母様」
 
 と、父の髪をトニックシャンプーで洗っていた男性が、手を止めて母の方を見た。
 
「お母様、これは死後、誰でも起きることなんですよ。心臓が止まってしまったので、血液が背中に溜まってしまったのです。決してお父様が苦しんだのではありませんよ」
「そうなんですか……ああ、よかった……」
 優しく諭してもらい、母は落ち着いた。夫も私もほっと胸をなでおろした。
 
 洗い終わったあと、父の着替えをするというので、私たちはまた廊下に出て別室に移動した。
 しばらくして戻ってみると、父は勝負スーツを着て、まっすぐの姿勢で、目を閉じていた。
 
 最後に入院していた病院で、父は「廃用症候群」を発症していた。これは、長時間寝たきりにさせてしまうことで、さまざまな心身の機能が低下することをさす。その一つが「拘縮」。家族がせっせと病院に通っても、限界がある。父の身体は動かされないことにより、すっかりこわばって、動かなくなってしまっていた。着せやすさを考慮した、病院の入院着ですら、着せるのが大変だった。
 父の足は、足は90度に折れ曲がったまま固まっていた。
 それに加えて死後硬直もあるだろう。
 しかし、父は今、白いシャツを身にまとい、紺のネクタイを締め、グレーのスーツを羽織っている。
 目の前で、魔法が起きているようだった。
 私は、「この曲がった足で棺に入るだろうか」という心配すらしていたというのに……なんてすごいお仕事なんだろうか……。
 
 母と、妹二人と、私で父を棺におさめた。
 六文銭を模した紙(本当のお金は燃やせないので)、木で出来た杖、白装束をその上に載せた。
 
 スーツを着た父の顔を見る。
 ああ、やっと、父の死を実感できたというのに、また「眠っているみたい」って錯覚してしまいそうだった。
 
「今から、附属池田の応援に行ってくるわ!」
「ええっ、もう出るん? さすがに早すぎへん?」
「そんなことない、すれ違ったら大変やからな!」
 
 そう言って、ハチマキを手に早朝から家を出る父が、昨日のことのように思い出される……。
 
 と、息子が、父の額に手を触れ、そして叫んだ。
 
「じいちゃん、冷たい! ママぁ、じいちゃん、冷たいよぅ!」
 
 最後まで泣かないつもりだったのに、そこで涙腺が崩壊してしまった。
 
「そうやね、ひーくん」
 
 息子を抱きしめる。
 
「じいちゃん、冷たいね。じいちゃんの心臓は、止まっちゃったんよ。もうねんねして起きないんよ。でもきっと、ひーくんのことを見守っていてくれてるからね……」
 
 パタン。棺のふたが閉まる音がした。
 
 そして、約1時間半におよぶ、父の湯灌が終了した。
 
 
 後から知ったのだが、湯灌というのは、ただ故人の身体を洗い清めるだけでなく、「新たに来世へ生まれ変わる」という願いが込められているそうだ。
 ちょうど、赤ちゃんが産湯につかり、人生をスタートさせるように、産湯もまた、スタートと言える。
 父ももしかしたら、どこかで新しい人生のスタートを切っているのだろうか……。
 
 人はみんな、いつかは死んでしまう。
 大切な人を亡くし、そして自分も、いつかは大切な人に悲しい思いをさせてしまう。人はそこから逃れることはできない。
 
 そのときに、湯灌という選択肢があるということを知っていれば、もしかしたら、穏やかに気持ちの整理、お別れができるかもしれない。
 
 父の場合は病死だったので、損傷はなかったが、損傷の激しい、思わず目をそむけたくなるような御遺体も、湯灌師という職業は安らかな状態に近づけることができるそうだ。それをきっかけに湯灌師を志した女性のインタビューを、以前に読んだことがある。
 本当はあまり考えたくはないけど、死という存在に向き合ってみる日が、たまにはあってもいいのではないだろうか。
 悲しいときに、より悲しい思いをしなくてすむように。
 
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